手のひらの真実――1

 最北の地に近いせいか、それとも本格的な冬がそこまで来ているのか。夜にもなると吸い込む息が随分と冷たい。建物内の空気は外とほとんど変わらず、コートを着ていても断続的に寒気がした。


「考えは変わりましたか?」

 寂れた教会の中。礼拝者の姿はおろか近くに人の気配すら無く、くすんだステンドグラスからは鈍い明かりが差し込んでいる。

「残念ながら」

 祭壇の床に横たわったナイトレイドは表情を変えぬまま答えた。ダークブラウンの前髪は乱れ、猜疑さいぎに染まった瞳に掛かっている。自由を奪われた両手には錆び付いた南京錠が付いており、身じろぎするとカシャンと音を立てた。

「私たちには神が、救いが必要なのです。ここで貴方に納得してもらえるまで話しても良いのですが……時間が無い」

 傍に立つ男が目を伏せる。憂慮ゆうりょそのものの声色。取り憑かれているような陶酔の表情。戯言だと分かっていても、最後の言葉が冷静なナイトレイドの理性を大きく揺さ振った。

「いいですか、たとえ死んだとしてもあそこへ行けば救われるのです。だから教えて下さい。天国への階段の在処を」




      *




 トリスタン記舎に居付いてから二週間が経った頃、王宮から手紙が届いた。

 オルゼら死の商人に協力していたのは正体不明の人物で、ヘンドリクセンの暗殺は利害の一致から企んだとの事だった。アレジアの時とは違い、トリスタンにはテオたちしかいないのでヴォイドは手紙での報告にしたようだ。セントラルは暫く国王殺害未遂事件で大騒ぎだろう。

「あの側近は当分神経が休まらないだろうな」

 外で薪割りを手伝っていたダンが玄関口で捲ったシャツの袖を戻しながら言った。

「あの人はいつもそうさ。協力の立ち会いをしたのはミス・ブックエンドと呼ばれている人物だそうだ」

「ミス? ブックエンドは女だったのか」

「報告はもう一つある」

 テオはヴォイドの端正な字が並んだ手紙を渡した。

「『レーゲン卿が忠告してきた。王が懇意にする記録作家の中に秘密を持つ者がいると。その名はレイン』?」

 手紙を読み上げたダンは片眉を上げた。

「フロイドで彼女を見掛けたらしい。奴が言うには彼女の正体は……」

「ジェーンです」

 テオとダンが顔を上げると階段の踊り場にレインが立っていた。

「私の本当の名前はジェーン・ミラーフィールド……血塗られた一族と呼ばれていたミラーフィールド家の息女です」

 白いネグリジェ姿のレインは階段の手すりに手を掛けたままダンの手元を見た。

「その方が何故私の事を知っているかは分かりませんが……ミラーフィールド家はこの国から消えました。足音の一族と同じように」

「血塗られた、というのは」

 ミラーフィールドの名は耳にしたことがあるが、没落した貴族としか知らない。

「その昔、一族が記録から抹消された際に血が流されたという事からです。あまり良い話ではありませんから名前と身分を偽っていました」

「だが……レーゲンはレインの身元を明かして何がしたいんだ? 危険人物じゃあるまいし」

 ダンが庇うように言ったことで、レインは表情を和らげた。

「それを調べて欲しいという手紙だ。レイン、俺たちに話しても良かったのか?」

「はい。私はテオさんたちを信じていますから」

 いつも自信無さげな彼女の迷いのない言葉に、テオは瞬きをした。信頼に足る人間だとはっきり言われたようで胸の底がじんわりと熱を帯びる。

「私……召集の後、記舎でテオさんの書いた記録作を読んだんです。有名な記録作家のこの人は、どんな人なんだろうって」

 記録作家のことを知りたければ記録作を読め。この職業においての常識である。

「テオさんの書いた記録作はどれも誠実でした。誠実で、思いやりがありました。だから私は秘密を打ち明けようと思ったんです。今回の事件のこと、そしてテオさんのお師匠さんの話を聞いて……力になれるかもしれないから」

 レインはテオに向き直った。

「テオさん。『始まりの記録作家』をご存知ですか」





 ヘンドリクセンⅡ世が正式に即位してから数ヶ月経った頃だろうか。その男はヴォイドに近付いてきた。

 三歳下のヴォイドとは幼少期から宮仕えと見習いの関係であり、真面目で必要以上に他人の力を借りたがらないところは自分と似ていた。そんな彼が神妙な面持ちで相談に来たのをナイトレイドは意外に思った。


『レーゲン卿が?』

『はい』

 ナイトレイドの私室に入るとヴォイドは強ばらせていた肩を緩めた。

『力を手に入れたいのなら手助けする、と。俺をのし上げたいようでした』

 レーゲン卿は強さの象徴であった前王に執心の様子だったが、前王が亡くなってからはほとんど姿を見なくなっていた。

『お前、権力が欲しいなどとうそぶいたのか?』

『そんな訳ないでしょう』

 ヴォイドはダークグレーの目を細めて睨んでみせた。じき二十になるとはいえ、顔の輪郭にはまだ少し幼さが残っている。

『手を貸してくれると言うのなら借りてやればいい。問題はその目的だ。お前を祭り上げ、陛下を狙おうとでもしているのか』

『なら俺は誘いを断るべきでは』

『いや』

 ナイトレイドは思案しながら言った。

『お前は表から陛下を守れ。私が陰から守ろう』


 それからすぐにヴォイドは若き王ヘンドリクセンの側近となり、ナイトレイドは影の番人として活動するようになった。三年前の汽車事故の後はヘンドリクセンの意向で宮廷記録作家となり、偽名を使って作家団に加入した。

