The secret of a record writer

暗雲に立つ――1

 古い姿見に背の高い青年が映っている。髪はくすんだ金糸色で、伸びた前髪の奥には一対の紺碧ブルーアイズが憂いをたたえている。

 青年はコートラックから外行きの装い一式を取り、億劫そうに身に付けていった。持ち物の中で二番目に高価なそれらは昨日預け先から引き取ってきたもの。シルクのシャツや上等の外套は普段、貴族か聖職者しか身に付けることを許されていない。

 部屋には姿見の他に洗面台と机と椅子があり、机は革製の鞄が占領していた。一段目には身の回りの物が、二段目にはインク瓶、羊皮紙の束、木のペン軸と金属製のペン先が入っている。この特注のペン先こそが青年の所有物で最も高価な代物であり、商売道具だった。



 ヨルノリアの首都・ウィルトゥス。

 整備された小綺麗な街は王宮前の広場を中心にチェス盤のように広がっている。この数年で周辺諸国に広がった経済発展の波はヨルノリアにも訪れ、都市部の外観や生活様式を変えつつあった。

 青年は無意識に親指で窓枠を指でなぞった。宿舎の三階、東側の一角にあるこの部屋はいろいろなことを思い出させた。世界なんてものは初めからほんの少し歪んでいて、時に容赦なくその切先を向けてくる。テオ・ブルーアイズは二十一年生きてきたなかでそんなひずみをよく知っていた。


 欠伸をしながら一階のロビーに降りると、陽に焼けた肌と刈り込んだ白髪が似合う壮年の男性が愛想よく挨拶した。いつもなら人がいなくなった頃に降りて新聞を漁っては気が済むまで定位置のソファーで読むのだが、今日はその余裕は無さそうだ。

 ほどなくしてカウンターから湯気を立てるカップが差し出された。国産豆で挽いた漆黒の飲み物は数少ないテオの好物である。礼を言ってコーヒーに口を付けると宿の主人は仕事かと尋ねた。

「呼び出しです」

 テオは手紙を見せた。上質な紙に刻印されているのは三枚薔薇の封蝋。王家の紋章である。

「ああ……こりゃ仕方がないな」

 主人とテオの付き合いは長い。彼の身の上を思えば王宮を避けようとする気持ちも分からなくはない。だが相手は王様だ。テオがいくらため息をついたり引き止めて欲しそうな顔をしていても、主人は苦い顔で送り出すことしかできなかった。




     *




 春先の穏やかな日差しが降る回廊。陽の光は暖かいが風はまだ冷たい。そういえば彼女はもう着いているだろうか。唯一の友人を思い浮かべたその時、耳なじみのある声が飛んで来た。


「テオ!」

 向こうからテオの前まで駆け寄って来た人物は軽く息を切らして顔を上げた。

「よかった、会えて」

 明るいグリーンの瞳が嬉しそうに細められ、あまり整っていないプラチナブロンドの髪が肩先で跳ねる。ショートコートに麦色のスカート、編み上げのブーツに両脇に抱えられた大量の書物――ルシカ・バースデイは変わらずのようだった。

「元気そうだな」

 明るく素直なルシカは人を寄せ付ける。テオも例外ではない。人と群れることをしないテオだが、ことルシカに関しては別である。

「まずいかな。仕事先からそのまま来ちゃったから着替える暇無くて……」

「構わないさ」

 記録作家は同じ地に留まることが少ない。変わりゆく物事を追うべく、街から街へ常に動き回っている。それにテオの知る召集主はそんなことで糾弾するような人間ではない。

「私、王宮に入るの初めて」

 ルシカがそわそわと辺りを見回す。回廊が囲むのはどこかの森と見紛みまがうほど広い中庭で、祈りを捧げる信者や巨大なキャンバスと向き合う絵描き、立ち話をする役人などがいた。

「あの人たちって何でいつも肩肘張って歩くんだろ」

 通り過ぎて行った役人を見てルシカが言う。

「威厳を示すのが仕事だからな」

 彼らの外面は国の情勢を知る良い目安になる。おのが権力を誇示することに夢中になっているうちはこの国は安泰だ。


 昔、ウィルトゥスを訪れた際に見た王門。子供の目線からすれば果てしなく高く思えたそれは選ばれた者とそうでない者を隔てるように聳え立っていた。

 師は幼いテオに教えた。当時、周辺諸国に遅れをとるまいとしていたヨルノリア。今は外を向いているが近い将来こちらを向いてくれるはずだ、と。彼女の予測した通り、新たな王はさまざまな者を門の内側に招き入れた。

