楽園からの逃亡者――1
「随分賑わってるじゃないか」
飾り付けられた石門を見上げてロゼが感心したように言った。ドラン中心街の入口、そこに立つ石門から続く長い通りが祭りの会場になっている。さほど広くはないが、奥の方まで露店が軒を連ね押し合いへし合いしていた。
「この時期以外は閑散としていますから」
ルシカは大急ぎで手帳をめくった。限られた時間で効率良く店を回る為の順序が書いてあるのだろう。テオはまた欠伸した。
「こんにちはイェルダさん」
「あらルシカちゃん」
陳列台の右から左まで並ぶ大量の巻き布の間から鮮やかな太陽色のバンダナを巻いた婦人が顔を出した。
「ちょっと待ってね、今組合長さんが来てて」
「組合長って例の大商人の?」
「ええ。ほら、あれがノーランさんよ」
イェルダが指した方を見ると一人の男が数人の商人に囲まれていた。
「ノーランさん、商品包み終わりましたよ!」
イェルダの呼び掛けに軽く手を上げ、小綺麗な紳士がこちらにやって来た。
「ああ、ありがとう」
「大人気ですわね」
イェルダが世辞を言う。
「いやいや。まだまだこれからですよ」
ノーランはなるほどまだ歳若く、成功者の顔と服装でなければそこらで地道に働く男連中と変わりない外見をしている。
「では」
ルシカたちに一礼し、ノーランは足早にその場を去った。
「イェルダさん。元気そうで良かったです」
「おかげさまで。今来たとこ?」
「ええ。昨日ディランに」
イェルダはおどけた顔で通りの先を指差す。
「今朝からみんな首を長ーくして待ってるわよ」
ルシカが分かっている、というように笑った。
「今から回ります。でもまずはイェルダさんの顔を見ないと」
「嬉しい事言ってくれるじゃない。ほら、これ持って行って。おじさんたちにつぶされないようにね!」
「ありがとうございます」
ルシカは渡された小包をかばんにしまい、イェルダの店を後にした。
「……あれは作家活動なのかい?」
首をかしげるロゼにテオは小さく笑った。
「ここからがあいつの本領発揮ですよ」
「遅いよルシカ。さぁこれを見てくれ」
「こないだの砂糖の売れ行きはどうだった?」
「今セントラルでは何が需要あるんだ?」
「前言ってたやつ、入荷しといたよ」
まるでルシカの到着が拡散されたかのように、テオたちは行く先々で引き留められた。皆顔見知りらしくルシカはそれぞれの店で足を止め、話をし、時々何かを購入した。おそらく記録作家の誰よりも街に詳しく、また誰よりも街人と親しいのがルシカだ。そろそろ休憩がしたい、とテオが辺りを見回すと離れた木陰から老人が手招きした。
「楽しんでいるかな」
老人は店を出すでもなく木陰に拵えた簡易的な椅子に腰掛けて祭りを眺めていた。
「カーターさん、お久しぶりです」
老人に気付いたルシカも走って来る。
「そろそろ来る頃だと思っていたよ」
カーター老人はテオたちに一礼すると椅子を勧めた。
「ノーム教の動向は分かりましたかな」
「今季は教徒さん方と教会に籠るようです。活動再開は冬が明けてからかと」
「そうですか。妙な動きをしている連中だからね、君も気を付けなさい」
「はい。あの、カーターさん。他に不穏な動きを知りませんか?」
「なんだって?」
「あ、いえ、なければ良いんですけど……」
口籠るルシカをカーター老人は探るように見つめた。
「君が進んでそういう事に首を突っ込むとは思えないね」
「あなたは巡礼者ですか?」
テオが尋ねるとカーター老人はゆっくりと首を振った。
「……いや。私は傍観者だ。君たちと同じね」
傍観者。記録作家は時たまそう呼ばれる事がある。
「さぁ、訳を聞かせておくれ。案ずる事はない。傍観者は見ていることしか出来ないのだから」
ルシカが助けを求めるようにテオを見る。テオは目を伏せながら視線を横に流した。彼女にはそれだけで通じる。
「うわさを聞いたんです。ここのところヨルノリアに不穏な動きがあるといううわさです。私、いろいろな街へ行かなくちゃいけないからちょっと気になって」
「ほう」
カーター老人はひげをさすった。
「君にはいつも世話になっている。私のつまらん小噺も何かの役に立つやも知れんな」
「ありがとうございます」
「そういえばここに来てから一つだけ違和感を感じた。妙に治安が良い」
「街の発展とは関係無く、ということか」
テオの言葉に老人は深く頷く。
「いいかね、少し前まで後ろ暗い連中というのはどこにでもいた。だがここに来てからはそういう連中を見ていない。街の発展の事はもちろん知っているとも。だからといってあのならず者たちが一斉にいなくなるとは考えにくい。警備もないのにおかしいと思わんかね」
カーターは鋭く投げ掛ける。その目は
「言われてみれば……」
「皮肉な事だが彼らが集まる場所にはそれなりの情報がある。そういうものを求める者にとってはそう……痛手とも言える」
「用事は済んだかい、ルシカ」
陽が傾いた頃、ロゼは疲労を全面に押し出しながら前を行くルシカに呼び掛けた。
「ああ、すみませんお酒ですよね。すっかり忘れてました」
ようやくテオとロゼの存在を思い出したらしい。
「ついいつもの調子で回っちゃって。隠れた名店があるんです。人づてに聞いただけですけど……原材料の数が少ないので表にはあまり出回らないそうです」
