21:地下への階段

 ちょうどよくここに来れたのは偶然なんだろうか。

 少しの間、私はタペストリーをただ眺めた。大きな鳥はくちばしに何もくわえておらず、優雅に空を飛んでいる。


 イラが消えていった曲がり角にふと視線を戻す。

 追いかければ間に合うかもしれない。

 あの一瞬見えた金の瞳が本当に勘違いじゃないのか、もっと踏み込んで確かめてみるのもありなんじゃないか。私の知る物語とは離れてしまうけど。


 もう一度、タペストリーに視線を戻す。

 ゲームに出てきた場所に来れば何とかなる気がしてたけど、何とかならなかった場合はどうすればいい……?

 自信満々でやってきたはずだったのに急に不安になった。

 きょろきょろと周りを確認するけど、特に変わったところはない。人が近づいてくる気配もなければ、不思議なことが起こりそうな兆しもない。近くにあった窓から空を見上げてみるけど、ここからでは月は見えないようだ。

 目を瞑ってあの赤い瞳の彼を思い浮かべるようにして、祈りを捧げてみる。


 あなたが伝承にある黒い騎士なら、私が解放してあげる。

 だから、今すぐここに姿を現してほしい――。


 しばらくそうやって強く念じてみた。


「来ない」


 誕生日パーティーのときのように、不思議な存在が近くにやってきたりしない。何も起きない。どうすればいいか迷って、もう一度周囲を見回す。

 このままここで、世界の破滅が確定してしまったらどうしよう。私しか止めることができない、逆に言えば私なら止められたかもしれない破滅がやってくるのを、ただ見守るだけになってしまったら?


 いや、まだだ。ここで諦めるわけにはいかない。

 暗い思考を振り払い、タペストリーに近寄って丹念に確かめる。昼間は鳥が鍵となったんだから、今だって同じものを調べれば何かあるかも。

 ロウソクをかざして、ゆっくりと描かれた模様をなぞっていく。


「あ……」


 鳥の瞳の先に小さな赤茶色のインクの汚れのようなものがあった。糸の色じゃない。後から誰かがつけた色だ。

 複雑なデザインの中に埋もれて、多分普通に見るだけでは気付かない。小さな点を囲むようにして同じくらい小さな点が四つ周りにある、模様のような落書きだ。私だって、何かあるはずだと目を凝らして確かめなかったら絶対に気付けなかった。


 五つの点だけで作られた、とてもシンプルなその模様がどうしても気になって、他にもないかと探す。

 最初に見つけた模様から少し離れて、同じタペストリーの端のほうにも一つ。

 なんとその近くの壁にも一つ。

 さらに一つ。

 段々と高さが低くなり、四つ目はほぼ床に近い場所にあった。暗い色の石でできた壁につけられた小さな模様は、タペストリーにつけられたものよりもっと目立たなかった。


 五つ目は見つからない。隠し階段というからにはどこかスイッチでもあるんじゃないかと、四つ目の印がつけられたあたりに触れた瞬間、そこだけが違う素材だと感じた。

 そのあたりだけ魔法石でできていると直感したのだ。


 しゃがんで印のあたりに触れ、指の先に力を込めるイメージをして、すぐ。体中から力が抜ける感覚がした。発動させたい魔法の種類によっては、体の力を奪われる感覚があるのはおかしなことじゃない。でも、こんなに持っていかれるのは初めてだ。


「くっ」


 しゃがんでいた状態から体を崩して倒れ込みながら、燭台を持った手をなんとか維持する。ほとんど這いつくばった格好になって顔を上げると、ぽっかりとした暗い空間が見えた。


 見つけた――!


 壁に、人が一人通れそうな縦に長い四角い穴がぽっかりと出現していた。灯りがちょっとだけ届いて、その穴の先に下に続く階段があるのがわかる。

 気が急いてしまって、そのまま這いずるように階段に近づく。

 これだ。間違いない。こんなところに隠し階段がいくつもあってたまるか。

 昼間に続いて、最高に調子に乗ってやりたい!


 でもそんな気持ちは次の瞬間にすっと落ち着いた。

 階段の先は真っ暗な闇で、そこを照らそうと燭台をかかげたときだった。空間の奥からふっと風が吹いてロウソクの火を吹き消したのだ。

 こんな屋内で、手元にだけピンポイントで火が消えるほどの風が吹くなんて、絶対に普通じゃない。


 つい先に進むのをためらいたくなる。でも不思議なことに、奥にある何かにおいでおいでと呼ばれている気もした。

 私が来るのを拒まれているわけじゃない。


 少し迷ってから燭台を床に置く。抜けていた力もようやく戻ってきたので立ち上がると、スカートのすそを軽くただす。一呼吸おいてから、私は右手を壁にあててそろそろと階段を降りはじめた。




 暗闇の中で一段ずつ、探るようにして何段か進んだときだ。急に周りが明るくなった。


「ぎゃあ!?」


 いきなりすぎてびっくりして、さすがに叫び声をあげてしまった。反射的に自分の手を口にあてて塞ぎ、後ろを振り返る。今の声で誰かがやってくるかもしれない。


「戻れない……」


 背後にあったはずの、神殿の廊下に続く穴がきれいさっぱりなくなっている。そこにあるのは、私の右手が触れているのと同じ石の壁だ。

 先に進むしかないらしい。

 見回すと、壁の高いところに設置された松明が燃えている。間隔をあけて設置されているすべてに灯ったらしく、緩くカーブを描いた階段の先のほうまで明るいのがわかる。


 ロウソクの火を吹き消した風と同じく、間違いなく普通じゃない。

 というか、この階段もなんだかおかしい。向きと長さからして、神殿の地下室とぶつかっておかしくないのに。

 外とは遮断されているようなのに、空気の澱みもない。ちょっとひんやりした澄んだ空気が流れていた。


 難しいことを考えるのはやめ、ただ階段を降りる。

 長いような気もしたし、大して時間はかかっていない気もする。


 そうして辿りついた先には、小さなスペースと大きな石でできた扉があった。何の飾りもなければ、開けるための取ってもない。ただ切れ目の感じからして扉だろうと推測する。

 そして気になるのは、隅のほうに何か布の塊があること。丸められたようにして置かれた布は、見間違えでなければ神官が羽織る黒いローブに見える。ええっと、こういうところで衣服らしきものだけあるってことはないだろうから、あの布の下にはおそらく。というか、さっきちらっと白いものが見えたような見えなかったような。


 確認するのが怖くて、あえて視界から外したまま扉の前に立った。

 あのローブの持ち主だった神官は、私の前にここにたどり着いた人だよね。

 もしかしてあの模様をつけた人だったりして。


 もしかして……私みたいにこの世界の破滅の予兆に気付いた人だったりする?


 そう考えると怖いのが少し消えて、私は黒い布の塊へと目を向けた。

 相当古びているようだけど、神官がまとう黒いローブだと思う。やっぱり直視はできなくてすぐに目を逸らしてしまったけど、胸にあるのは切ない気持ちだった。

 私と同じように世界の破滅の予兆に気付いて、何らかの策を講じるためにここに来たのか。それとも、世界なんて壊してしまうためにこの扉を開けようとしたのか。はっきりしているのは、目的は果たせずにここでその生を終えたこと。


 私は目的を果たすよ。

 見たこともない、かつて生きていた誰かになぜか妙に共感してしまって、そう心の中で宣言する。

 そしてそっと石の扉に手を押し当てた。

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