 フレイヤの残した膨大な記録作を読んだが、彼女に対するナイトレイドの印象は「変わり者」だった。どこで引き受けてきたのか聞いたこともない土地の寓話や怪しげな古文書に関する記録、にわかには信じ難い内容のものも多々あった。最近は北の街で人々をひどく怒らせたこともあったと聞いた。

 ヘンドリクセンは記録作家としてのナイトレイドの腕を「向いている」と称賛したが、そうは思わなかった。少なくともフレイヤのように突飛なおとぎ話に付き合える器量は持ち合わせていない。

 天国への階段。フレイヤがその言葉を口にしたのを一度だけ聞いたことがある。これもあのおかしな話の類だというのなら凡庸な自分に勝ち目は無い。ただ一人、あるとすれば――。


「貴方なんでしょう? これを書いたのは」

 男はナイトレイドの前に一冊の本を掲げた。

「テオ・ブルーアイズ」





「始まりの記録作家?」

「はい。かつてミラーフィールド家にはユリアという司書がおり、長らく一族の書庫を管理していました」

 レインは静かに話し始めた。

「初めて記録作家を名乗った人物を知っていると彼女から聞いたことがあります。テオさんのお話ではテオさんが幼い頃、まだ記録作家を知る人は少なかったんですよね? もしかするとお師匠さんはその人物と会ったことがあるのかもしれません」

「……記録作家の起源か。考えもしなかったな」

 確かにヘンドリクセンが作家団を作る前から記録作家は存在していた。

「その人は今どこに?」

「一族が離散した後はノワールで暮らしているそうです」

「北か……」

 フレイヤが最後に仕事したのも北だ。これは偶然か?

「ただいまー」

 そこへ買い出しに出ていたルシカ、ロゼ、コルルが戻って来た。薪割りを終えたロルグも後ろから入って来る。

「レインさん! まだ安静にしててください」

 コルルが慌てて荷物を置き、レインをソファへ座らせた。

「……な、なんだ」

 ルシカが観察するようにじっと自分を凝視しているのに気付き、テオはたじろいだ。

「隠し事してる」

 鋭い指摘が矢のように飛んで来た。

「またダンと二人で抱えようとしてる」

 ため息混じりに言うとルシカはレインの隣に座った。とばっちりを食らったダンがソファの後ろで苦い顔をしている。

 こういう時のルシカは妙に勘が冴える。「また」と言うあたり、リイリーンの島でダンとやっていたことにも薄々勘付いていたのだろう。テオは大人しく白旗を上げることにした。

「……ダンにも本題はまだ話してない」

 レインが来なければ話そうと思っていたのだが、仕方ない。

「ブックエンドの正体はフラメという記録作家だ」

「記録作家だと?」

「あの日、来ていたんだ。六人目も」

「あたしらの他にも召集された奴がいたのかい?」

「召集する作家の推薦は協会がする筈だ。どうなってる」

 ダンはロビーの壁に掛けられた額縁を顎で指した。協会の認可を証明する記舎証。全ての記舎にはこれの掲示が義務付けられている。

「ヴォイドが言うには協会も覚えが無いと。フラメという名前は召集状に書かれていた。登録されている作家に同じ名前の人間はいないから本人がそう名乗ったんだろう」

「やれやれ役に立つ協会だねぇ」

「でも、どうして分かったの?」

 ルシカが訊くとテオはレコードケースから二枚の紙と鍵を取り出した。

「城を出る前、宮廷図書館でこれを見つけた」

「!」

 倒れた本の側にあったのは寄付の礼状と橋計画に関する密書、そして国録の保管庫の鍵だった。礼状に書かれている名前はフラメ。匿名でも寄付者が貰うこの礼状には名前が記される。

「王宮には伝えたのか?」

「いや、その時間は無かった。それに何か引っ掛かるんだ。まるでわざと音を立てて俺に見つけさせたような……」

 あの時、あそこにいたのは誰だったのか。

「しかし、やはり夜の支配者とブックエンドは繋がっていたな」

 ダンが腕組みをする。

「夜の支配者って?」

「裏社会の大物だ。俺たちはそいつがリイリーンの件の黒幕だと踏んでいた」

 恐る恐る訊いたルシカにテオは答えた。

「死の商人に手を貸したのも同じ人物だろう。オルゼがヴォイドに追い詰められた時に言ってたのは自分に手を出すと背後にいる者が黙っていないという意味だったのかもな」

 ギルバートも言っていたが、姿を現さずにやり取りをする手段は手紙くらいだ。だからテオはロゼに手紙をくすねるように頼んだのだ。

「……テオ」

 僅かに気遣いを含んだ口調でダンが呟いた。

「ひょっとするとお前の」

 ダンは最後まで言わなかったが、テオも同じことを考えていた。これまでの事件から考えるに、相手は記録作家に対して何らかの思惑を持っている気がする。三年前の事件に関係があってもおかしくはない。

「……レインの言う通り、ノワールへ行けば何か分かるかもしれない」

「じゃあ俺とロゼは協会へ行ってフラメの正体を探る。お前はノワールへ行け。鍵も返しといてやる」

「気を付けろ。協会もグルかもしれない」

「分かっている」

 ダンは短く答えた。

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