3章

27:変化は少しずつ

 第二神殿周辺で行われる祭事に参加したり、街や村を訪問したりと白銀騎士団としての務めをこなしてしばらくして、私たちは次の目的地へと出発した。

 各地を訪ねつつ、ゆっくりと進んで数日。明日はようやく第三神殿に着き、また夕方から全員で祈りを捧げる儀式に参加することになる。


 あの図書室でのやりとりのあとは、チドリたちと特別なことは起きていない。顔を合わせることはあったけど、人目のある場所だし毒にも薬にもならない会話を交わして終わりだ。

 皆がいる前だからか、ユウも嫌みじゃないただの軽口を私に言ってくることもあるし、あのときのぎすぎすした空気は引きずらなかった。

 次の悪役令嬢としての出番までは、私も彼らの様子を何となく見守るだけだ。


 今日は特に騎士団としての予定はない。イヴォンヌの家と取り引きのある商会の屋敷に滞在し、エリカとイヴォンヌと三人で早い時間から優雅にお茶をしていた。


「最近、楽しそうだよね」

「え、そう?」


 イヴォンヌの言葉に首を傾げると、彼女はうんと頷く。


「なんだか、前に比べて肩の力が抜けたみたいな気がするよ」

「神殿巡りが始まってからのほうが、何事にも積極的な感じよね。やっぱり、カルフォン夫人の元じゃ自由がなさすぎたのよ」


 エリカまでそんなことを言う。

 言われるほどに違うかと、二十歳の誕生日より前の自分を思い返してみる。今の私のほうが自由そうに見える心当たりは――あった。


「ようやく、自分の意志で動いていい時が来たって感じかなあ」


 私が悪役令嬢として活躍する物語が始まり、やるべきことがはっきりしている。未来を想像して待つだけの日々よりは、今のほうが開放的な気持ちなのは事実だ。


「カルフォン夫妻が身内から白銀の聖女を出したいっていうのは、家のことを考えれば当然だと思うんだ。マツリも別に嫌がってないし、そのために頑張ってるよね」

「ああ、まあ、うん」


 表向きは真面目に騎士団としての仕事をこなしている。それはたしかだ。

 肯定するとイヴォンヌが不思議そうにする。


「反抗的ってわけじゃないし協力的なのに、カルフォン夫人はどうしてマツリに特別厳しいのかな」

「私も聞き分けのいい娘の自覚はあるの。でも、おばさまは私のことを好いてないみたい。おじさまもね」


 どうしても馬が合わなそうなタイプというやつだろうか。むしろ、それなりにいい関係にもなれそうなんじゃないかと私は思ったけど。

 そんなことを考えていたら、エリカがふと顔を曇らせた。


「かなり前に子供を失くしているのよね、あの夫妻は」


 ぽつりと呟かれた一言に驚愕してエリカを見ると、彼女もまた驚いたようにこちらを見返してくる。


「知らなかった?」

「聞いたことなかった。本当なの?」

「私の両親が言ってたの。詳しくは聞かなかったし、たぶん両親も知らないと思うわ。ただ、生まれて一年か二年で亡くなったとか」

「全然知らなかった……」


 本人たちはもちろん、使用人たちも一言も口にしない。パーティーなどで会う親類も。でも考えてみれば、二人が実子を持たないことについても不自然なくらいに誰も言及しなかった。


「あ、それとマツリのことが関係するかなんてわからないわよ。……ただ、ふと思い出しただけ」


 そうね、と私もイヴォンヌも頷くだけに留める。想像したところで、私たちには正確なところはきっとわからない。

 湿っぽくなった空気を追い払うように、エリカが「というかね」と話を変える。


「マツリ、あなたが楽しそうなのはのおかげでしょ?」

「えっ」


 急に悪戯っぽく笑うエリカに、私は口ごもった。


「なに、その、別に……」

「誰かの顔が浮かんだわね? ってことは、自覚あるのね」

「こう言っていいのか分からないけど、私もマツリの肩の力を抜いたのは彼かなって思う」


 イヴォンヌまで。

 二人がかりで言われて、私は誤魔化すようにお菓子をつまんで顔を背ける。その反応に、二人が笑った。

 ラクサはあれから、エリカたちと同じく私専属とばかりに何かするときは大抵傍にいる。といっても場合によっては宿泊する屋敷がわかれることもあったし、言うほどべったり一緒にいるわけじゃない。

