第29話

 慧也けいやたちが待機室へ戻った時には、外の荒れ模様は一段と酷くなっていた。


 時刻は午前一〇時過ぎであるにも関わらず、夜と見まごうばかりの光量の少なさだ。停電が影響して街明かりもなく、それが一層不気味さを助長させる。


 空の中央にそびえたつ『慟哭どうこく道標みちしるべ』はその異様を誇っていたが、それによって人々がパニックに陥っている様子はうかがえない。


「見えてないのか?」


「多分な。ある特定の脳波パターンの人だけ見えるんやろ。つまり、ウチらだけにな。今までもあったし珍しない。ただ、あの大きさは異常やな」


 藍那あいなは周囲の建物や垂れ込める雲の高さ、その他の情報から目測で大きさを推測する。


「上の方は隠れてるけど、高さだけでもキロ単位やな。底辺の幅が約二キロ。高度は四〇〇から五〇〇メートルくらい上空かな。有り得へん大きさや」


「くそっ! あんなでけえの、どうしろってんだ!」


 深月みづきが毒づく。距離と大きさ、どちらもがこちらからの手出しを拒んでいた。並大抵の武器ではダメージを与えられそうもない。石板は地響きとともにゆっくりと回転している。


「あ! あれは!」


 異変に最初に気づいたのは明日香だった。雲間から見えている石板の最も広い壁面の中心付近に真横に一本の切れ目が入ったかと思うと、それがゆっくりと上下に開いていくのが見えた。


 それはやがて、見開かれ、大きな一つ目となってミッションエリアを睥睨していた。絵に描いた禍々しさを体現するかのように。


「これは……」


 ここに来て、雨の降り方が異常になってきたことに四人は気づかざるを得ない。それほどにまで、窓を打つ雨の音が激しく、外の景色さえもまるで水の中から眺めるようにぼんやりと映っている。


「この雨、本当に台風だけの影響かな」


 慧也には、今まで経験したことのないような雨量と目の前の異様なゾイノイドが関係しているように思えてならない。


「どうでしょうか。テレビをつけて情報を聞いてみましょう」


 明日香の言葉を受け、藍那がテレビのリモコンを操作する。


「ありゃ? 砂嵐……」


 電波が入っていないのか、どのチャンネルも砂嵐を映し出すだけだ。慧也はラジオをつけてみるが、こちらも同じだった。


「いくら風雨が激しいと言っても、全ての電波がダメになるなんて……」


「せやな、ちょっと作為を感じるなあ。アレの影響かもなあ」


 もはや窓から外の景色もゾイノイドも見ることが出来ないほど、風と雨は窓を叩いていた。このままでは風圧で窓ガラスが割れるのではないか、という勢いだ。


「どうする、慧也っち。外に出るのは得策じゃねえよな?」


「うん。だけど、ここにいてやり過ごせるようなら、そもそもあんな巨大なゾイノイドを投入はしないだろう。外に出ざるを得ないんじゃないかな」


 慧也は考える。


「なんとか、もう少し外の情報を得られればいいんだけど……」


 ひとまず窓際から離れ、ソファーに腰を落とす。三人の少女もそれに倣い、慧也を囲むように座った。藍那は何やら自分の荷物をごそごそしている。


「これ、飛ばしてみよか。慧也はん、これテレビにつないで」 


 藍那が持ち出したのはサイコロ大の小さな機械だ。そして、首の後ろの端子に映像ケーブルをつなぎ、その一端を慧也に渡した。


「ウチは情報系やからな、偵察用のカメラも飛ばせる。ウチから半径五キロくらいは制御できるし、映像もモニタリングできるで」


 藍那が掌の小さなカメラをほうり上げると、それは自立して空中に浮かんだ。そのカメラがとらえた自分たちの映像がテレビの画面に映っている。


「窓を開けるのはなんやし、壊れっぱなしの玄関から外に出すわ」


 偵察カメラは小さな体に似合わず、風雨の中をしっかりと飛んでいた。藍那の積算チップはGPSによって正確にカメラの位置を把握しながら目標のゾイノイドを目指して飛んでいるが、モニタに映るのは暗い空と叩きつける雨粒だけだ。


「ちょい方向修正しよっか」


 カメラは藍那の思考を受け取って自在に動く。クルクルと視界を回転させ、瞬時にゾイノイドの姿を捉えた。風雨と闇が荒れ狂うこの空では、いまや唯一視認できる物体だ。モニタに映るその姿は、淡く発光している。そして、その中心に開く巨大な目玉からは、滝のように水がほとばしっていた。


「まるで……泣いているようだ」


「……『慟哭どうこく道標みちしるべ』なるほど、そういうことですか」


 慧也の呟きに、明日香が小さな声で答える。


「なんかわかったんか? 明日香ちゃん」


「いえ、そういうわけじゃありませんが。いま、あのゾイノイドの位置はどこですか?」


「えーと、現在地はほぼこの真上数百メートルってところやな。少しずつ北東方向へ流れて行ってる」


 藍那はカメラとGPSの情報から位置を割り出す。


「ということは……やはりこの滝のような雨は奴の流す涙か」


「いえ、この涙はおそらく、ミッションエリアに住む人々の慟哭です。あれは、人々が心の底に持つ慟哭の衝動を増幅し、それを糧に泣いているのでは、と」


「明日香っちは、何でそう思う?」


 黙っていた深月が口を挟んできた。新型のゾイノイドで、データも何もない。だが、明日香は確信めいた口調で判じる。深月としては一応理由を聞いておきたかった。


「昨日の『寂寥せきりょうの記憶』と同じ感じがします。もっとも、スケールは桁違いですが。うかうかしていると、街が全滅するかもしれません。何とか破壊しないと……」


 『寂寥の記憶』に比べて効果範囲が広いが、その効果は同じ、と明日香は判断した。効果範囲が広い分、急激な影響は受けないようだが、長引くと街の人々の精神が焼き切れるかも知れない。


「何を狙ってるかはわからへんけど、ここにおっても打開できそうにないなあ。表に出て迎撃してみる? ま、効果のほどはわからんけど」


「あたいもそれに賛成~。じっとしてても仕方ないし、取りあえずなんかぶち込もう。このままじゃここも水没しかねねえし、どっちにしろあれを撃退しなきゃ勝ちはねえんだし」


 慧也は二人の言葉にうなずく。


「よし、出よう。何とかして、あれを止めよう」


 慧也は立ち上がる。三人の少女はそれに続く。


 明日香は、深月は、藍那は思っていた。いまだかつて、ミッションにおいてここまでの一体感など、感じたことはなかった、と。

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