第十三話
「……ん……」
意識が戻るように勇理が目を開くと、そこには真っ暗な世界が広がっていた。
360度どこを見ても黒、黒、黒。一筋の光すらも見当たらない。そんな場所に勇理は1人で立っていた。
「……なんだここは……」
目の前に広がる異様な光景に勇理は驚いた表情を見せる。
勇理は辺りをきょろきょろと見回した後、恐る恐る一歩を踏みだした。足には確かな地面の感触があり落ちることはない。
「どうなってんだよ……」
右も左も分からない暗闇の中を勇理はあてもなく歩く。歩き続ける。もう自分が元いた場所など分からなくなり進んでいるという感覚すらない。
そして一旦立ち止まろうかと思った時、
「……ん?」
勇理の前に3体の人影が現れた。それを見て勇理の表情は驚きを超えて真っ青になる。
「なッ、なッ……」
狼狽して上手く言葉が出てこない勇理。それもそうだろう。彼の前に立っている3体の人影。それは紛れもなく両親と弟だったのだから。
しばし狼狽していた勇理は大きく深呼吸して心を落ち着けると、じっと立っている家族の元へ駆けていった。驚きと嬉しさを胸一杯に詰めて。
しかしその途中、
「――ッ!」
突然、勇理の家族の背後に巨大な手が現れた。
その手は家族全員を掴み、続けて現れた大きな口へ放り込んだ。その大きな口は一気に口を閉じる。
両親は完全に口の中へ消え、弟は食い千切られて上半身だけが地面に落ちる。
「……あ……あ……」
その衝撃的な光景に勇理は言葉を失った。崩れるように両膝をついて。それと同時に彼の家族を食らった大きな口は口を動かし始めた。肉が裂かれ、骨が噛み砕かれるような異音が否が応でも耳の奥に響く。
「……やめろ……」
勇理はぽつりと言葉を漏らす。その表情は今にも泣きそうで、見ているほうが辛くなるようなものだった。
大きな口は勇理の言葉など知らぬ様子で咀嚼を続けていく。それを勇理は放心状態のようにただただ見ているだけ。そうしていると、
「――ッ」
突如として上半身しかない勇理の弟が動き始めた。手を震わせながらゆっくりと顔を上げて勇理の顔を見る。
「……た……すけ……」
そう言う勇理の弟は口の端から血を垂らし、苦痛と絶望に染まった表情をしていた。右手を伸ばして勇理に助けを求めようとする。
「…………」
しかし勇理は動けない、声も出せない。今すぐ助けてやる。そう強く思っても助けを求める弟の手を掴むことはできなかった。
やがて助けを求める弟の姿は煙のように消えていき……跡形もなく消失した。
残ったのはすでに食事を終えた大きな口と家族を死に追いやった巨大な手。そして勇理ただ1人だった。
依然として体も口も動かすことができずに勇理がじっとしていると、
「――ッ!」
巨大な手が勇理を掴んだ。
流れ作業のように大きな口へと運ばれていく。心の中で必死にやめろと言うが効果はなく大きな口の前まで運ばれてしまった。
勇理の目に映るのは、血に濡れた大きく鋭い牙が口の中にずらりと並ぶ様。それはどんなに屈強な精神を持っていたとしても耐えることは叶わないだろう。
勇理は恐怖した。そして同時に深く後悔した。皆の仇をとれなくてごめん、と。
そんなことを思う間にも勇理の体は大きな口の中へと入っていった。大きな口は噛む準備ができたらしく体めがけてその大きく鋭い牙を突き立て、
「――ッ! !」
突き立てられようとしたところで勇理は勢いよくベッドから起き上がった。
「……ハァッ……ハァッ……。夢……なの……か」
目を覚ました勇理の呼吸は荒く大量の寝汗をかいていた。自室を見回してここが現実であることを確かめた後、時計に目をやった。
時刻は午前10時。勇理が初陣を経験した翌日であり、また休日でもあった。
私服に着替えて顔を洗い、リビングへ向かった勇理。そこで待っていたのはいつものあれだった。
「――っ!」
リビングへ入るや否や勇理の腹部に軽い衝撃。勇理が下を見ると、そこには楓が頭突きをした状態で固まっていた。その様子を見て勇理はふっと笑い、
「……今日はまあまあだな」
楓にそう言った。すると楓はいつものように素早く顔を上げず、ゆっくりと不思議そうに顔を上げた。
「……何かあったの?」
その言葉に勇理は内心驚いたが、
