20:夜の第二神殿

 パーティーの場を抜け出す際、火のついた燭台をひとつ拝借した。見られないよう気を付けながら、人気のない神殿へ入る。

 不安定に揺れるロウソクの光のみで歩く神殿は、昼間よりもっと何かが潜んでいそうな雰囲気があった。濃いえんじ色のドレスで来たけど、黒のほうがよかったかな。そのほうが暗闇の中に紛れやすそう。次は気をつけよう。


 チドリが正しい行動をとっていると、ゲームでのマツリもパーティー中にそっと抜け出す。理由ははっきりとは描かれないけど、タイミング的に大広間で鳥モチーフの何かに触れようとしていたんだと思う。

 家の力で聖女に選ばれると信じてはいるものの何か不安を感じたのか、単に負けず嫌いで衝動的なものだったのか。そこは不明だけど、とにかく彼女も自分を試してみようと思ったんだろう。

 でも彼女は神の加護を得られるどころか――悪神の封じられた部屋を見つけてしまう。


 私もなんとか、見つけなくちゃならない。

 一応、この神殿のどこに悪神が封じられているのか、あらかじめ調べようとはした。図書館で専門書を漁ったり、詳しい教授にそれとなく質問したり。でも何の手がかりもなかった。

 そもそも黒い騎士が封じられた場所については、何も伝わっていないらしいのだ。

 調べてもわからないなら答えはひとつ。きっと今夜、隠された場所に気付ける何かが起こるに違いない。


 ゲームだと、廊下でこそこそしているマツリを他の騎士団員が見かける。目撃した相手もこっそり広間へ来た一人だったこともあり、誰にも言わない。だけど物語の後半、マツリが何かよくないものを解き放ってしまったのではないかと疑いが出てきたとき、そういえばと告白するのだ。

 そういう情報がいくつか合わさって、マツリが黒い騎士もとい悪神を解放してしまったのだとチドリたちは推測する。


 第二神殿でマツリが目撃されたのは、大広間に近い廊下の、大きな鳥が描かれたタペストリーが飾られているあたり。連絡を受けた神官が近くを調査した結果、地下へと続く隠し階段が見つかる。


 ゲームで描写されていたタペストリーのあたりに行けば、あの赤い瞳の彼が姿を現す。そうして私を導くはずだ。誕生日に見た白昼夢みたいに。

 根拠もなくそんな想像がずっと頭を占めていた。


 いくつかの曲がり角を慎重に進み、もうすぐ広間というところで人の気配を感じる。咄嗟に手元のロウソクを消し、曲がったばかりの角に戻った。

 壁に背中をつけて様子を窺うと、ロウソクの灯りが小さく見えた。距離はあるし、どうもこちらにはやってきそうにない。


 もしかしたら、見られずに済むかもしれない。


 見つからなければ、私が悪神を解放したことがバレる可能性が減る。つまり破滅しなくて済む可能性が少し増える。

 とはいってもどこかで諦めてもいるけど。見られることを恐れて、地下に行かないという選択はできない。ぐずぐずしていて地下を発見できなければ、世界のほうが破滅してしまう。

 もう、本当に損な役すぎる。

 すべてが予定通りに進んだら、この国で敬われている神様の頂点にいる守護神オトジにだって、文句の一つや二つぶつけて許されるのでは。


 誰かの持つロウソクの灯りが離れていって、ほっと息をつく。自分のは火を消してしまったから、近くの窓から差し込む月明かりだけが頼りだ。その辺に燭台を放置するかと迷いながら足を踏み出したときだった。


「こんなところで何してるんだ?」


 背後から声をかけられ、驚きであやうく燭台を落としそうだった。


「イラ! あなた、こんなところで何してるの」

「それはこっちの言葉だよ」


 いつの間にか、背後にイラがいた。手には小さな燭台と火のともったロウソク。前方に意識がいきすぎていて気付けなかった。


「もしかして、あなたが私を目撃する人……」

「ん? どういうこと?」

「い、いえ、こっちの話」


 ゲームでも彼がマツリ・カルフォンを目撃する騎士団員とやらなのだろうか。

 もしそうなら、婚約者候補だって情報も描かれないはずないと思うんだけど。それとも、私が人目を避けたせいで別の相手に目撃されることになったとか?


