29:想定外の要素
中は聞いていた通り、そう広くはなかった。
大きめのベッドに小さな机と椅子だけの簡素な部屋だ。扉の隣に呼び鈴が設置されていたらしきあとがある。ミユの言っていたように、本来は形だけの罰を与える場所だったのだろう。ベッドのシーツや布団は新しすぎる。管理を担当している彼女が取り換えたのかもしれない。
「ねえ、妙なところはある?」
「見える限りは普通の部屋だな」
見回したけれど、特に気になるところはなかった。ついでに誰かが亡くなったと言われてもその痕跡らしきものもない。
この城が神殿として使われなくなった理由であるという変な気配は、やはり私にはわからなかった。
きょろきょろする私と対照的に、ラクサは何かを調べようとするそぶりはない。軽く室内を見回しただけで、またちょっと考えるような顔でぼんやりしている。
「ねえ、本当に何もない? さっきから何が気になってるわけ」
「ここでまた、あの聖女になる予定の人間たちに会えるのか」
私の質問には答えてはくれないらしい。
「チドリね。さすがに名前は覚えてよ。私のきお……えーと、未来予知が当たっていれば、会うはずなの。でもこの城のどの場所かはちょっと自信ない。会って何を言われるかは大体予想がついてるんだけど」
かつて神殿だった場所を見てみたいと、チドリがアルベールと共に訪ねてくるはずなのだ。この場所のことはセルギイに聞き興味を惹かれるのだが、アルベールとの恋物語を進めている場合は、なんだかんだ二人だけで訊ねることになる。
そして二人はマツリとその取り巻きたちに会って、会話を交わす。ゲームだと、このときのやりとりは、マツリが第三神殿に封印された悪神を解き放つか否かに影響する。チドリはこの日までにほどよくアルベールと仲良くなり、ほどよくマツリを苛立たせるセリフを言える状況を作らなきゃいけない。
まあ、今の私は、何をどう言われようが二人目の封じられた黒い騎士を解放するわけだけど。
今日ここで彼らに会わなくても物語が大きく崩れることはない。ただ、一応ここまでの流れがどう動いているか知る、一つの指標になる。私の嫌みだってチドリやアルベールの成長に多少は貢献するし、軽視するわけにはいかない。
ラクサに半分意識を向けたまま、なんとなく机に手を触れたときだった。
「こんなところで会うとは驚いた」
廊下のほうから声がしたと思ったら入口付近にアルベールが立っていた。近くにいるラクサを見て「奇遇だな」と声をかけている。
ラクサのことは一緒のときに一度遭遇したことがあって、紹介済みだ。警戒した雰囲気なのは、チドリと順調に仲を深めているからかな。物語の中では二人の恋が盛り上がるほど、アルベールのマツリへの態度は厳しくなる。
ちょうどいい。チドリたちとやりあうなら、エリカたちがいない今のほうが都合がいい。
嫌みを言う心構えをする。だけど入口脇に立つラクサを横目に、アルベールに続き入ってきたのはセルギイだった。
「……どうしてセルギイがここに?」
「マツリたちもいらしてたんですね。私たちも興味があって見学させてもらっていたんですよ」
しかも後ろからユウとファルークまで入ってくる。軽く混乱しながら、私は狭い部屋の中を詰めるように奥の壁際まで進んだ。
「やっぱりあまり長居したくないね。なんだか落ち着かない場所だよ」
「ああ。理由はわからないが胸がざわつく」
入ってきながら顔をしかめるユウに、ファルークが同意する。セルギイとアルベールも短い相槌を打っているところを見ると、彼らもエリカたちと同じ何かを感じとっているらしい。
「みんなで来たの?」
「見ての通りです。私は偶然この場所のことを知ったのですが、話したらみんな興味があると言うので、せっかくだから全員でと」
ここを知っていたのはセルギイ。それはいい。前世の記憶通りだ。
でもなぜみんなで来てるの? そんな場面があった記憶はない。
さらにみんなに遅れて最後に部屋に入ってきたのは――イラだった。
「イラ?」
間抜けな声で名前を呼ぶと、そうだよとでも言うように彼はこちらに笑顔を向けた。
「え? どうして? あなたたち、仲良かったの!?」
「共通点がある同士だ。知り合いだからって、そこまで驚くことじゃない」
「共通点……」
たしかにアルベールの言う通り、知り合いだったとしてもおかしくはない。彼らには私の婚約者候補になっているという共通点がある。
「そう。たしかにおかしくないわ……」
口の中で呟く。
