23:神様の名前
「体を持つのは久しぶりだ」
引っ張り上げてもらったあと離した手を、感慨深そうに彼が眺めた。
「私が封印を解くまではどこにいたの?」
「俺の大半は、今もここに封じられたままだよ」
「えっ、どこに」
「この空間そのもの。おそらく人間には理解できない。俺も理解できるよう説明できるとは思わない」
見回してみるけど、何もないただの広間だ。何かを模した像だとか、いかにもそれらしい置き物なんかがあるわけじゃない。
ああでも、目もあけられないほどの威圧感を彼に感じたのは、ここが彼の封じられているまさにその場所だからか。そう思えば納得だ。
「ほんの少しだけ自由になった力を逃して、こうして人の形にして存在してる。ただ、この体だけでは大したことはできないな。自由になる力が少なすぎるみたいだ」
「記憶がないのもそのせい?」
「理解が早くて助かるな。俺は自分が何を思ってこの形をとったのかも覚えてない……」
そうなんだ、と頷くけれど完全にわかったわけじゃない。
「本来なら、人の形の俺も、どこかで休ませている神としての俺も、すべて繋がっていて同じ存在だ。当然だけど神として知っていること、考えていることは、人の形の俺が知っていることで考えていることだ。同じ存在だから」
「はあ……」
自分にない、感覚的なものは理解しにくい。理屈ではわかるような気もするけど……。
「でも今は、その繋がりが細すぎる。封じている力がそれだけ強力で、余裕がないんだ」
自分の一部が記憶ごと行方不明みたいな感覚だろうか? 神の在り方って、人間とは違いすぎる。人はばらばらになったら生きられない。
彼は、私が入ってきたほうを指差した。
「君があの扉を開けたから、こうして人の形をとれるだけの小さな綻びが生まれた」
「黒い魔女の復活が近づいている証よ」
人間が触るだけで扉は開いてしまうほど、不安定なものになっている。
彼が詳しいことを覚えていなくても、私には前世で得た知識がある。このまま黒い騎士を四人解き放つことで、黒い魔女の封印も緩んでいく。世界を守るという彼の思いが本当だとしても、かつて魔女と共に彼がこの地に封じられたことはたしかなのだ。
「気を悪くしないで欲しいんだけど、私たちが知っている昔話だと黒い騎士は世界を滅ぼそうとしたと言われているの。どうしてかしら。あなたが黒い騎士だというのは、間違いないと思うんだけど」
この辺りにもう一人別の神が封印されているなんてことがない限り、彼が十中八九、悪神と呼ばれる黒い騎士だ。闇に溶けてしまいそうな黒髪に黒い服なのも、それを確信させる。
「言っただろ。人がどう語ろうと関係はない。人間が必ず真実を知るとは限らない」
「そうだけど……」
気になるところではある。伝わっている話に間違いがあるのか、それとも記憶が戻ったとき、彼に何か変化が起こるのか。
「どうしても気になる? 何を聞かれようと、俺には答えようがないけどね」
「ううん、今はいい」
首を振って、気持ちを切り替える。
「それより、さすがに皆のところに戻らなきゃ。行方がわからないって騒がれちゃったら困るし。この部屋から出るにはどうすればいい?」
「それはもちろん、そこの扉から」
もう一度、彼は扉を示した。
「閉まってるけど」
「きっと君が触れたら開くだろう。でもこの空間から出るくらいだったら、俺の力で一瞬で――」
意味ありげに彼は黙る。私も黙って彼を見つめた。数秒ののち、彼は戸惑ったように目を瞬かせた。
「一瞬では行けなかった」
「……何が?」
「思った以上に、この体には力がない。いくら繋がりが細かろうと、俺のほとんどが存在するこの空間の中からなら、外へ一瞬で出るくらいの芸当を披露できると思ったのに」
そんな芸当ができるんだ。いや、今はできなかったけど。