「この先は広間だよな。あなたも鳥の形をした何かに触れてみたくなった? 神様に認められるか試すつもりかな」


 私は返事をしなかった。沈黙を勝手に肯定ととらえてくれて結構だ。それよりも――


「ねえ。私をここで見たこと誰にも言わないで」


 最後には人に話してしまうときが来るとしても、しばらくの間は黙っていてもらわないと困る。疑惑が私に向くのが早すぎては、予定が狂ってしまう。


「人には知られたくないの。黙っていてくれたら、あなたを婚約者にするようおばさまに口添えしてもいいわ」


 もし私が破滅しなかったら、の話だけど。イザベラが私の意見を聞くかどうかなんて知らないけど。


「俺の家としては、ありがたい話だね。でもそこまでするほど?」

「ええ。……お願い」

「わかった。いいよ、黙ってる」


 拍子抜けするほどあっさりと、イラは頷いた。


「本当!?」

「うん。何があっても、何が起きても、今日ここであなたを見たことは誰にも言わないって約束しよう」

「あ……ありがとう……」


 にっこり笑うイラに、なぜか不安になる。何があっても何が起きても、か。これから何が起こるか知っている私には心強い言葉だ。けど、やけに大げさだなって思ってしまった。


「ええと、それでイラも広間に行きたくてここに?」

「んー、まあそんなところかな」


 先導するように歩き出すイラに、とりあえずついていく。

 私の目的地は本当は広間じゃないけど、怪しまれないために途中までは一緒に行動したほうがいいだろう。


「パーティーはあんまり楽しくなくてさ。抜け出してきた。あなたなら、ああいう場はどうやって楽しむ?」

「難しい質問ね。飲食を楽しむとか――」


 私もああいう場で楽しんだ記憶は少ない。イザベラが目を光らせている場ではおとなしくしておかなくちゃいけないし、楽しむって発想がなかった。

 でも、神殿巡りが始まってからはちょっとだけ変化している。


「知り合いとか……友だち、と話したりとか」

「友だちってあの女性二人のこと?」

「う、うん」


 言葉にするとむず痒い。イラは小さくため息をついた。


「俺も人と喋るのは嫌いじゃないけど、今のところ大きく心を揺さぶられたことはないんだ。どうすれば、そうやって楽しめるほどになるんだろう?」

「私に訊かれても」


 そんな問い、突然こんなところでされたって困る。


「喋る相手をもっと選ぶべきなのかな」

「あまり過剰な期待をするのはよくないんじゃない。私はエリカやイヴォンヌと喋るたびに、毎回感動してるとかじゃないわよ」

「じゃあ、何を楽しんでるんだ?」

「えっ。何をって……なんだろう」


 どうしてこんな人生相談みたいな会話をしてるんだろう。

 大体、わざわざ人に訊ねなきゃわからない内容?

 ……って思うけど、案外自分も簡単に答えられる問いでもない。適当に流そうとしても、その適当な答えもすぐには出てこない。


「話してそれを聞いてもらって、返事が戻ってきて。なんとなく思いを共有できたら、それが楽しい……とか?」

「なるほど」


 興味深そうに相槌を打つイラは、けして茶化すような感じはない。真面目に私の言葉に頷いているらしい。


「私だってよくわかってないから、自分で答えを見つけてよ」


 人付き合いをしたことないって相手に、最初の一歩を教えている気分だ。


「あなたもよくわかってないのか。意外だ。驚くくらい一生懸命なのに」

「何のこと?」


 立ち止まったイラが、くるりと振り返った。

 ロウソクの炎が揺れて、彼の顔の影の部分も揺れる。そのせいか、イラが何を考えているのか読めなくてそれが無性に胸をざわつかせた。


「騎士団のことを言ってるの? それはまあ当然のことよ。カルフォン家のこともあるし、任命された以上はね」

「ふうん。神殿巡りが終わるまでに、俺にもあなたの考えが理解できるといいな」


 私は「はあ」と気の抜けた返事をするだけだ。どうして彼が私の頑張る理由を理解したいんだろう。婚約者になるかもしれないから?


「さてと。すぐそこが大広間だよ。中まで俺と一緒に行く? あなたが神に選ばれるところを、俺が見届けてあげようか」

「その言い方じゃあ、私が神様に振られると思ってるわね」


 一応、私だって神の加護を受ける予定だ。悪いほうの神様だが。


「さあ。案外やってみたら成功するかもしれない。でもあなたには、騎士より聖女が似合うんじゃないかな」


 イラは自分の燭台を寄せて、私の持っていた燭台のロウソクに火を灯してくれた。必然的に彼との距離が近づく。手元を見下ろす彼の瞳が、一瞬ありえない色に見えた。


「ねえ、あなたの瞳って――」

「俺の瞳がどうかした?」

「光の加減で違う色に見えるのね」


 まただ。一瞬だけど違う色に見えた。

 本当に気のせいなのだろうか? 今、このタイミングで神の瞳の色をした存在と対峙するのは、偶然とは思えなかった。


「何色に見えた?」

「……金色」

「今も見える?」

「ううん、ただの薄茶色よ」

「なら、気のせいだよ」


 いまいち納得しきれていない私を置いて、イラは去って行く。少しすると、彼の持つロウソクの灯りが曲がり角の向こうに消えていった。

 そこまで見届けてから、私はすぐ横の壁を見上げる。


 壁には、大きな鳥が描かれたタペストリーが飾られていた。

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