暗雲に立つ――2
廊下に出たテオは他のメンバーと中庭に集まっているルシカを見つけた。
「これで全員か」
テオが来たのを確認すると長身の男が腕組みを解いた。
「行動を共にしろとは言われていないが……一応名乗っておく。ダン・クロードだ」
掻き上げた短い横髪と鍛えた身体という記録作家に珍しい風貌だが、その裏に生来の生真面目さが見て取れる。
「ああ……俺はテオ・ブルーアイズ」
自分だけまだ自己紹介をしていないことに気付いたのか、少女が小さく「レインです」と言う。
「なぜここで?」
思ったままを述べるとダンはギラリとした視線を寄越した。
「俺は王政をあまり信用していない。それに気付かなかったか? あれは何か隠している」
「隠してる?」
「はっきり言ってこの召集は妙だ。あの言い方、俺たちを集めるほどの出来事が既にあったと考える。何か知っているやつはいるか」
テオは首を振った。ロゼは手近な木にもたれて煙草を咥え、レインと名乗った少女はダンが怖いのか怯えたようにルシカに身を寄せた。
「それを探すのもあたしらの仕事ってことだねぇ」
ロゼがくつくつと笑う。ダンは一瞬癪に触ったような顔をしたがすぐに引っ込めた。
「必要な情報は共有する。記舎で会うだろう」
そう言うとカラスのようなコートを翻し、中庭を大股で横切って行ってしまった。
「ダン・クロード……どっかで聞いたような」
ダンの姿が見えなくなるとルシカが呟いた。
「
「そうなんですか?」
「ま、誰かさんに上を行かれたようだがね」
ロゼが面白がるようにテオを見る。
「身に覚えがありません」
テオは知らん顔をした。一方的にライバル視されるのはこれが初めてではない。余計な反論をして不興を買ってもつまらない。実のところ、近年急激に知名度が上がり、「
「でも本当なの? 私たちに隠してるって」
「……さあな。だが国は俺たちの敵じゃない」
確かにここのところヨルノリアという国は騒ついている。だがそれは広がりつつある発展がもたらす変化の声だと思っていた。記録作家は国の後ろ盾を持つ限られた職業だ。この国の王は「ペンは剣よりも強し」と考えている。
「まだ俺たちに話せるほど分かっていないんだろう」
ヘンドリクセンが何を考えているかは知らないが記録作家たちが不利になるようなことはしないはずだ。あくまでヘンドリクセンは、だが。
「それで、おまえさんたちはこれからどうするんだい?」
ロゼが細く煙を吐き出す。
「私はドランの祭りとアノシスの収穫祭を見に行く予定です。それとハノル皇の継承式に立ち会わないと」
ルシカはパンパンになった手帳をめくった。何の飾りもない茶革の手帳は彼女が愛用しているものだ。国の変遷を記す仕事とは言っても、その内容は多岐に渡る。今回のように王宮からの依頼を受ける者もいれば、ルシカのように市街の暮らしを綴る者もいる。
テオも芝の上に仕事道具が入ったトランク――「
「……」
「どうかした?」
動きを止めて手元を見つめるテオにルシカが問い掛けた。
「いや……その祭り、俺も同行していいか」
「いいけどテオはこういうの興味無いんじゃなかった?」
「特にやることもないからな。動いていれば何か耳に入るだろう」
あたしもいいかね、とロゼが軽く手を挙げた。
「勿論お邪魔なら遠慮するが」
「そんなことないです!」
ルシカが快く了承する。
「あなたも来る?」
レインは弾かれたようにルシカを見上げた。髪の色と同じ透き通った銀細工のような大きな瞳が
「あ……えっと私は……記舎にいます」
「そっか。じゃあまた後でね!」
ルシカが人畜無害な笑みを向けるとレインは僅かにはにかんだ。テオはその様子を少し誇らしげな気持ちで見ていたのだった。
*
塩気のある料理と潮風が混じったような匂いが漂い始めた頃、テオたちはドラン近くの港町ディランに到着した。王宮近くのセントラル記舎へレインを送り届けた際にルシカがドランへ行く旨を書き残してきたので、ダンやレインは合流しようと思えば出来るはずだ。
全ての記舎に設置してある巨大な伝言板は記録作家たちの情報交換の主たる場である。他の作家に見られたくない場合は鳩を飛ばしたり伝令屋に頼んだりするのが一般的で、伝令屋は鳩よりも正確な分、料金が高い。加えて秘匿性は人によりけりなので馴染みの伝令屋を持つ者が多いのだ。テオも一人持っているが、違った意味で口が軽いのであまり使わないようにしている。
「随分綺麗になったねぇ、ディラン記舎は。前に来た時にゃ貧乏の匂いがしたもんだが」
