第1話 旅立ちはラブコメ風味
「トーリ、もう行くの?」
聞いてきたのはお母さん。玄関に立つ僕に不安そうで寂しげな目を向けていた。
今日は天帝魔法師の見習いの宿舎に入る日。
つまり、僕が家で過ごす最後の日だった。
「遅れたらフームに怒られちゃうしね」
「……そっか。ねえトーリ」
「何?」
「パンツの替えはちゃんと持った?」
「そんな心配要らないよ!!!」
一応持ってるけどさ! 馬車に揺られてる時にムセーするかもしれないし! お母さんに心配されたくないことナンバーワンだけど!!!
「……こほん。小さい頃に死んだお父さんの代わりにいつも夜遅くまで働いてくれて、今日まで育ててくれてありがとう」
「あんまりいやらしいことはしちゃダメよ」
「……僕、天帝魔法師としていっぱい稼いで、いつかお母さんに恩返しするから。それまでちゃんとこの家で待っててね」
「あ、まだ毛が生えてないことは気にしないで良いからね。死んだお父さんも十八歳まではつるつるだったらしいから。つるつるだった頃に見た時はお母さん笑っちゃったけど」
「せっかくの旅立ちが台無しだよ!? あとそれお母さんから一番聞きたくない話!!!」
こっちが頑張って良いシーンっぽくしてるのにさ! 別にまだ生えてないことなんて気にしてないし!
……ていうか何でお母さんは僕のあそこ事情を知ってるの!?
「……はあ、もう知らないよ。それじゃあいってきます」
「ええ。いってらっしゃい」
僕はドアを開ける。
ガチャリとドアの開く音と同時に、すんと鼻をすする音が聞こえてきた。
……照れ隠しならそう言えば良いのに。
◇
フームと合流して、馬車に乗ること三時間。中央街と呼ばれるお城の近くの街は、僕が住んでいた田舎とは違って人で溢れかえっていた。
「ここの通りを抜けたら集合場所に着くんだよね。緊張するなぁ……」
「ふふ、トーリってば。あたしが居るんだから大丈夫だよ」
「とは言っても……」
「ほら、見えたよ」
路地を抜けた先は、僕らの通っていた魔法学校の三倍はある大きな建物が構えていた。何かスケールが違ってて気後れするなぁ……。
指定された場所に向かう。僕らが目指す場所は建物の中ではなく外にある第一訓練場。初めは見習いの今の技量を図って、それから宿舎に案内されるのだ。
第一訓練場には既に天帝魔法師の人と見習いらしき人二人が待っていた。見習いっぽい人達は僕らと同じように私服で、だけど天帝魔法師の人達、男女の二人は制服を身にまとっている。
男の人は黒を基調に白の刺繍が散りばめられていて、女の人はその黒と白が逆。それに短いスカートだ。
「……トーリ。エッチなことは考えないの」
「考えてないよ!」
僕はフームに言い返しながらその人たちのもとへ駆け足で向かう。
僕らを確認した天帝魔法師の男の人は、手に持っていた資料を見て頷いた。
「よし、君達で最後だね」
「遅れてすみません!」
「いいや。まだ集合の十五分前だ。時間は有効に活用して然るべきだよ」
優しげな笑顔を浮かべてそう言ってくれる。何だか良い人そうだなぁ。
「さて、見習い諸君。……と言っても今来た子達を含めても四人しか居ないんだけど、まあそれは良い。諸君らは魔法師の中でも選ばれた人間達なんだ」
重い言葉に僕はゴクリと息を飲む。
魔法師には三種類存在する。
一つはよろず魔法師。一般に冒険者とも呼ばれる彼らは、幅広い民間の依頼をこなしていく。一番人口の多い魔法師だ。
次に駐屯魔法師。決まった場所に配属されて、その近辺の警備や問題を解決する。安定した職業の一つとして数えられる魔法師だ。
そして天帝魔法師。天帝と呼ばれる王様の住むお城の近くに本部を構え、凶悪な事件の解決や大災害の復興など常人では務まらない任務を受け持つ。絶対数は圧倒的に少なく、だからこそ憧憬や羨望、また嫉妬を一手に引き受ける魔法師だ。
……今でも僕が天帝魔法師の見習いなんて信じられないんだけどね。確かにあの変な固有スキルのおかげで出来ないことはないんだけど、逆にフームがいなければ何も出来ない。
『え、エッチなことをするのはあたし限定だから! 他の人に迷惑をかけたらダメなんだからね!』
……うん。本当にフームには頭が上がらないや。
「さ、あれが見えるかい?」
「ちょっとティム〜、時間は有効にって言う割に進行遅いよ〜?」
「そんなことはない! 彼らにも理解の時間は必要だ!」
「こんにちは〜みんな〜、私はヒラって言います〜」
「……!」
丸みを帯びた女性らしいプロポーションであるもう一人の天帝魔法師の彼女の名前を聞いて、僕は勿論フームも目を丸くする。
背神のヒラ。神に背くとは文字通りで、老い以外であればどんな傷や病気でさえも治してしまうと言われている。
きょ、教科書に乗ってる人が目の前に……!
「三十メトル先のあそこの岩を、どんな手を使ってでも良いから壊してみて〜。別に緊張しなくても良いからね〜?」
ふぁ、と眠そうなヒラさんは遠くの岩を指さしてあくびをする。岩かぁ……。どうやって壊そうかなぁ。
「じゃあそこの赤毛の女の子の君、シニからだ! 時間は有限だよ!」
「はい!」
僕とフームの他には二人の女の子が立っている。一人は銀髪で、フームは金髪だからツインテールのあの小さな子が指名されたんだろう。ハキハキとした声で答えた。
「もし出来ないならそう言ってね〜? 私もちょ〜っと無理しなきゃ出来ないし〜、そういうスキルの相性の見極めが出来るのも天帝魔法師としての能力だからね〜」
ヒラさん、無理したら出来るんだ……。ちょっとビックリするなぁ。
「出来ます! では」
シニと呼ばれた彼女はぐっと溜めを作って姿勢を低くする。
ドン! と音が響くと岩までの三十メトルあった距離は一瞬でゼロ距離に詰められていた。
「はぁっ!」
そして一閃。拳で殴りつけると岩は粉々に砕け散る。紛うことなき破壊。
「うむ! よく出来たな!」
「固有スキルは〝身体強化〟。単純だけど良いスキルだね〜」
シニさんは向こうでペコリと頭を下げる。
……え、初めなのにこんな人外な人が出てくるの? 僕大丈夫?
順番を待ちながら、僕は早くなった鼓動を抑えようと必死に深呼吸をしていた。
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