第11話 文生、危機一発。

 あれから7年の月日が流れ、私は16歳になりました。そして、今は高校3年生。


 因みに何故、高校3年生なのかと言うとイタリアでは、小学校5学年(6歳~10歳),中学校3学年(11歳~13歳),高校5学年(14歳~18歳)で義務教育は16歳までなのです。


 そして、この7年間、本当に色々あった。


 始めの数年で貯金関係はほぼクリア。


 そして、何故か、お金を移したイタリアのメガバンクに私名義の貸金庫が存在し、中からヴァイオリンが出て来た。


 しかも、かなりお高めなやつ。


 Stradivarius(ストラディバリウス)ではなかったけれども。


 Giovanni Batista Guadagnini(ジョヴァンニ・バティスタ・グァダニーニ)1784年 制作モデル。


 時価うん億の代物。


 まさか装備品も前周回分、用意されてるの?


 初めて手に持ったとき震えて上手く持てなかったのを今でも覚えているよ。


 そして、そのヴァイオリンで様々なコンクールに出たり、コンサートでゲスト出演したり、お偉いさんのパーティーに出席して挨拶周りをしたり演奏を披露したり。


 因みにパーティー系の出席はお婆様関連が多かった。


 何故ならお婆様ったら実は良いところのお嬢様出身でパーティー内での立ち回りや挨拶の仕方なども、お婆様から直接叩き込まれた。


 昔、無意識に行っていたカーテシーの原点は此処だったようだ。


 メディアにも多少出た。


 始めは出る予定はなかったのだが、テレビ局のドキュメンタリーで『あの人は今』的な番組で先生が取り上げられ、それ関連で私も出る事になったのだ。


 何せ、先生の弟子扱いなので、大概一緒に行動していたのだ。


 その番組が国営放送で放映され、私がヴァイオリンを習っていることが、学校の全クラスにばれた。


 しかも、うちの先生は昔、一世を風靡した有名人。


 だからだろうか、それから学校内での私の扱いが半端なくなってしまった。


 世間の反応は、始めたいした事なかったのだ。


 そこそこ弾けると言ったところで、所詮、東洋人の少女。


 コンクールも出る度、何かしらの優秀賞を貰ってはいたが、最優秀はついぞ貰ったことはなかった。


 しかし、自分で言うのも烏滸がましいのだが、東洋美人は欧州の人達に受けがいいらしい。マスメディアに取り上げられ音楽関係者に数年で注目の的になってしまった。


 ダグラス・マックイーン先生が今現在、指導している弟子が、天才的な技術と感受性をもって曲を披露する、しかも東洋人少女と云う媒体をマスメディアは黙って放置をしてくれなかったのである。


 そして、〔ダグラス・マックイーン最後の弟子〕や〔天才美少女ヴァイオリニスト〕などと様々な音楽メディアで取り上げられるようになった。


 そして、最後の起爆剤として爆発的に世間に認知されることになった切っ掛けは、去年ダグラス先生と一緒にゲスト出演したフィルハーモニーの楽団との合同コンサート。


 何かのチャリティーコンサートだったらしいけど、まあ、あれだ日本で言う所の24時間テレビ的なやつ。


 これもまた、しっかり国営放送で放映され、それを機に何故か学校での告白や口説かれることが多くなった。ミーハー野郎どもめ。(怒)


 あと、何十人もの情熱的なファンがストーカー染みた追っかけをしてきた。その中にはパパラッチもいたけど。私はアイドルじゃないぞ!


 それによって徐々に精神的に疲弊していった私を見兼ねた先生とお婆様は、緊急家族会議を開き、その話し合いの結果、義務教育を終了した時点で、私を日本に帰す事を決定した。


 まあ、イタリアで若干有名でも、日本では知る人ぞ知る的な立場なので、向こうでは、しばらく静かに過ごせると信じたい。


 日本では、まだ高校生の年齢なので、家に近い高校にとりあえず編入する予定。


 何せ実家は小学生の頃から場所は変わっていないので。


 やっくんは私がいた時から、かーさまとも中が良かったから、私が引っ越し後も、かーさまとの交流が有ったらしい。お蔭で時折、日本に帰った時は、やっくんと会っておしゃべりしたりしていた。SNS使って交流もしていたしね。


