第四話

 無事に自宅まで送り届けられて目の前に車に向かって軽く頭を下げた。


「どうも」


 すでに偽物の日は落ちていて辺りは本物の夜らしく暗闇に包まれている。街灯には明かりが灯り、付近の家からは温かな光が漏れていた。


 勇理は空を一瞥し、玄関のドアを開けて中に入った。


「ただいまー」

「おかえりなさーいっ」

 リビングに入ると勇理めがけて突進してくる1つの影が。


「――ぐっ」

 勇理はその影を腹で受け止めた。一瞬驚いたがすぐに余裕の表情へと変わった。彼の腹部には1人の少女が頭突きをした状態で固まっている。


「……楓、今日の頭突きはなかなかだったな」

 楓と呼ばれるその少女に勇理が声をかけると、


「――やったっ!」


 楓はさっと顔を上げて満面の笑みを浮かべた。


 美郷楓、7歳。美郷夫婦の1人娘で勇理にはよく懐いている。身長は非常に低くて髪型はショートツインテール。とても愛らしい容姿をしている。


「ねえねえ、今日は勝ったー?」

「んー、なかなかだったけど、まだまだ修行が足りないな」

「……駄目だったかー……」

 勇理の言葉に落胆の表情を見せる楓。しかし次の瞬間には、


「次こそは勝つからねーっ」

 気合の入った顔で勇理を指差した。その後、彼女は走ってリビングのソファーへと勢いよくダイブした。


 2人のこんなやりとりは約1年前から続いている恒例行事で、楓は一度も勝ったことがなかった。というよりは勝たせてもらえずにいた。


 勇理は年の離れた従妹を微笑ましげに見つめ、キッチンへと向かった。


 キッチンでは遅めに帰宅した勇理の叔父の美郷光博が夕食を食べていた。


「お、勇理君か。おかえり」

「ただいま、叔父さん。今日もまた残業だったんですか」

 勇理はキッチンテーブルのイスに座り、疲れた表情の光博を見やった。


「そうなんだよー。最近は色々と忙しくてねー。あれだこれだと無理難題を押しつけられて、本当参っちゃうよ」

 光博は言いながら右手に持った箸を少し持ち上げて、くるくると回した。


「それはそうと、今日は勇理君も遅かったね。どこか遊びに行ってたのかい?」

「……あ、ああ。放課後に友達とちょっと」

 光博の言葉に一瞬動揺しかけた勇理だったが、すぐさま平静を装った。しかし彼の言葉は紛れもない嘘だった。


 なぜ勇理は嘘をついたのか。それは彼が車から降りる際、ガイドの女性に「今日見たこと聞いたことは全て内密にお願いします」と念を押して言われたからだった。


「そっかそっか。これくらいの時間ならいいけど、遅くならないようにね。あまりに遅いと有希さんが心配するから」

「はい。気をつけます」

 優しく忠告する光博に勇理は素直に答えた。それから、


「よし。じゃあ俺、先に風呂入ってきますね」


 と言って立ち上がり、風呂場へ向かった。


 リビングから出た勇理が廊下を歩いていると、叔母の有希とばったり出会った。


「……あら勇理君、もう帰ってたのね」

 あらあらと口に手を当てる有希。


「ただいま、有希姉さん」

「おかえりなさい。電話をしてて帰ってきたのに気づかなかったわ。ごめんなさい。今すぐご飯の用意をするわね」

 有希は流れるように言った後、バタバタとキッチンのほうへ走っていく。


「あ、先に風呂入ってくるんで、そんなに急がなくても大丈夫です」

 勇理は有希の背に声をかけてから風呂場に向かった。


 入浴後。勇理は夕食を食べて自分の部屋へ。


 ジャージを着た勇理はベッドに仰向けになっている。頭の後ろで手を組んだ状態で天井を眺め、しばらくするとおもむろにジャージの腰ポケットから電話番号の書いてある紙を取りだした。


