手のひらの真実――4
ヴァルが案内したのは繁華街からほど近いホテルだった。立地からして一等地と変わらない高級宿だ。古城の一角を再利用したらしく、各階にアーチ型の窓と見晴らしの良いバルコニーが付いている。巨大な宗教画が天井を覆うロビーは大理石でぐるりと囲まれ、フレイヤとその日暮らしのようなことばかりしていたテオはルシカとコルルがあんぐりと口を開けるのも無理はないと思った。
「一大巡礼地ともなれば金を落としていく教徒も多くてね。宿屋は儲かるんだ」
ヴァルが小声で言う。おそらく雪で日焼けしたのだろう、ヴァルの焦げた肌は大理石の壁によく映えた。どうにも警察らしからぬ佇まいだが、鷹のようなその鋭い目だけは獲物を狩るのに向いていると思った。
「早速だが事件の概要を説明していいか?」
部屋にテオたちを通し、自分も備え付けの椅子にどかりと座るとヴァルは外套を外した。中に着ているコートはヴァルの言う地元警察の制服なのか、やけにベルトが多い。ところどころの不自然な膨らみは武具なのだろう。
「最初の犯行は三日前の十月二十八日。時間は深夜。エテリヤ美術館の槍とその他数点が盗まれた。次の犯行が昨日。同じく深夜で、今度はモルジ邸の地下展示室から石とその他数点。その他の品は大したことないんだが、槍と石はかなり価値があるらしい」
「と言うと?」
「槍は確かワラなんとかって呼ばれてる特別な槍で、石の方はどっかの有名な教会の階段に使われたとか」
「ワラキアの槍……」
「そうそうそれ! 知ってんのか?」
「ナラガンの逸話に出てくる、洞窟を穿った槍だ。洞窟の名を取ってワラキアの槍と呼ばれている」
名前はたった今思い出したところだ。
「聖人の品、つまり聖遺物ってことね。それなら聖書の中に手掛かりがあるはず」
ルシカがコルルのコートを壁に掛けながら言う。
「聖書なら部下の誰かが持ってたな。借りて来る」
「コルル、槍の持ち主について調べてくれるか? 俺たちは石について調べる」
名前の由来は大抵持ち主か地名から取られることが多い。由来が分かれば窃盗の動機に繋がる。
「――ダメです。持ち主の名前はどこにも出てきません」
きっかり一時間後、コルルが困ったように声を上げた。
「それと、槍で掘ったのは洞窟ではなく、地下だとあります」
「地下?」
テオはコルルの上から聖書を覗いた。
「それ、いつのだ?」
コルルが奥付を開くと初版と書かれている。テオは顎に手を当てた。この手の逸話は年代や書き手によって内容が微妙に変わることがある。フレイヤから聞いた話はこれより後に作られたものだったのだ。
「……その地下はどこのものか書いてないのか?」
コルルが前後のページをめくる。
「えっと……教会です。シエロト教会。場所は……書いていません」
ルシカが「あっ」と言いテオを見る。
「石もワロキエと呼ばれ、教会に使われたとあった。多分その教会だ。場所を知りませんか?」
テオが尋ねるとヴァルは聞き違いと言わんばかりに首を傾げた。
「どこって、そいつは実在しない伝承上の教会だぞ」
――実在しない?
「ひょっとして例の亡霊じゃ……」
ヴァルの後ろから口を出したのは聖書を貸してくれた部下だった。
「馬鹿言え。そんなもん存在する訳ねぇだろ。それに亡霊はもう消えた」
「亡霊?」
ヴァルがため息をつく。
「つい最近まで噂がたってたんだよ。夜になると真っ黒な亡霊があちこちに出没するってな。目撃されたのが全部教会で気味が悪いとか」
「これです」
ヴァルの部下が地図を渡す。ノワールの教会のうち五ヶ所にバツ印が付けられている。場所はバラバラだ。新たな謎に顔をしかめると思考を中断するように正午を告げる鐘が鳴った。
「……ちょっと休憩するか」
四人は一階に降り、玄関前の小庭に出た。太陽こそ出ていないが寒過ぎない温度と適度な雑音が酷使した脳を癒した。
「私たちが書いたものもいつかこんな風に崇められたり信じられたりするのかな」
ルシカが塀に腰掛けて呟いた。
「かもな」
テオは自分の手を見つめた。この手のひらに、誰かの願いが乗るだろうか。
「ねぇ、何かこっちに来るわ」
手持ち無沙汰に手帳を開きかけたルシカが通りの向こうを指差した。見ると黒い生き物が小道を物凄いスピードで駆けて来る。前脚を高々と上げてテオたちの前で止まったのは漆黒の毛並みの美しい馬だった。近くの人が何事かと振り返る中、上等の皮に身を包んだ御者が上から身を乗り出して一通の手紙を差し出した。
「テオ・ブルーアイズ様ですね。依頼主ダン・クロードより手紙を預かって来ました」
テオはすぐに手紙を開封した。速達専用の馬を使うほどの急用だ。何かあったのだろうか。
「――『ナイトレイドが消えた。調査の為にノワールに発ったきり、一週間経っても連絡が来ないそうだ。本人は三日以内に報告の手紙を出すと言って出て行ったらしい。ノワールにいるなら探して欲しいと側近に頼まれた』」
「伯爵がノワールに……?」
「何か事件に巻き込まれたんでしょうか」
「その可能性が高いな」
あのナイトレイドがヘンドリクセンとの約束を破るなど考えられない。
「ダン・クロードに伝言を頼めますか。『伯爵を探す。泊まっている宿の名前はドール・ミーシュ』と」