 ただ、此処数年に一気に忙しくなってしまったせいで帰れなかったし、連絡も出来なかった。


 なので普通高校に編入するのも、私がダグラス先生に音大で習う必修科目のほとんどを習っていた事に加えて、やっくんがその高校に通っているので一緒に通って見たかったのもあったりなかったり。えへへ。


 あと、イタリアでの音楽関連のお仕事は、お呼ばれしたら日本から主張する事になってます。


 飛行機代が馬鹿みたいに掛かるけど。ストーカーやパパラッチに追われるよりはましだろう。


 そして、ついに帰る日がやってくる。


 ◇


 ―ミラノ・リナーテ空港ロビーにて。―


「先生、今まで大変お世話になりました。と言っても、その内またお世話になりますが。ふふ。」


「ああ、そうだな。もう一緒には暮らせないが、レッスンは週3日。Skypeを使ってやろう。毎晩のレッスンから3日になるが、その分の個人練習はサボらないように。」


「ひどーい。私がサボった所をご覧になられたことがおありで?」


「はは。そうだったな。まあ、こちらの生活は有名税にしては度が過ぎていたからな。休養の意味も込めてゆっくりしなさい。」


「先生も。もう良いお歳なのだから無理はせず、きちんとお休みされて下さいね。」


「ああ、去年のコンサートで懲りたよ。だが、文生と一緒に大舞台に立ちたかったんだ。私の弟子はこんなに凄いのだと自慢したかったのだよ。最後に良い思い出が出来た。ありがとう。」


「最後だなんて。まだまだこれからですよ。」


「ははは!文生はまだ、こんな老いぼれをこき使うのか?」


「いえいえ。でも、病は気からといいます。思いは強く、ですがどうぞお体の方は、ご自愛下さいませ。」


「ああ、ありがとう。」


「あなた。そろそろ私も良いかしら?」


「ああ、すまない。文生。」


「はい。ダグラス先生。ジュリアお婆様もお世話になりました。」


「ふふ。文生。貴女も此処に来てから随分大きく立派になりましたね。」


「はい。逸れも此も全てお婆様のお蔭でございます。ありがとうございました。」


「いいえ。貴女が頑張ったのよ。でも飲み込みが早くて、びっくりしましたけどね。ふふ。」


「いいえ。お婆様の教え方が素晴らしかったのです。学ぶ事の一つ一つが今の私の糧となっております。重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。」


「ああ、文生。貴女はなんて良い娘なのかしら。最後まで一緒に暮らせないことが、文生の料理がもう家で食べられない事が、寂しくて寂しくて明日から毎晩泣いてしまいそうだわ。」


「また、いつでも会えます。どうしても会いたくなったならば、どうぞいつでもお呼び下さい。いつでも駆けつけますわ。」


「うふふ。本当に嬉しいこと。本当に、本当に今までありがとうね。」


「もったいないお言葉です。」


 そして、二人涙を流しながらハグをして別れる。


「そうだ、いけない。文生!これ機内で食べてね。エンマとティーナと一緒に作ったの。」


「ああ!ありがとうございます。嬉しいです。ティーナお姉ちゃんとエンマさん、ロレンツォさんにも宜しくお伝え下さい。」


「ええ、あの子達も見送り出来なくて凄い寂しがっていたわ。」


「ありがとうございます。でも盛大なお別れパーティー開いてくださいました。それだけで私は満足です。」


「ああ、文生。私の娘!愛しているわ!」


「お婆様。私も…私も愛しております。」


 再び泣きながらハグする。


「ジュリア。そろそろ。」


「ああ、あなた。ううっ。」


「先生!お婆様!……行って参ります。」


「ああ、気を付けてな。」


「ええ、ええ!行ってらっしゃい。体に気を付けるのよ。」


「はい!行って参ります。先生!お婆様!」


 相棒のヴァイオリンを携えて制限エリアへと向かう。先生とお婆様はずっと手を振ってくれていた。私もゲートを通るまでずっと手を振っていた。






 ―そして、舞台は再び日本へ。―

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