手のひらの真実――3

「あれは二十年以上前の春のこと。ミラーフィールド家はここよりずっと北の地で暮らしていました。ある日、フラメという旅人が道を尋ねて屋敷にやって来たの」

 その瞬間、ユリア以外の全員が冷や水を浴びたようにギョッとした。

「どうかなさいました?」

「いえ……続きをお願いします」

 辛うじてテオが先を促したが、ルシカたちは困惑を誤魔化すように揃ってハーブティーに手を伸ばした。

「北の地はよく旅人が迷うので、宿を貸すことがよくありました。その旅人――彼は宿番の者に自分の職業は記録作家だと言ったのです」

「彼? フラメは男だったんですか?」

「ええ。既にいいお歳だったから、もう亡くなられていると思いますけど」

 テオの中のフラメ像が崩れ去る。死んでいるのならブックエンドとフラメは別人だ。

「ミラーフィールド家の所有する古い文献に興味津々の様子で、滞在中は私の働く書庫に入り浸っていました。それから五年経った頃、大陸の中心で起こった発展の波がとうとうヨルノリアにも到達しました。王政は必死だった。民衆の支持を得るべく象徴となる神を必要としたのです。そして当時力を持っていた元老院は今の王がやらないような方法を選んだ」

 次の展開を察してテオは身構えた。ヘンドリクセンがやらないようなことならば、遠からず荒事。

「彼らは北の地に住む由緒正しいある一族を神格化したのです」

「神格化?」

 コルルがテオを見る。

「文字通り、人を神にするということだ」

「その一族と関係が深いミラーフィールド家の一部が反対し、粛正されたのです。以降一族は離散し、正体を隠して生きることになった」

「神格化された一族の名前は……」

 ユリアはゆっくりと首を振った。

「この件に関する記録は全て処分されています。ミラーフィールドに関しては一族の紋章と、栄華から一転した貴族という話だけが尾ひれを付けて囁かれていると聞きました」

「もしかして、本当のことを知るために記録作家に……?」

 ルシカが遠慮がちに訊くとレインは少し考えて言った。

「そういうわけでは……ただ、理由が欲しかったんだと思います。バラバラになっても、身分を偽ってでも生きていく理由が。私が書いた記録で誰かが喜んでくれるなら……ミラーフィールドも何も関係無い、私自身の証明だと思えたから」

 ユリアが微笑む。

「ご両親が仰っていたのはそういうことだと思いますよ」

 レインはくすぐったそうに「はい」と言った。




     *




 深夜の教会は異様な神聖さがある。神々しいような、おぞましいような静けさ。俗世の人間の気配が一切しない空間は妙な力を持っている気にさせる。

 男はどこかへ出掛けたようだ。ナイトレイドは月明かりを頼りに主祭壇へ行き、聖書台の裏を覗いた。開いた木箱の中には破れた聖歌の楽譜と干からびた花くらいしか入っていない。次に祭壇横の内陣に繋がる扉へ近付き、後ろ手で取手を動かした。が、やはり扉は固く閉ざされていた。ナイトレイドは腹立たしげにため息をつき、この数日の自らの足跡を思い返した。


 五日前、ナイトレイドと従者は突然セントラルで流れ始めたある噂の真相を確かめるべくノワールへやって来た。噂は「最近ノワールで夜になると真っ黒な亡霊があちこちに出没する」というもので、それだけならわざわざこんな北の地まで来たりしないのだが、その亡霊が肌身離さず古い本を持っており、それがフレイヤの記録作だというのだ。

 ノワール入りから三日もかからぬうちに亡霊の正体を突き止めたナイトレイドは昨夜遅くに街外れの教会から出て行こうとする男を呼び止めた。


『止まれ』

 男は背を向けたまま足を止めた。昼間見た時は神父の格好をしていたのに、今は頭から真っ黒な外套を被っている。

『お前がノワールの亡霊だな。手に持っているものを見せろ』

 すると男は振り返り、意外な言葉を放った。

『ようこそノワールへ。貴方をお待ちしておりました』

 ナイトレイドは眉を吊り上げた。

『待っていただと?』

『さぁ、中へお入り下さい。お連れの方は別の場所です。この意味はお分かりでしょう?』

 ざわ、と敵意が頭に上り、痩せた狐のような男の首根っこを掴み上げたい衝動に駆られた。だが手分けして調査する為に別行動していたナイトレイドには、従者の無事を確かめる術は無かった。


 ナイトレイドを街外れの教会に監禁すると男は一冊の記録作を見せた。それは確かにフレイヤが書いたものだった。彼女の記録作は何度も読んだので分かる。ところがどういうわけか作家名はフレイヤではなく、テオになっていた。

『これは優秀な記録作家が書いた記録作です。ここに天国への階段の在処が記されていました。ですが……』

 男がページをめくると不自然な隙間が現れた。

『この通り、場所を示す部分だけが切り取られているんです』

 男の要求は理解した。が、大きな疑問が残る。

『……何故俺を?』

『貴方なんでしょう? これを書いたのは――テオ・ブルーアイズ』

『……』

 ナイトレイドは開きそうになった口を閉じ、代わりに男を見返した。男は至って真面目な顔で、暫し解釈に時間を使う。無論、問い掛けの返事は否だ。どうやら男はテオの名前だけを知っていて、さらにはここへ来るのを待っていた。つまり噂は罠だったのだ。