「いや、ちょっとお寝坊さんだったから、頭がぼーっとしてただけだ」
平静を装っていつものように優しく返事をした。
「んー、おねぼうさんだったらしょうがないかー」
勇理の言葉にあっさり納得した楓。それから勇理の腹部をポンポンと数回叩いて、
「ねえねえ、今日は勝ったー?」
いつものように満面の笑みを浮かべて聞いた。
「んー……まだまだ修行が足りんかな」
「ダメかー……」
結果を聞いて肩を落とす楓。しかし次の瞬間には元気を取り戻し、
「今度は絶対に勝つからねーっ!」
左手を腰に当て右手で勇理を指差した。その後、楓は勇理に背を向けてリビングのソファーに走ってダイブした。
恒例行事を終えて少しだけ癒された勇理はキッチンに向かった。
キッチンでは光博と有希がテーブル越しに仲睦まじく言葉を交わしていた。2人は勇理の姿に気づいて雑談を中止すると、
「おはよう」
「勇理君、おはよう」
揃って爽やかな笑みを浮かべ朝の挨拶をした。
「おはようございます」
勇理は挨拶を返し、光博の隣のイスに座る。
テーブルの上にはカップが2つ置いてあった。そのどちらも中には飲みかけのコーヒーが入っている。
「朝食は残してあるけど、どうする?」
「あ、食べます」
「そう。じゃあ今から温めるわね。飲み物は紅茶とコーヒーどっちがいい?」
「コーヒーに砂糖1つで」
「はい。それじゃあ、ちょっと待っててね」
笑顔で注文を聞いた有希は立ち上がり、キッチンの奥に消えた。
ぼーっとした様子で勇理が遅めの朝食を待っていると光博が勇理のほうを向いて、
「……しかし、珍しくよく寝てたね。休みだからなのかもしれないけど」
そう話しかけた。気づいた勇理は光博のほうを向いて口を開く。
「ああ、ちょっと疲れが溜まってて」
「疲れかー。勇理君は若いから、寝れば疲れなんて吹っ飛ぶんだよね……。いいねえ、羨ましいなあ。僕も若い頃に戻りたいよー」
そう言う光博は自分の首や肩、腰などを触って歳による体の不調を伝えた。それを見た勇理は愛想笑いをして、
「叔父さんだってまだまだ若いじゃないですか。それに年取ったみたいなこと言ってると娘にお爺ちゃんって呼ばれますよ」
冗談交じりに光博を励ました。すると光博はぎょっとした顔になり、
「おっと……それは困るね。この歳でお爺ちゃんは洒落にならないよ」
言葉通り困った口調でそう答えた。
愛娘のことに関しては色々と弱いところがある光博。勇理はそのことを前から知っており、てっとり早く元気を出してほしい時には楓の名前をよく使っていた。
「……光博さん、また勇理君に愚痴ってたの?」
キッチンの奥から有希が温め直した朝食とコーヒーをお盆に載せてやってきた。会話の一片を聞いていたらしく光博に呆れた顔を向けている。
「いや、違うんだよー。勇理君は若くていいなーって羨ましく思ってただけなんだ」
「あら、私たちもまだまだ若いじゃない」
言い訳する光博に有希はテーブルにお盆を置いてから答えた。
「んーそうかなー。有希さんだって最近目元に小じわが」
「ん?」
光博が話している途中で有希が割り込んだ。すると光博は素早く口を閉ざし、目を泳がせ始めた。その様子からはやってしまったという焦りが感じられる。
「小じわが、どうしたのかしら?」
わずかに片眉を上げて光博に聞き直す有希。その声には静かな怒りがこめられており目は笑っていなかった。
「…………」
有希から目を逸らし沈黙を貫くことで身を守ろうとする光博。そのあまりに情けない姿に見兼ねた勇理は気を遣って助け舟を出してやろうと考えた。
「――いただきますッ!」
唐突に両手を合わせて大声を上げた勇理。突然の大声に2人は驚いて彼のほうを振り向く。その彼はそんな2人を無視して朝食を掻っ込むように食べ始めた。
「お、有希姉さん、これすごく美味いですよ」
勇理は食べながら感想を漏らした。そうすると有希の顏はふっと元に戻り、
「あ、あら、ありがとう。そう言ってくれると嬉しいわ」
両手を合わせて嬉しそうに返事をした。それを見て勇理はほっとし朝食を食べ進めた。
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