22:一人目の黒い騎士

 睨んだ通り、私の手が触れたのは魔法石だった。この石の扉全体が魔法石でできている。継ぎ目のないところを見ると、一つの石から削り出したものだろうか。こんな大きい魔法石が存在するなんて聞いたことがない。この空間が人の手によって作り出されたものではないと、改めて実感した。

 触れて力を込めるイメージをすると、またも体の力を奪われる。


「えっ? うわ!?」


 力が抜ける心の準備はしていたけど、まさか目の前の扉が消えて向こう側に倒れるなんていうのは予想外だった。

 思いきり前につんのめって倒れ込むけど、なんとか両手をついて顔面を床にぶつけるのは回避した。

 振り返ると消えたはずの扉は元の通り存在していて、隙間なく閉じられていた。階段を降りはじめたときと同じく、後戻りはできない仕掛けらしい。


 床にへたりこんだまま、自分のいる場所を確認する。

 暗い、円形の広間だった。天井は高く、丸いドーム型になっている。窓はない。灯りとなるものは隅の方に置かれた燭台のロウソクの炎だけ。


 あの赤い瞳の彼が出てきた夢の場所に似ている。

 そして、部屋の中心に人影らしきものが立っていた。


「あ、あ、あの」


 そう、人がこちらに背を向けて立っている。ロウソクの炎によるぼんやりした明るさのなか、少し俯いて自分の手元をじっとみつめるシルエットだけが認識できた。


「あの、あなたが」


 緩慢な動きで振り向いた彼は、綺麗な赤い瞳をしている。暗くて離れているのに、それだけははっきりとわかった。そしてあの夢の中で見た彼だということも。

 振り向いた彼は、そのままゆっくりとこちらへと歩いてきた。光が少ないせいで黒いシルエットしか見えてないと思ったけど、彼の身に着けている服もそもそも真っ黒だった。いつでも闇の中に溶けられるようにしているみたい、なんてことを思う。

 へたり込んだままの私は、正面に立った相手を下から見上げる形になった。


「君は?」

「え? ええっと、初め……まして?」


 黙って見つめ合った。


「私のこと知ってる、のよね?」

「初めて会った気はしない」

「夢の中で会ったでしょ? それに誕生日パーティーでも」


 婚約者候補なんて全員断ればいいなんて言ったり、私のつけていたピアスに愛おしそうな視線を向けてきたのは彼だ。

 そうだ、あの赤い石のピアス。神殿巡りの旅に持ってきてはいるけど、大事にしまいこんだままだった。今日もつけておけばよかった。

 彼は考えるように顎に手を当てる。心当たりが本気でなさそうな様子にちょっと焦る。


「ねえ、あなたって私の夢に出てきた神様でしょう? 誕生日パーティーでも私の前に姿を見せたじゃない」

「覚えがない。というか、ここに俺がいる理由がはっきりしない。ここに来る前に何をしていたかも覚えがない」


 目線を合わせるように、彼がしゃがんだ。


「俺をここに封印したのは君?」

「いや、そんなわけないでしょ……」


 物語通りなら、黒い魔女の復活までは悪神たちはマツリに従っている。それは封印を解いた者が悪神より優位に立てるとか、そういう仕組みがあるのだと思い込んでいた。でも、もし彼がいわゆる記憶喪失なら、そこに付け込んで言いくるめて味方にした可能性もある? そんなことできるのだろうか。

 目の前の彼は何らかの説明を要求するがごとく、その綺麗な瞳を鋭く私に向けている。適当なことを言って誤魔化せる気がしない。


「あの、ええと、あなたはね、黒い魔女って呼ばれる存在が封じられたときに一緒にここに封印されたのよ。黒い騎士って呼ばれてたんだけど」

「黒い騎士……」


 言われた言葉を繰り返す彼は、本当に記憶がないようだった。

 それにしても、彼から発せられる殺気ともいえるような威圧感がすごい。誕生日パーティーのときとは全然違う。夢じゃないせいなのか、場所のせいなのか、体が勝手に強張ってしまう。

 落ち着けと内心で言い聞かせるけど、彼から視線を外さないので精一杯だ。


「黒い魔女を復活させるために、私があなたを解き放ってあげたの」


 わざと恩に着せる言い方をする。こちらが上の立場だと主張するように。でも、返ってきたのは思いもよらない反応だった。


「『封印された黒い魔女』……あれが解放されたら、世界は滅ぶ」

「そう。それは覚えているのね。だからあなたは――」

「だからあの封印だけは守らなくちゃいけない。それだけはわかる。絶対に忘れるなとこの身に刻み込まれた記憶だ。君はこの世界の滅びを願うのか」


 冷ややかな目で見つめられて鳥肌が立つ。本能的に危険を感じ、反射的に首をぶんぶん振っていた。


「違う。せ……世界を滅ぼしたいのはあなたでしょ?」

「なぜ俺が?」


 またも黙って見つめ合う。


「だ、だって伝承だと、黒い魔女と共に黒い騎士が世界を破滅させようとして、それを止めようとした白い聖女と白い騎士が、守護神オトジと力を合わせて封印したのよ」

「人がどういう風に語ろうと、俺に世界を滅ぼしたい願望はないよ。ただあるのは……世界を守れという強い思いだけだ」

「本当に?」

「本当だよ。というか、その思い以外の記憶がない」


 私を騙そうとしているわけじゃないよね?