ロゼが横長の建物を見上げて明け透けに言った。確かに真新しい屋根と木枠で飾られた壁は確かに海辺の洒落た宿屋にも見える。見慣れた紋章――本とペンを
「ディランは最近水産業が発展したので、その影響で豊かになってるんです」
ルシカが街向こうの海辺を指す。
「街が国の
「ええ、なんでもやり手の大商人が大きな漁港組合を作ったとか」
二人の会話をよそにテオはのそのそと記舎へ入る。
「あっテオ待ってよ」
「待たない。今日は疲れた」
「疲れたって……何もしてないじゃない」
ルシカのもっともな指摘は小綺麗な記舎の中へと吸い込まれていった。
「――それで? あの天才作家君とはどういう関係だい?」
受付を済ませ、女性フロアへ向かっているとロゼはルシカを小突いた。
「えっ?」
ロゼは色恋話として聞いたのだが、ルシカには何のことか分からない。
「……やっぱりテオって有名なんですか?」
大真面目な顔でそんな事を言うもんだからロゼは吹き出した。
「そりゃこの世界じゃ有名さね。誰だって王の後ろ盾はありがたいだろう?」
「でもテオって自由人というか一匹狼というか」
「ま、愛想は無かったね」
愛想があっても腕が無いのではこの世界で食べていくことは出来ない。神は二物を与えないのだ。
「すみません。テオってああいう性格だから誤解されやすいんですけど、実はいろいろなことを考えていて。私をこの世界に連れて来てくれたのも彼なんです」
だから、と言い掛けたルシカの肩を軽く叩いてロゼは手を振った。
「言ってやるといいよ」
「え?」
その後に続くのはどんな
「大切なものほど、そう言ってやれないものだからね」
陽の落ちた街をルシカは一人歩いていた。記舎近くの店で夕食を食べ、少しだけ遠回りをして帰る。ルシカにとって寄り道はふとした発見や出逢いに繋がる貴重な時間なのだ。
「……ふぅ」
夜の凪が髪の先を後ろへとさらっていく。夜釣りだろうか、海辺には灯りが
「大切なもの、か」
『……記してみる、というのはどうだろうか』
夜につられて記憶が手招きした。
独り言に近かったそれは聞き逃してしまいそうな間合いで提案された。ずっと昔のような、ついこの間のような、テオの声。
『記す?』
『ああ』
そう言ってテオは一冊の本を見せてくれた。持ち主と同じ、どこかよそよそしい表紙。あちこち擦り切れている。けれどルシカはそこに何か途方もないものが凝縮されているように感じた。
『つまり……全部ここにあるってことだ』
あの時テオが言ったことの意味を
思えばテオのことをそこまで詳しく知っているわけではない。三年前に記録作家になってからというもの、誘った張本人ということもあり、よく会う人といえばテオだし、ルシカが自分の事を一番話しているのもテオだ。けれどテオは自身の事を話さない。それだけが未だに少し寂しかった。
「お嬢さん、ウチで一杯やってかない?」
酒場の客引きらしき男が横から声を掛けてきた。服から美味しそうな魚料理と酒の匂いがしたが、ルシカはやんわり断った。
今はテオのいる記舎へ真っ直ぐ戻りたかった。
*
温い風が窓から窓へと抜けていく。海岸より少し手前を走る汽車はルシカたち同様、ドランの祭りへ行く客で埋まっていた。
四人席に座るルシカは向かいで景色を愉しんでいるロゼと隣で寝こけているテオに目を遣った。ロゼは今日も黒っぽい服に葡萄色のストールという独特の格好でテオはいつもの麻のシャツに細身のパンツだ。ルシカはつい微笑んだ。ここへ来る時は大抵一人なので、不思議な感じだ。今日だって仕事で来ているのに心がどこか浮ついている。
「祭りっていうと荷揚げ祭りかい?」
「いえ、
「隣町があれだけ栄えてりゃ客なんて来ないと思ったが案外いるもんだねぇ」
「ええ。ドランの大市は毎年稀少なものが出回るんです。調味料、工芸品、果物、薬草」
「そりゃ楽しみだ。酒もあるのかい?」
「ありますとも」
上機嫌になったロゼがいそいそと荷物を整理し始める。どうやら彼女は酒にありつければそれで満足らしい。
「……こっちは何で付いて来たんだか」
ルシカはそう呟いてテオの額を小さく指で弾いた。
同刻、ドランとディランのちょうど境目の辺りで一人の少女が、賑やかな声のする方へ歩いていた。
「だれか……たすけて…………」
小さな声を掻き消すように祭りの色鮮やかな旗がバサバサとはためいた。
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