「!」

 テオは突然背後を振り返り、回廊の柱群を見つめた。気配を感じた気がしたのだ。無防備な背中をめ付けられているような不気味な気配を。

「テオ?」

「……何でもない」

 誰もいない柱群から目を逸らし、テオは歩みを再開した。




 「住む者が変われば建物も変わる」。いつだったか、とある大工に言われたことがある。大工は王宮とは程遠い下町で働いていたが、その言葉は正しかったのだとテオは思った。

 衛兵に召集状を見せると二人は建物の中に通された。全体的に内装は素朴で、以前はあった派手な彫刻やレリーフが無くなっていた。代わりに点々と花が生けられており、横でルシカが「意外」と呟いた。

 案内された応接間には三人の先客がいた。一人は黒のシルクハットと外套を着た長身の男で、壁を背に立っている。残りの二人は退屈そうにしている女と緊張した面持ちの銀髪の少女で、それぞれ椅子に座っている。テオたちが入ると少女は頭を下げ、男は鋭い眼光をテオに向けた。女だけが顔を上げてテオに話し掛けた。


「王様からの呼び出しがきたと思えば、有名な記録作家と同席かい」

 オリーブの髪の毛をギラギラした髪飾りで引っ詰めた女は酒の飲み過ぎなのか枯れた声をしている。二十代にも三十代にも見える鼻筋の通った顔立ちで、先ほどまでの退屈そうな態度はどこへやら、興味津々な様子で手を差し出した。

「あたしはロゼ」

 ロゼは異国の植物のような赤紫の耳飾りを揺らして握手した。彼女の名前は聞いたことがある。著名な経営者の悪事を暴いて失脚させたとかで新聞に載っていた。

「私、存じ上げてます。“ロゼ・ラグーン。切れ者と言われる批評家で、風刺作品を書かせると彼女の右に出る者はいない”」

 ルシカが一息に言い切るとロゼは一瞬ポカンとし、それからカラカラと笑った。

「さほど名を知られてないからって悪さできないねぇ……お嬢ちゃんは」

「ルシカといいます。ルシカ・バースデイ」

「おや、聞いたことないねぇ」

 ロゼが顎に手を当てるとルシカが慌てて遮った。

「私はまだほとんど記録作を出していないんです。元は研究家で」

 転身したとはいえ、ルシカは今でも作家業の合間に街文化の研究に勤しんでいる。

「ま、この召集は協会の推薦。選ばれたってことはアンタもそれなりの実力ってことさね」

 励ますように背中を叩かれたルシカが顔をほころばせたところで扉が開き、二人の男が入ってきた。国王ヘンドリクセン二世と側近のヴォイドである。


「召集に応じてくれてありがとう。ヨルノリア国王の名に於いて感謝します」

 ルシカは慌ててかしずいた。あれが、前王の息子ヘンドリクセン二世。

 まなざしは慈愛に満ちており、黄金色の髪は向日葵の束を冠しているかのよう。六年前に即位した齢二十四の王は才ある画家や彫刻家、研究者を次々と重用していった。まさか自分がそのうちの一人になるとは夢にも思わなかった。


「単刀直入に言う」

 短く咳払いしてヴォイドが前に進み出た。

「諸君に内偵を頼みたい」

「内偵、ですか」

 シルクハットを脱いだ男が同じく長身のヴォイドに問い直す。

「そうだ。陛下はこの国をより良くしようと常々願っていらっしゃる。そのために小さな暗雲をも払っていきたいとお考えだ。諸君は我々と忠誠関係にあり、ヨルノリアに関する知識も豊富だ。あらゆる場所へ赴き、なおかつ警戒されず調査が可能な点でも適任だと思う」

「私たちが期待しているのはあなた方だけが持つ“目”です。あなた方が依頼主に寄り添い、彼らの目線で物事を見るように、私たちからは見えないものを見抜いて欲しい」

 ヘンドリクセンが落ち着いた声で言い添えた。

「危険なことはしなくて結構だ。何か不審な物事を見聞きしたらこれを使って報告してくれ」

 机に三枚薔薇が描かれた小さな箱が置かれた。中にはヨルノリア王家の紋章が刻まれた封蝋印が入っている。

「王宮直通の封蝋印だ。ちなみに王宮行きのみで王宮からの効力は無い。諸君を選んだのは陛下自らがお作りになった記録作家協会であること、その意味を今一度心に留めおき、決して信頼を裏切らぬよう」

 ヴォイドが箱を持って回り、皆ワイン色のそれを一つずつ取ると一礼して退室した。

「テオ」

 最後に部屋を出ようとしたテオの背中をひとつの視線が捉えた。振り返り、ヘンドリクセンの深海のような双眼をのぞく。


 テオはただ一礼して部屋を出た。その温情を受け止められるほど、テオはまだ自分を許せてはいなかった。

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