彼らはイザベラに天秤にかけられている婚約者候補同士。互いに気になる存在だろうし、各国の関係者が情報を得たいと思って接触することもあるかもしれない。特にイラは一人だけオトジ国の人間で親類で、私のことについて最も詳しそうな立ち位置だから。
一つ、私の中での疑問だったことの答えが見つかった気がする。
「チドリは? 廊下で待ってるの?」
彼女も来ているはずだ。エリカたちのようにこの部屋に来るのをためらったのだろうか。
だがアルベールは首を振る。
「彼女は来ていない。……僕たちがいつでも彼女と一緒みたいに言うんだな、君は」
「でも、そうでしょう?」
純粋に疑問で聞き返したけど、アルベールは眉を寄せる。
驚いているとファルークが説明してくれた。
「チドリのことも誘ったが、雨のせいで体調を崩しているようだ」
「だから彼女の代わりに、俺たちがアルベールのお供ってわけ」
「ユウ、僕はそんなつもりはないぞ」
心外そうなアルベールに、ごめんごめんと軽くユウが返す。気安い雰囲気だ。
そっか。チドリがいないのは雨のせい。雨じゃなければちゃんとチドリとアルベールの二人で来ていた。ならきっと、私の知る正しい物語から修正できないほど離れたりしていない。
それからアルベールたち白銀の騎士になるべき四人が、仲良くしてくれているのは安心。
イラだけはゲームになかった要素だけど。ただそれも、著しく物語を壊しそうな様子はない。だから大丈夫……。
「なぜそこで安心するんだ?」
「ファルーク? どうしたの」
「今、ほっとした顔をしただろう。俺たちの誰かはマツリの婚約者になるかもしれない。他の相手を誘ったと聞いて不快な顔をするのはわかるが、どうして安心する?」
直球な指摘に動揺する。そうだ、この人はあえて言葉にして聞いてくる人だった。
「なに言ってるの。いい気分ではないわ」
「本気で思ってるか?」
「そりゃあ……」
だめだ、失敗した。言いながら思うけど今のって嘘っぽい。とっさのことで棒読みになってしまった。
どうしようと思ったら、小さく漏らすような笑い声が聞こえた。ラクサだ。
「何がおかしい?」
ファルークが鋭い目を向ける。
「ああ、ごめん。ただなんというか……ユウは反応を見るように他の女性との関係を強調するし、君は気にしてない様子だと不思議がる。気持ちの伴わない婚約者候補のくせして、君たちは大変だな」
ちょっと空気が凍った。言った当人のラクサだけは変わらず薄く笑っている。と思ったら、同じように笑顔のままの人が一人いた。
「部外者にはわからない苦労があるんだよ」
イラだ。そういえば、彼にはラクサのことを紹介していない。タイミングが合わず、ラクサと一緒のときに遭遇したことがなかった。
「ちょっと、イラ」
笑顔で喧嘩を売らないでほしい。その部外者の人は、人じゃなくて神様だ。
「そういうものか。マツリのよき友人としては、君たちを見ていると彼女のことが心配になるよ」
神様のほうも即行で喧嘩を買わないでほしい。
「マツリのよき友人か。羨ましい。どうすればなれるんだろう?」
「むしろどうしてなれなかったのか、聞きたいくらいだ。婚約者として名前が挙がっているんだから、部外者より近い関係のはずだったのに」
「部外者より近いからこそ、これ以上は簡単に距離が縮められないんだとは考えないか? 他の者たちとの兼ね合いもあるだろう」
「へえ。兼ね合いなんて難しいものがあるから、他の女性とのほうが仲良くなりやすいってところ?」
……気まずい。
こんな狭い空間で、婚約者になるかもしれない候補者五人と、現時点で一番気安い関係の異性に揃って囲まれるのは最高に落ち着かない。
しかもそのうちの二人が、笑いながら言葉でやりあっている。
なりふり構わず止めに入ろうと小さく深呼吸したところで、唐突にイラがラクサとの応酬をやめて私に話しかけた。
「ここに来ることになったとき、マツリのことも誘おうとしたんだよ。でも連絡が入れ違いで間に合わなかったみたいなんだ」
「そうだったの」
社交辞令でも「あら残念ね」とか言う余裕は回復してなかった。周りの反応を見るに、たぶん誘うことを提案したのはイラのような気がする。
「会えてよかったよ。あなたと二人で話したかったんだ。なあ皆、しばらくの間、俺とマツリの二人だけにしてもらいたいんだけど」
また変な具合に空気が固まった。
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