 しかし、フレイヤの記録作にテオの名前。切り取られたページ。これは一体――。

『……教えるかどうかは俺次第ということか?』

 男はゆっくりと答えた。

『貴方と、神次第です』




     *




 付けた者の心を映すように、ユリアの焚いた火は暖炉の中で穏やかに燃えている。

「その時に生まれた神が……」

「ええ、有名なユノリアの神です。王政は無事国民の支持を得て事を進め、今日に至る発展の足掛かりとなりました。そう、人々の大半はこの国の神が元は人間であったことを知りません」

 テオたちは暫く黙った。コルルはテオにもたれて寝息を立てている。

「ですが、大切なのは真実かどうかではないと思うのです」

 ユリアはコルルに膝掛けを掛けながら言った。

「確かに私たちの歴史は真実ではなくなってしまった。だからと言って過去を掘り起こせば混乱と争いを招きます。そんなことは誰も望んでいません。ジェーンもあなた方も、それはよくご存知でしょう?」


 その日の夜、テオはフレイヤとレウェルティに来た時の夢を見た。

 用事が終わるまでの間、フレイヤは暇を持て余した子どものテオにノワールでの有名な逸話を話して聞かせた。西国ナラガンに伝わる神話で、ある日、神のお告げを受けた王が洞窟を掘らせ、そこから滴る水を飲むと病が治ったというものだ。テオはフレイヤに「信じるのか」と訊き、フレイヤは「信じたい時に」と返した。


 翌朝、テオたちはユリアに見送られて館の外まで出た。レインが抱擁を交わし、ユリアも訪ねて来てくれたことに礼を言う。

「またいつでもいらっしゃい」

「ありがとうございます」

 別れ際、ユリアの目に映るテオがある少女の面影と重なった。


『ユリア! 今日は友達を連れて来たの』

 おさげ髪の少女がユリアの懐に飛び込む。その後ろでもう一人の少女が挨拶した。

『こんにちは』

 長い金色の髪と宝石のような美しいの青色の眼にユリアは思わず見惚れた。

『まぁ、可愛らしいお友達だこと』

『でしょう? ねぇ、旅人のお話を聞かせて』

 ユリアに抱き付いたまま、少女がせがむ。

『はいはい、じゃあお庭へ行きましょう』


「……ブルーアイズさん」

 不意にユリアが呼び止めた。

「私たちが信じるのはあなたのその手ひとつだけだということ、忘れないで」

 テオはユリアを真っ直ぐ見て頷いた。




 北の地表は硬い。山は岩肌が露出し、遠くの方は白く雪を被っている。家の造りも気候に添っており、セントラルやフロイドは煉瓦造りだがノワールは石造りである。ノワールには記舎が無いので長期間滞在するには宿を探さなければならないのだが、テオたちの用事は済んだ。あとはダンたちがいるセントラルに戻るだけだ。

 朝食を買う為に街の中心部に戻ると塀の向こうが見えた。ノワールは街の中心に向かって坂になっている為、ここまで来ればノワール全体が一望出来るのだ。鉄道がある方角の反対側には小さな海があり、浅瀬に教会らしき建物がまばらに建っている。


「あんな海辺の方まで建ってるんですね」

 早朝の神秘的な景色を眺めながらテオが言うとパン屋の主人が答えた。

「昔はあの辺まで街だったからな。今じゃ潮が満ちれば沈んじまう。ああ、ちょうど今夜が満潮だ」

「テオ大変!」

 店先のテーブルでコルルとパンを食べていると、別の店に行っていたルシカが走って来た。

「さっきそこで聞いたんだけど、雪崩で汽車が止まってるみたい」

「……テオ?」

 そこへ別の声が割り込んだ。

「あの有名記録作家のテオ・ブルーアイズ?」

 向かいのテーブルから日焼けした若い男が身を乗り出し、テオの顔をまじまじと見た。白に近い髪を下で結い、肩口に毛皮の付いた外套の中に首元まで詰まったロングコートを着込んでいる。足首まである長い裾からは雪の上も走れそうな頑丈なブーツが見えた。

「……あなたは」

「俺は地元警察のヴァルヴァシュカ。ヴァルって呼んでくれ」

 男は黒革の手帳を見せた。中の紙には殴り書きのような字で警察であることを示す印と署名がされている。

「俺に何か?」

 ヴァルはテオたちの側まで来ると耳打ちした。

「今この辺りで美術品が次々に盗まれる事件が発生しててさ。ちょっと協力してくれねーかな」

 テオよりは年上のようだが軽薄な話し方が何となくギルバートに似ている。テオが怪訝そうな顔をするとヴァルは大袈裟に笑った。

「何も犯人をとっ捕まえてくれなんて言わねーよ。次に何が盗まれるか推理してくれたら俺らが待ち伏せして捕まえるからさ。そうだ、宿も用意する。どうだ?」

 テオはルシカたちに向き直る。

「どうする」

「困ってるなら助けてあげようよ。当分帰れないみたいだし」

「私も構いません」

「僕も手伝います!」

「なら、この三人の宿も……」

「勿論! かわいこちゃんには何個でも用意するぜ」

「一つでいい」

 ルシカに顔を近付けたヴァルを押しやり、テオは不機嫌そうに言った。

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