ルシカの案内で一行は建物の陰にたたずむ小さな店を訪れた。大市の為だけに開かれたその酒屋は商品が少なく、暇を持て余しているのか傍にはトランプや開けた酒瓶がだらしなく転がっている。きっとこんな事は初めてなのだろう、ぞろぞろと店の前に並んだ客を痩せた店主はじろりと睨んだ。
「ここの葡萄酒はチノリスの山奥で採れた葡萄を使っているんです」
ルシカが小声でロゼに説明する。
「そりゃレアだね。で、値段は」
「三」
仏頂面の店主が答えた。
「べルクでだ」
売れ行きが良くないのか法外な値段を提示した店主にルシカがムッとする。しかし当のロゼはニヤリと笑った。
「こういうのはどうだい?」
そう言ってロゼが指したのは店主の後ろに散らかっているトランプだ。
「あたしが勝ったら三ベラで貰う」
店主はうなるように「いいだろう」と言い、腰を上げた。予想外の展開にルシカはおろおろとテオを見たが、テオは面白そうとばかりにちゃっかり見物席に着いていたのだった。
賭け事をしないルシカには何がどうなったのかさっぱり分からなかったが、ロゼはあっさりと勝利した。この上なく不機嫌になった店主は半ば諦めるように酒瓶を押し付け、「もう来ないでくれ」と付け足した。
先頭を歩くテオに何かがぶつかったのはドランの出口近くまで来た時だった。尻餅をついてひっくり返ったのは幼い赤毛の少女で、ルシカが手を差し伸べるとその手に縋り付いて泣き始めた。
「大丈夫? 怪我したのかな」
「たすけて、おねがい」
「え?」
少女の服をはたいていたルシカは顔を上げた。
「パパとママ、いなくなっちゃった」
「迷子か? それなら警察に……」
テオが言い終わる前に少女は首を振った。
「はなし、きいてくれない」
「どういう事だい?」
ロゼが酒瓶を抱えたまま訊いた。
「パパとママは『らくえん』に行ったんだって」
「楽園?」
ルシカたちは互いに顔を見合わせた。
「あなた、名前はなんて言うの?」
「……ティア」
「じゃあティア、お姉ちゃんに詳しく聞かせてくれる?」
ティアは嗚咽を堪えて話し始めた。
最初にいなくなったのは父親だった。ティアの父親は金にだらしなく、働きもせず毎晩怪しげな酒場に入り浸っていた。ある日、飲みに出て行ったきり帰って来ない父親を探しに母親が酒場へ行ったのだが、それきり戻らないのだという。
「それで、楽園って?」
「わかんない。港のおじさんたちがそう言ってた」
「楽園神話の事かしら、マグノスの」
ルシカの有象無象の知識を口にする。
「そのおじさんというのはどこにいる」
テオたちはティアが話を聞いたという荷揚げ場へ案内してもらう事にした。
ディランの荷揚げ場は数カ所あり、それぞれ近場の漁師たちの領分であったのだが、ディラン最大の漁港組合が出来てからは全てその管理下に置かれていた。ティアは街から少し離れた場所にある荷揚げ場の近くで足を止めた。
「あそこ」
まだ夕暮れでもないのに薄暗いそこはカビ臭く、石段や船は塩錆や藻に覆われており、油断すると海の底へ引き摺り込まれそうな不気味さがあった。
「人がいるわ」
ルシカが陸に繋がれた船の中に人影を見つけた。漁師とは違う、妙に整った服を身に付けた男だ。テオはルシカの手をがっちり握っているティアを振り返った。ティアが言うには、ここで男たちが「あそこへ行った者は楽園へ消える」と話していたらしい。
「直接聞いてみるかい?」
ロゼが小声で訊いた。
「いや、人が消えてるのを知っているような人間に迂闊に近付くのは危険だ」
テオは建物の影から男を観察した。
「せめてどこの事を言ってるのか分かれば良いんだが」
その時、建物の中から男が一人出て来た。先程の男がいる船へ身を屈めて足を入れ、屋根に手を掛けたまま話し始める。
「ここに居てくれ」
「テオ?」
テオは建物の陰から出ると足早に海沿いを歩き、男たちの二つ隣の船に乗り込んだ。そして船内に散らばる網やら釣り道具やらを、さも慣れたような手つきで片付け始めた。男たちはテオに見向きもせずに話を続けている。テオは手を動かしたまま耳を傾けた。
「――で、ここのところの儲けはどうよ」
「そりゃ、上々だ。なんせ人手に困らねぇんだから」
「やり手だか何だか知らねぇがああいう奴が一番汚ぇんだよなぁ」
男は肘を船縁に乗せて嘲笑った。
「楽園だと。お前、あそこへ行きたいか」
船内の男は勘弁してくれと手を振った。
「俺はまだゴミじゃねぇ」
「どうだか」
そこまで聞いて、テオは静かに船を後にした。
*
黒い湖の縁にカラスがとまり、ギャアと喚いた。静まり返った森に陽の光はほとんど届かず、水面は深い水底の黒を映すばかりだ。その湖畔に、一軒のログハウスが建っている。
「近頃ディランが儲けているらしいな。何かしたのか」
暖炉の前で椅子に腰掛けている男がゆったりした口調で訊いた。
「ちょっと知恵を入れてやっただけだよ」
ダイニングテーブルに足を乗せた男は軽口を叩くようにして答えた。テーブルには消費された大量の煙草が散らばっている。
「あれを知恵と呼ぶのか」
「俺らの世界じゃ呼ぶね。そちらさんは違うらしい」
「私じゃあない」
男は暖炉の火を見つめたまま言った。
「彼女だけさ」
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