御者は頷き、テオから代金を受け取ると再び馬を走らせて行った。
部屋に戻ったテオはバルコニーを行ったり来たりしていた。
ナイトレイドがセントラルを発ったのがほぼ一週間前。移動に丸一日かかることを考えるとまだ街は出ていない。他の地方からノワールへは大抵汽車一本で繋がっているので、もしも街に入る前に何かあれば道中にいたテオたちにも分かるはずだ。やはりナイトレイドはこのノワールで消息を絶ったのだ。
テオは廊下で部下に指示を出しているヴァルをちらと見た。影の番人であるナイトレイドの存在を警察に知られる訳にはいかない。だからダンも馬を寄越したのだろう。それにしても何の調査だ? ヘンドリクセンには言わなかったのか? それとも――。
「……師匠」
コルルがひょこっとバルコニーを覗いた。
「一応、一緒に盗まれた物についても調べてみたんですが、聖書には載っていませんでした。犯人はなぜ槍と石だけでなく他の物も一緒に盗んだんでしょうか」
確かにそうだ。ヴァルも価値は無いと言っていた。テオは再び考え込む。盗まれた美術品。実在しない教会とそこに使われた特別な品物たち。教会を彷徨く亡霊。
『調査の為にノワールに発ったきり、一週間経っても連絡が来ないそうだ』
『亡霊はもう消えた』
『フレイヤは信じるのか?』
『信じたい時に信じるさ。神様ってのはそんなもんだろう?』
「レイン、ちょっとルシカと調べてくれるか」
茶を淹れていたレインに地図を渡す。ヴァルがテーブルの上に放置していったものだ。テオの推理が正しければ浮かび上がるはずだ――この奇妙な伝承の真偽が。
「テオさん。印の付いた教会の資料です」
夕方になる前、レインが部屋に戻って来た。フロントや近くの店から集めてきた市民向けの教会の案内書を読んだテオは一つの結論に達した。
「……シエロト教会は実在する」
呼び出されたヴァルは今朝と同じように椅子に座り、居丈高に脚を組んだ。
「亡霊が目撃された教会には共通点がある」
ベッドの上に地図と案内書を広げる。案内書にはそれぞれ教会の紋章が載っており、五つ共大小様々な形の月が付いている。
「これはシエロト教会が冠する紋章だ。聖書にも載っていた。犯人はこれに関係する教会を調べて回っていたんだ」
「じゃあ亡霊が犯人だってのか」
「ああ。おそらく聖遺物崇拝者だ」
ヴァルが片眉を上げる。
「聖遺物崇拝なんかそのびっくり奇跡にあやかりたい連中が勝手にやってるだけだろ」
「いや、彼らにとってそれが本物か偽物かは然程重要じゃないのかもしれない。ただ、それを信じる人がいる限り物語は続けることができる。俺たち記録作家と同じように」
神話という記録を通して、彼らは願いを託してきた。
「犯人の目的は特定の聖遺物を集めること。聖書の最後に『ワラキア・ワロキエ・ワルキオの三つで一つの祈りとなる』と書いてあった。集めれば天国への階段が開ける、と。一緒に盗まれた他の美術品は同じことを考える信者を出し抜く為のブラフだ」
「天国への階段? なんだそりゃ」
「それは分からない。何か宗教的な意味があるんだと思う。とにかく、犯人はこれを探している」
ヴァルは唸った。やはり胡散臭いと思っている表情だ。
「亡霊が消えた時期と一致するものがある」
「?」
テオは窓の外に目をやった。
「潮の満ちる時。それが天国への階段が現れる条件だとしたら説明が付く」
「満潮って……今夜じゃねぇか!」
ヴァルが立ち上がり、檄を飛ばす。
「亡霊が目撃された教会とその付近を張れ!」
「問題は最後の品が何でどこにあるかだな」
テオは地図を睨んだ。亡霊の噂は犯人の耳にも入っているだろう。自分が目撃された場所を警察が捜索することくらい犯人も想定済みの筈だ。
「犯人はどうして一つずつ盗んだのかな。一気に集めれば楽なのに」
ルシカがテーブルに頬杖をつく。
「順番があるのかもしれません。祈りにも順序がありますし」
レインが案内書の一枚を手に取った。裏面には女の絵で祈りの儀式、作法が記されている。
「祈り……」
テオは聖書をめくった。確かいたはずだ。教徒の中でただ一人、天に祈る女が――。
「あった」
修道女オセ。彼女は全部で三ヶ所礼拝し、最後は空から降りてきた階段を登って行ったという。
「そうか。順番に集めることで次の品の在処が分かるようになっているんだ」
そうなると最後の品の在処を示すのはワロキエがあった場所――モルジ邸だ。
「!」
コートに伸ばしたテオの腕がパシッと掴まれた。
「一人で行くのは危険よ。伯爵のこともあるし」
ルシカが声を潜めて訴えた。
「だからだよ。ヴァルたちに伯爵の姿は見せられないからな」
「どういうこと? 伯爵の居場所が分かったの?」
「コルルたちを見ててくれ」
テオは時計を確認し、足早に部屋を出て行った。
宵闇に消えたテオの背中を見つめ、ルシカが呟いた。
「私…………なのかな」
「え?」
「ううん、なんでもない」
隣に立つレインには、向けられたルシカの笑顔がどこか泣きそうに見えた。
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