2章

16:神殿巡りの始まり

「――あなた方の祈りが、これから十年間の世界の平穏に繋がりますように」


 檀上に立った黒いローブの男性がそう告げて、白銀騎士団が正式に結成された。

 石作りの建物の残骸みたいなものが一つ、ぽつんと残る原っぱ。首都郊外にあるここは、由来は失われたが聖なる場所として神殿の管理下に置かれている。普段は立ち入ることが禁止されたこの場所で、白銀騎士団は始まる。


 そしてこれは、半年にわたる祭りの始まりも意味する。これから最終日までの期間、オトジ国では各地で大小さまざま、その土地に根付いた祭事やそれに便乗したいろんな行事が催される。


 百名ほどからなる白銀騎士団は、国内にある四つの主な神殿をこれから半年かけて巡ることになる。第一、第二……と数字を冠した神殿で全員で祈りを捧げたあとは、近くに数十日滞在し、手分けして近隣にある小さな神殿にも祈りを捧げにいったり、街や村を訪問する。

 騎士団の訪れを迎えるのは、人々にとってひとつの祭事であり楽しむべきイベントともいえた。


 この神殿巡りはかなり大規模な行軍になる。

 騎士団員だけでなく、たくさんの付き人が同行するのだ。各滞在地にも世話してくれる人たちがいるけれど、それとはまた別に選ばれた者たちだ。


 この付き人になることもまた、十分に名誉なことだ。なんとかもぐり込もうとする上流階級の者は多い。構成するメンバーには雑務をこなしてくれる使用人や、支配階級であることを存分に発揮し、騎士団の運営管理に関わる人物もいる。一方で、お茶会で騎士団員の話し相手になるだけって人もいる。

 金やコネはあるけど、騎士団に入れるほどじゃないって者たちへの救済措置の面があった。でもたいていは実家が多額の寄付をしたり、祭事に関わる物事の便宜をはかっていたりするので、一概に悪いともいえない。


「面白そうだし、家のコネを使って潜り込んでみたの」


 騎士団結成の宣言後、懇親を兼ねたパーティーで、私は大学での知り合い二人に声をかけられていた。

 悪戯っぽく笑うのは、複雑に結い上げた髪に高そうな髪飾りをつけ、流行最先端のデザインのドレスを身にまとった派手な美人。エリカ。

 隣で苦笑する女の子はイヴォンヌ。エリカとは真逆の素朴という言葉が似合いそうな、大人しそうな雰囲気はいつも変わらない。


「エリカはまたそういう言い方して……。素直にマツリのことが心配だからって言えばいいのに」

「私はただ、マツリが聖女になるのを見届けるのも楽しそうって思っただけよ」

「マツリ、何か困ったことがあれば私たちに相談してね」


 イヴォンヌが、エリカには構わずそう告げた。でも、私は間抜けな顔で聞き返すだけだ。


「えっと……なんで」

「なんでって、あなたねえ。まったくもう」


 エリカが呆れたようにため息をつく。


 ゲームでのマツリ・カルフォンには、何人かの取り巻きがいたような描写はあった。それに相当するのだろうか?

 取り巻きたちが何か重要な役を果たした様子はなかった。イザベラは私が特別に仲のいい相手を作るのを嫌がっていたし、私もひとりの方が目的を遂行しやすいだろうと、「取り巻き」になりそうな相手は自分から遠ざけてきた。みんな浅い知り合いどまり。付き合い上、友人と呼ぶことはあったけど。


 この二人は、その中ではちょっとだけ特別ではあった。大学で知り合った二人は、講義や食事でタイミングがあったときだけ一緒に過ごす。家に縛られずに交流が始まった、他より少し仲のいい知り合いだ。