 いや、別に二人は私が四六時中彼と一緒にいるなんてことは言ってないか。

 一緒にいると楽しそうというだけ。そこはたしかに否定するのはおかしい……か。


「気楽なの。思ったこと、好きに話せる感じがするし」


 横を向いたままそれだけ言う。ちらりと二人に視線をやると、にやにやしてこちらを見ていた。……もうこれ以上は言わない。

 拗ねた気持ちで黙って焼き菓子に手を伸ばしていたら、気遣うようにエリカが言った。


「でもまあ、あまり深入りしない程度にね」

「……うん」

「どうしようもないときは、私たちと騒いで忘れちゃうのよ!」


 力強いエリカの言葉に、「ありがとう」と返した。


 私の婚約者候補は五人。そこにラクサは入っていない。上流階級の政略結婚には互いの割り切りが不可欠。婚約が正式に結ばれる前なら、いい雰囲気だった別の相手がいても、多少なら目を瞑るべきという空気がある。実際にどこまで割り切れるかは人に寄るけど、少なくとも周囲は見逃してくれる。

 ただし、いい雰囲気、だったならだ。本気で好きになった様子を見せてしまうとか、ましてや恋人なんてものになってしまえば話が変わる。


 二人は、ラクサという異性のがいることは否定しない。過剰なほどチドリに構うアルベールたちのことを、よく思っていないから余計にだ。そして同時に、私と彼が節度を持った付き合いに留めるだろうと信用してくれてもいる。


 私だって、ラクサとどうこうなるとは思ってない。大体、彼は人ではなく神様だ。想いを寄せたってどうこうなる相手じゃない。

 それにこのままゲーム通りいけば、彼はチドリに封印される。

 このことは彼には伝えられないでいた。

 ゲームと違って世界を守りたいと言うラクサが、本当に封印なんてされてしまうのだろうか。でもじゃあ一体どんな運命を辿るのか、考えてもわからない。

 私にこれ以上、余計なことを考える余裕なんてない。

 ないはずだ。


「そろそろ、彼がくる頃ね」


 エリカが壁にかかった時計を見る。

 今日の午後は、彼を交えた四人で訪ねる予定の場所があった。


「雨が強くなってきたし、少し遅れるかもしれないわ。ラクサは早めに向こうを出るとは言ってたけど」

「最近続いてるね。山の方じゃ雨が降りすぎて、道が危険だから訪問がなしになった場所もあるって聞いたよ」


 心配そうにイヴォンヌが窓の外を眺めた。

 騎士団の付き人同士でも、情報交換や労いなどでちょくちょく集まることがあるらしく、そこで仕入れた情報をこうして私に教えてくれる。私のほうは交流は最低限にしていて、自慢じゃないが情報を得るのは遅い。

 ラクサも今日はその付き人同士のお茶会で、時間になったらこちらに合流する予定なのだ。


「憂鬱だわ。雨ばっかりって。酷いと頭が痛くなるのよ」


 大きくため息をついたエリカは、椅子にぐったりと背を預けた。昨日から、彼女は頭痛にいいというハーブティーばかり飲んでいる。


 今日これから向かう場所は物語のなかでもマツリ・カルフォンが訊ねた場所だ。つまり、私が悪役令嬢として活躍する場面があるところ。

 でも雨の日だったっけ?

 いくら考えても、天気の描写がされていた気はしなかった。

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