 勇理はその紙を頭上に掲げた。電灯の光で透けて見えるその紙を何かを思いだすようにじっと見つめる。


 しばしその紙を見つめていた勇理は大きなため息をついた後、その紙を持っている手から、ふっと力を抜いた。


「寝るか」

 勇理はジャージの腰ポケットにその紙を戻した。続けてベッド脇に置いてある電灯のスイッチをオフにした。




 翌日の朝。


 勇理は自宅の玄関前に立っていた。その表情からは緊張の色が感じられる。


 少しすると玄関前に黒塗りの高級車が停まった。リバースからの使いだ。


「よしッ」

 それを見た勇理は頬を両手で叩いて気合を入れたのち車に乗り込んだ。


「あれ、あんたは……」

 車内には勇理が昨日会ったガイドの女性がいた。スーツにしわはなく化粧もばっちり決まっている。


「おはようございます」

「あ、ああ。おはよう、ございます」

 表情なく業務口調で淡々と言うガイドの女性に、勇理は少し間が抜けたように答えた。


「今日案内してくれるのはあんたなのか?」

 ガイドの女性の隣に座り勇理は聞いた。


「はい。ちなみに今日は別のルートで向かいます」

「そうか。じゃあよろしく頼む」

 勇理が返事をした直後、車は独りでに走りだした。車は昨日とは逆の方向へ向かっていく。まず間違いなく昨日より到着は早いだろう。


 走行中、勇理は肘掛けに肘をつき、手の甲に顎を乗せた体勢で窓の外を見ていた。


「お早い呼びだしでしたが、よろしかったのですか」

 ガイドの女性が前を向いたまま問いを発した。


「ん? ああ、あれのことか。それならちゃんと考えて決断したさ」

 勇理は女性のほうを向いて答える。


「ほらあれだ、思い立ったが……」

「吉日、ですね」

 途中で言い淀む勇理の代わりにガイドの女性が続きを答えた。


「そうそれ! うじうじと先延ばしにするのは性分じゃないんだ」

「……そうですか」

 前を向いたまま無表情を貫くガイドの女性の声は少しだけ哀愁を帯びていた。


 それから少しすると車は目的地に着いた。着いた場所は中央超高層エレベーター帯。昨日勇理たちがいた西超高層エレベーター帯よりも規模が大きくかなりの混雑具合だった。


 勇理が車から降りると、


「こちらです」


 ガイドの女性が先導する。勇理はその後に続いた。


 人混みの中を通って2人は超高層エレベーター帯の中へ入る。ガイドの女性は関係者専用エレベーターの前で立ち止まり、呼びだしボタンに指輪をかざした。そうすると数秒でピンポンと音が鳴りエレベーターのドアが開いた。


「どうぞ」


 昨日と同じように勇理はエレベーターに乗り込む。ガイドの女性が入るとドアが自動で閉まってエレベーターは上のほうへと向かっていく。


 数十秒後。2人を乗せたエレベーターはリバースのあるフロアに着いた。エレベーターから降りるや否や勇理の表情は驚きに変わった。


 視界に広がるのは高さも幅も巨大な通路。あまりの巨大さに街中にいるような感覚がそこにはあった。その通路では昨日以上の人々が仕事をしていた。フォークリフトでコンテナを運ぶ人や巨大な機材を運ぶ人、忙しなく歩く人や論争をしている人など実に様々。


「ここは中央通路です。細かいことについてはまた機会があればお話ししますので、先に行きましょう」

「あ、ああ」


 口をポカンと開けていた勇理はガイドの女性の言葉で我に返った。


 動く歩道も使いながら少し歩くと、赤色のドアが見えてきた。ガイドの女性はそのドア前で立ち止まり、指輪をかざした。するとそのドアは横にスライドして開いた。


「到着です」

「……昨日来た時よりも早かったな」


 勇理は本音を漏らしながら中に入った。まず目に入ったのはエントランスホール。昨日行ったところと雰囲気は似ているが、置いてある家具や壁の材質が違う。基調としている色も白と黒ではなく赤と黒だった。


「おっ、来たね」

 入り口近くのソファーに座っていた宮都が立ち上がり勇理の元へとやってくる。


「やあ、いらっしゃい。昨日はよく眠れたかな」

「……まあ、そこそこ」

「そうかそうか。突然のことだったから、全然眠れてないんじゃないかと思ってたよ」


 勇理の返事に優しげな表情で答える宮都。勇理はそんな彼から視線を外し、興味ありげにエントランスホールを見渡した。そして、


「昨日も思ったけど、ここってロビーなのか? なんだか……らしくないっていうか」


 そんな疑問を投げかけた。


「ははっ、ここもロビーの1つだよ。しかし、らしくないか。他の皆にもよく言われるけど、無骨なよりはずっといいと思うんだけどね」

「……確かに、無骨なよりはこっちのほうがいいな」

「おおっ、分かってくれるかね!」

 宮都は勇理の漏らした言葉に反応し、理解者を見つけたと言わんばかりに喜ぶ。


「実はここを含め、全てのロビーのデザインは私が考案したんだよ。それぞれにコンセプトがあって、例えばここなら……」

 楽しそうに話し始めた宮都。だが途中でガイドの女性が邪魔するようにコホンと咳をした。そうすると宮都は一瞬、しまったという顔をし、


「……っと、長くなるから話はここまでにして、そろそろ本題に入ろうかな」

 と言って話題を切り替えた。宮都は真剣な表情へと変わり、場の空気は一瞬にして張り詰めたものとなった。


「……それでは、君の答えを聞かせてくれ。グリードと戦ってくれるのか、そうでないのかを」

 宮都は背に両手を回し、ゆっくりと丁寧な口調で問うた。


「俺は……」


 真剣な面持ちの勇理は少しだけ溜めた後、


「……戦うッ!」


 宮都の顔を見て、力強く言った。

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