「私は、家の関係でもともと付き人になることが決まっていたの。といっても何か仕事を振られるわけでもないんだけどね。どうせならマツリのために何か役に立てたらいいな」


 そう言ってイヴォンヌが控えめに笑った。腕組みをしたエリカは、悪巧みする顔になる


「白銀騎士団で首都を離れているあいだって、カルフォン夫人の目が届かないでしょ。もう少し、仲良くなれるんじゃないかなって思うのよね」

「でも……なんで」

「理解遅いわね? 友だちと観光がてら国中を回るのも楽しそうだなってことよ!」


 焦れたようにエリカが叫ぶ。

 私は驚いて目をぱちぱちさせるだけだ。


 友だち……そうか、「取り巻き」ではなく友だち……。

 ちょっと、いやかなり衝撃だった。将来のことを考え、そういったものは作らないよう過ごしてきたつもりだった。でも大学はイザベラの目が届きにくいから少し気が緩んでいたのだ。

 だから少々仲のいい知り合いができて――いや、友だちか。


 思いもよらなくて混乱していたら、エリカがにやりと笑う。


「それで? 報告することあるんじゃない?」


 首を傾げると、さらに笑みが濃くなる。


「婚約者候補のことよ。五人もいるんでしょ。いい人いた?」

「エリカ! そんなこと訊かれてもマツリだって困るよ」

「だって気になるじゃない」

「情報早くない?」


 問いかけると、エリカは肩をすくめた。


「だって、外国の要人の息子たちでしょ。しかも白銀騎士団。隠すほうが無理よ。それにカルフォン夫人のほうも、意図的に噂になるようにしてるっぽいわよ」

「たぶん、周りの女性をけん制したいんじゃないかな。騎士団員同士って、恋に落ちる人もいるみたいだから……」


 イヴォンヌがなかなか鋭いことを言う。たしかに、ありえる話だ。


「ねえ、婚約者候補ってあの人たち? 噂の効果、出てないみたいだけど」


 何かに気付いたようにエリカが向けた視線の先には、アルベールたち四人と彼らに囲まれたチドリがいた。離れたここからでも楽しげに談笑している様子がわかる。誕生日パーティーのときと同じく自国の正装をしているせいで、彼らの存在は目立っていた。白銀騎士団には他国の人間も選ばれるとはいえ、数は少ない。

 周囲の者たちは彼らに興味があるようだけど、声はかけられないでいるようだ。明らかにオトジ国の人間らしきチドリが混じっているのを、不思議そうに見ている。


「誰かしら、あれ」

「私の遠い親戚」


 あっさり説明した私に、エリカとイヴォンヌが驚く気配がする。

 何か用事があったのか、使用人がアルベールたちに話しかけ、四人がチドリから離れていく。ちょうどいい。予定通り行動を起こすときだ。


「私、彼女と話をしてくるわ」


 それだけ言い残し、私はチドリの方へ歩き出す。


 プロローグが終わったら、次は数日後に騎士団結成の日が物語の舞台。今日は私の悪役デビューともいえた。アルベールとの恋物語を展開しているはずのチドリに、必要な悪役令嬢としての行動をとってやるのだ。


「アルベールやユウたちと仲がいいのね」


 一人になって、手持無沙汰でぼんやり立っていたチドリに話しかける。彼女は私に気付くと、笑って「マツリ、誕生日パーティーぶりね!」と能天気に返してきた。

 互いにくだけた口調で過ごそうというアルベールの提案に、早速馴染んでいるようだ。


「みんな、王子様とかすごい人なのに全然気取ったところないの。すごいよね」

「ねえ、チドリ? 一つ、聞いておきたいことがあるの。彼らが私の婚約者候補だってことは、知っているのかしら」


 微妙に会話がかみ合ってない感じもするけど、ゲームでのマツリはチドリに対して大体こんな感じだ。自分の言いたいこと優先。会話に乗る気がない。


 ここでのマツリ・カルフォンの役目は、彼女に彼らが私の婚約者候補だと知らせること。それだけである。まだまだ序盤。マツリのほうもチドリ相手に嫉妬全開にはなっていない。うざったい羽虫をちょっと追い払っておくかくらいのノリだ。

 たしか物語通りなら、ここでチドリはショックで上手く言葉を返せないで固まる。それを見たら、満足げに去って今日の任務終了だ――。


「……うん。知ってる」

「は?」


 チドリは少し不安げな顔になって私を見た。私も怪訝な顔で彼女を見返した。


「彼らがマツリの婚約者候補なの、知ってるわ。でも私……変なことを考えているわけじゃないの。ただ、話が合うから話してるだけで」

「へえ」


 誰だ、教えたの!