 彼は悪神として知られている存在だ。何か企んでいて、嘘をついている可能性を疑うのもやりすぎだとは思わない。

 でもこんな嘘をついて何になるかと言われたら、何も思いつかない。


「それで? 君は黒い魔女の封印を解きたいんだっけ?」


 さっきよりもいくぶんか、優しい目になっていた。一度彼に怯えるような態度を見せた私が、肯定するはずなどないと確信している。

 そう思ったら、途端に反発心が湧いた。


「そ……その通りよ」


 目の前の彼がいくらすごもうが、私の目的を誤魔化したりしない。


「封印を解いて、黒い魔女を復活させるわ。だって、そうしないと世界が滅ぶから」


 途端に体中にぞわりとした感覚が走った。彼は何も言っていないし、動いてさえいないけど、それが彼のせいだと直感する。

 ただの人間に神が本気で殺気を向けたら、こんな感じなのだ。だんだんと体中がピリピリしてきて、私はもう目の前の存在を直視できなかった。


「さ、殺気を向けるのをやめて!」

「封印を解けば世界が滅びる。そう言ったはずだ」

「黒い魔女の封印はもう解けかけてるのよ! 誰かが封印をし直さなきゃ、世界が破滅するの!」


 目を瞑ったまま叫ぶ。叫び終わると向けられていた殺気が消えた。そろそろと目を開けると、彼は驚いたように目を見開いていた。


「封印が解けかけてる……」


 言いながら眉を寄せ、明らかに険しい表情になる。


「でも、わ……私がなんとかするわ」

「君が?」

「いえ、違う、間違えた。なんとかするのは聖女に選ばれる女の子だけど、そのお膳立てを私がしてみせるわ」


 赤い瞳の彼は、怪訝な顔だ。でもまだ否定の言葉を口にしない。聞いてくれる気があるうちに、最後まで説明しきらなければと必死になる。


「説明が難しいんだけど、未来予知のようなものを見たの。その通りにすれば黒い魔女の封印は解けるけど、同時に白い聖女の力を持った新しい聖女が誕生して、もう一度封印がし直せるのよ」


 彼の手が伸びてきて、指先が私の頬に触れた。


「たしかに、ただの人間じゃない気配がする」


 私に言っているというより、言葉にしながら確認しているようだった。

 人間じゃない気配ってなんだ。前世の記憶があることと関係する? もしそうなら、私をこんな運命に導いた存在がいるということだろうか。


「神に選ばれたということか? しかしどういう理由で……」

「そんなの、私が知りたいわ」

「未来予知ってどういう内容?」

「簡単に言うと、私が悪役として聖女候補の女の子と対立しながら、あと三人の黒い騎士を解放するの。タイミングを見ながらね」

「君が悪役になる必要はあるのか」

「私が知る正しい物語通りになると、どうしてもそうなっちゃうのよ」

「損な役回りだな……」


 ぽつりと漏らされた言葉にはっとする。彼は困った顔をしていた。理解できないものを見るような、そんな表情で。


「神に命じられた使命だからって、なんでもかんでも喜んでこなす必要なんてないのに」


 かっと頭に血が上るのがわかった。

 


「わ、私だって好きでやるわけじゃないわよ!」


 まだ私の頬あたりを彷徨っていた彼の手を、ぱしんと叩き落とす。


「なんで私が、喜んで人に恨まれて悪役になって破滅すると思うのよ」


 彼を叩いたあとの手を持っていきどころがなくて、私は床に広がったドレスのすそをぎゅっと握りしめて俯く。


「私だって、いちいち周りの目を気にして神経質になりたくないし、本当はもっと好きな相手と好きに過ごしたりしたい! したかった!」

「君は――」

「でも仕方ないじゃない。気付いちゃったんだから……!」


 私は世界を救う方法を知ってしまった。なら、やるしかないのだ。

 しばらくの間、私も彼も黙っていた。

 私はただただ俯いて、何か言ってくれるのを待った。自分から切り出す言葉は思い浮かばなかった。


「ごめん。もっと君の本心に気付くべきだった」

「え?」

「無視できないのは、君が持って生まれた気質なんだろう」


 彼はやっぱりどこか困ったような顔をしていたけど、さっきのように嫌だとは思わなかった。深呼吸してから、私は肩の力を抜く。


「その。八つ当たりしたわ。叩いちゃったし……ごめんなさい」

「俺の言葉が悪かった。何もしてあげられることはないけど、八つ当たり程度ならいくらでも」


 でも私、いわゆる神と呼ばれる存在の手を叩き落としたわけで……。

 やってしまった実感がじわじわと湧いてきて、不安になって彼を見る。本当に気にしてない?


「たぶん君だから許せる」


 意味がわからなくて首を傾げると、彼もつられたように首を傾けた。


「わからないけど、そうなんだ」

「そ、そう」


 神にわからないことが、私にわかるわけもない。


「君の知る物語は、俺が代わりに紡ぐことはできない?」

「たぶん私のほうが確実だと思う」


 今の時点でもゲーム通りにすんなりと進んでいない。イレギュラーが起こったときに一番対処しやすいのは、やはり私だろう。


「そうか。なら俺は君の保険になろう。君が疲れて倒れたときは、俺が続きを引き継ぐよ。君ほど上手くはできないかもしれないけど。世界を破滅させたくないのは俺も同じだ」


 立ち上がった彼が、座りこんだままの私に手を差し伸べてくる。


 その手をとったとき、ずっと背負っていた何かが少しだけ軽くなった気がした。

 たぶん、こうして自分の重荷をわかってくれる相手を、私はずっと探していたのだ。

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