「失敗した。神様らしいところは見せてあげられないみたいだ」
なんだかしょんぼりしている。
ええと、強力な味方を得たと思ってたけど、そこまで強力ではなかったかもしれない。
だけど別にいい。もともと、マツリが悪神の力を借りて大がかりなことをしでかすことはないから、問題はない。
というか……物語の中のマツリは、自分が解放したのが悪神だって最初は気付かなかったのかもしれないな。
世界を守るとこんなに主張する存在が黒い騎士だなんて、物語を知る私だからこそ信じられる。何も知らないゲーム内のマツリは、世界を滅ぼすつもりはなく悪神を解放していっただけかもしれない。チドリや婚約者候補たちが持ち上げられていく裏で、自分も本当は神に選ばれた存在だと密かに満足しながら。それが最終的には――。
まあ、ここでぐちゃぐちゃ考えても仕方ない。
私のすべきことは、ゲームで読んだ通りの正しい物語を紡ぎ、世界を救うこと。
そこをぶれさせるわけにいかないのだ。
「一瞬で飛べないなら、歩いていくだけよ。ほら、行きましょ」
「……ああ」
「ちょっと、へこまないでよ。嫌みじゃないから。ね?」
なんか子供っぽい。笑いそうになりながら促して、扉に手を当てた。彼の言った通り、またも急に目の前の感触が消える。ちょっとよろけたけど、すかさず支えてくれる腕があったから転ばずに済んだ。
部屋から出ると、そこには少し前と変わらず上に続く階段があり、松明が燃えている。何故か彼は「松明が燃えてる……」と当たり前のことを呟いて、さすがに私を不安にさせた。神としての力がほとんどないのはいいけど、人間としての一般的な知識とか振る舞い方は忘れていないでほしい。
「あのローブは――」
「私よりもずっと前に、ここにたどり着いた人がいたんだと思う。でも扉を開けられずに、ここで息を引き取ったんでしょう」
隅のほうにある布の塊に彼が注目する。私は直視するのを避けたまま、そう説明した。彼は目を細めて、ローブの方を観察している。
「何か覚えてる?」
「ここもまた、人間の生きる空間とは少し違ってる。神のための空間と人の生きる場所を繋ぐためのところだから。この人間がここに来たことを、俺は気配で感じたとは思うが……」
「今の、人の形をとっているあなたには記憶がない」
「そうだ」
思い出せないのが申し訳なさそうに、彼は頷いた。
さっきからへこんだ様子ばかりなのが気になって、私はふと思いついた話題に変えてみる。そういえば、大事なことを確認していなかった。
「ねえ、一つ聞き忘れてた。あなたのことはなんて呼べばいい?」
「ラクサ」
「ラクサ……様?」
彼は――ラクサは、思いきり嫌そうに顔を歪めた。
「だって神様相手に敬称をつけずに呼べっていうの? 普通に喋ってる時点で今さらかもしれないけど、でも」
色んなことが起こって混乱して意識していなかったけど、私、どうして彼相手にこんなに普通に話せるんだろう。
悪神と呼ばれていても、彼は敬われるべき人を超越した存在のはずだ。本来なら気安く接していい相手じゃない。
「なら、君のことはなんて呼べばいい?」
「マツリ、と」
「マツリ様」
「……ごめん、やめてください」
鳥肌が立った。彼に様付けで呼ばれるなんて違和感しかない。そんな私の様子に、彼がにやりとした。
「君が俺のことを敬称つけて呼んだり、言葉遣いを変えたら、俺も同じように敬称をつけて言葉遣いも変える。――よろしいですか、マツリ様?」
「ああもう、わかった。じゃあラクサ!」
叫ぶように名前を呼ぶと、楽しそうにラクサが笑う。
「マツリ」
「これからよろしくね」
「ああ、よろしく」
ふふ、と互いに微笑み合うのはちょっと照れくさかった。
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