 思わず眉をひそめてしまう。「わあ、怖い」と近くで誰かが呟くのが聞こえた。横目で窺うけれど誰かはわからない。


 そのまま視線をずらすとアルベールと目があった。用事は済み、こちらに戻ってくる途中だったらしい。まずい。今のやりとり、聞こえてたかも。

 彼は近づきながら私とチドリの間に入った。


「わざわざ釘を差さなくても、ちゃんとわきまえているよ」


 声音は落ち着いていて、表情は……頑張って優しい笑みを作ろうとしていた。本当はちょっとイラついているけど、怒るのはよくないと自制している。


「なら、いいのですが」

「敬語をやめようといった僕の言葉は忘れたのかな」


 嫌みで返された。こんな最初からアルベールとはぶつかりたくはない。

 それならこちらは、と俯いて下を向く。


「余計な心配をしてしまっただけ。わかっているのならいいの……」


 できるだけ弱々しく答えた。顔を見られなければ、こういうちょっと落ち込んだ感じの演技は上手いはずだ。なんたってイザベラ相手に何年も腕を磨いた。

 アルベールのほうも勢いをなくし、「いや、こちらも少々無神経だったかもしれない」なんてごにょごにょ言っている。よし。

 

 私への不信感を素直に表すアルベールは面倒だと思っていたけど、違うかもしれない。わかりやすいほうがどう反応すべきか正解をみつけやすい。これはちょっとした発見だ。これがユウとかだったらきっと、「演技上手いな」っていう冷めた目を向けてきて成功しなさそう。


「知人を――友だちを待たせているから、失礼するわ」


 さすがに長く演技し続けるのは無理なので、俯いたままそう告げて、私はさっさとその場を後にする。言い直したことに大した意味はない。知人と呼ぶの、なんとなくエリカたちに悪い気がしただけである。


「マツリ……」


 戻ると、イヴォンヌが気遣わしげに私の名前を呼ぶ。


「気にしないで、大丈夫よ」


 すまし顔で答えるけど、エリカとイヴォンヌは納得がいかなそうに顔を見合わせた。彼女たちから見たら、こっちが理不尽に負けたみたいな感じだったからな。

 でもここで大事なのは、チドリにアルベールたちと私の関係を知らせること。それで十分なのだ。そして目的は達成している。


 ……でも私の力じゃないけど。

 ふと気付く。さっきの私、特に重要なことをやったわけじゃない。

 やったのは、不必要にアルベールと険悪になりそうだったのをなんとか回避したことだけ。だってチドリは既に、婚約者候補云々について聞いていた。

 私、無駄に好感度をちょっと下げただけだ。


 これって、オープニングで丘の上に皆が揃ったことによる変化のせい?


 なんだか、だんだんもやもやしてきた。

 アルベールとチドリの仲は深まりそうな兆しがあるし、チドリは婚約者候補のことを既に知っていたけど多くて数日の誤差だし、悪くはない。でも何だろう。この消化不良感。

 何年もかけて自分の中で育ててきたやる気が、初っ端で盛大に空振ったわけで……。


「本当に大丈夫なわけ? 変な顔してるけど」

「弟がめちゃくちゃ苦い薬飲んだときみたいな顔してる」


 イヴォンヌ、その例えはどうかと思う。


「いいの、気にしないで」


 心配から困惑に変わった様子の二人には、平気だと頭を振る。


 めげている場合じゃない。大丈夫。次こそやりきる。

 この次に私の出番が来るのは、神殿巡りの最初の訪問場所である第二神殿だ。そこで本格的に悪役としての行動が始まるのだ。

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