第28話
「あ、あれ?
「あ、ああ、たった今……メストにテレポートで強制送還されてきたよ……あまりいい気分じゃないね、これは」
テレポートに酔ったのか、気分が悪そうな様子の慧也に藍那は冷たいお茶を手渡す。一気に飲み干した慧也は、ようやく落ち着きを取り戻した。
「まったく! 慧也はん、あんまり勝手な真似はせんといてや! 万が一があったらウチらの立場ないっつの!」
顔を真っ赤にして怒る藍那に、慧也は気圧される。もっとも、藍那は怒りで顔を赤くしているわけではなかったのだが。
「ご、ごめんよ。で、あ、明日香は?」
「とりあえず兵装は全部強制解除したけど、まだぶっ倒れてる。今、深月ちゃんが様子見てるけどな」
「そ、そうか」
「そうか、やないで、慧也はん。ウチらも長いことミッションやってるけど、あんな明日香ちゃん初めてなんや。ま、いろいろ思い当たることもあるんやけど、まずは、メストと何話してきたか吐き!」
「い、いや、その、大した話はしてないんだけど……」
「ええから吐く!」
藍那の気迫に押され、慧也はメストとの会談の内容を話す。ただし、改造技術がフェデラーのもの、ミッション勝利の暁には彼女たちを元に戻す技術を供与すること、地球勝利の末にはメストにつけ、などの話は伏せた。これらはまだ確実な信憑性を持つ話ではなかったからだ。
「なんや、ホンマに大した話してへんなあ。……慧也はん、なんか隠してへんか?」
「い、いや、ほんとにそれだけだよ」
若干猜疑の目を向けるが、藍那はしばらくしてため息交じりに視線を外した。
「ま、ええわ。それより今は明日香ちゃんや。はよ目を覚ましてくれたらええけど。明日香ちゃんがおらんと戦力ガタ落ちやし、かといって、ウチが戦場に出るのは深月ちゃんが許してくれへんやろうしなあ……」
腕を組みつつ、右の拳に顎を乗せながら、藍那は俯いた。
「そういえば、明日香も深月も君が戦場へ出ることには渋い顔をしていたね。どうして?」
「慧也はん、ウチの事あったかいってゆうたやん?」
「え?」
慧也は一瞬なんのことかわからなかった。しばらく記憶を検索すると、それに思い当たる。
「ああ、最初に握手した時?」
「そう。それってどういうことかって言うとや、ウチは彼女たちに比べて、生身の部分が多いって事なんや。ウチの身体は情報処理用の電源や端子、端末処理用の
「……そうか、それで戦場には出したくないって」
つまり、明日香や深月にとって、藍那は兵器ではなく人間なのだ。だからこそ、危険な前線に立たせたくない、と思っているのだろう。
「でもやあ? ウチも仲間やねん。同じ場所に立っときたいねん。明日香ちゃんや深月ちゃんにだけ危ない橋を渡らせるのは、ウチとしては嫌やねんけどなあ」
両方の気持ちが、慧也には理解できた。自分も護られる存在として、彼女たちと出会った。だけど、今は彼女たちを護りたい。それは、物理的な戦闘からというわけではなく、彼女たちの生きる意味や、本来生きるべきだった世界を、だ。
藍那は補給用信号弾を手に取り、窓を開ける。
気が付けば日もとっぷりと暮れ、幾分不穏な風が強く吹いてカーテンを揺らす。
「そういえば、台風近付いてるってゆうてたな」
藍那は信号弾を上げ、今日のミッションの休息を確保し、気持ちを切り替えて慧也のための食事を作り始めた。
朝が来た。太陽は差し込まない。ただ黒く垂れこめた雨雲と、不吉な予感さえ思い起こさせる風が吹いていた。
昨夜から強まっていた風は、今朝になってさらに猛威を振るっている。ミッションに気を取られすぎて、世間の動きを注視していなかったが、気が付けば台風は四国に上陸し、まっすぐにこちらに向かっていた。
「随分と雲行きが怪しいな……」
「警報出てるって話やな。そういえば慧也はん、昨日どこで寝たん? ま、まさか、明日香ちゃんとこにもぐりこんだんやないやろ?」
「あ、当たり前だよ! 兵器調整室でほぼ徹夜さ。いろいろやることがあるんでね」
「こんな時やのに、仕事熱心やな」
待機室にいるのは藍那だけだ。やはり誰よりも早く起きて、朝食の用意をしている。
「君も熱心に料理をするよね」
「後方支援担当やし、これくらいしか能がないからなあ。せめていいもん食べて、英気養ってもらうしかなあ」
昨日の話を聞いたからか、慧也にはその一言が心に寂しげに響く。
「明日香と深月は?」
「もうすぐ起きてくると思う。慧也はんが寝るゆうて出て行った後、一回明日香ちゃん起きてきたよ。もう大丈夫やと思うねんけど……」
藍那はそこで一度言葉を切った。
「もう、今までの明日香ちゃんと、ちゃう気がする……」
「そ、それはどういう意味だい? まさか……」
慧也はその言葉に寒気がした。『寂寥の記憶』による精神攻撃が、明日香に深刻なダメージを与えたことが懸念されたのだ。
「まさか、どうなったとお思いですか? 慧也様」
「うわっ!」
突然背後からかけられた声に慧也は飛び上がった。振り向くと、そこには明日香がいた。
「おはようございます」
「あ、ああ、おはよう」
なんだろう、確かに違和感がある、と思った。
瞳だ。今まで生気がなく無表情だった瞳に光が戻っていた。そして、それは明日香の魅力をさらに輝かせているように思えて、慧也はしばらくぼんやりと彼女の顔を眺めていた。
「な、なにか、私の顔がおかしいですか?」
「いやいや、明日香っち、君があんまりかわゆいから、慧也っちが見とれてんだよ」
「な! 何を言ってるんですか! 深月!」
突然後ろから深月が抱きついてきた。反論しつつも、明日香の顔は朱に染まる。昨日までは絶対に見せなかった表情。
「明日香……」
慧也は不思議な感慨を覚えた。その視線に気づいた明日香は、再び慧也に向き直る。
「慧也様、いろいろご心配をおかけしました。なにか、長い夢から覚めたような気分です。たった数日。それで人は変わることが出来るのですね。痛感しました」
明日香は笑顔とは呼べないまでも、穏やかな表情をしていた。そして、初めて自分を『人』と形容した。そのたたずまいに慧也は思わずドキリとする。
「な? 今までの明日香ちゃんとちゃうやろ? ウチ、なんかドキドキするわ、明日香ちゃん見てると。もうなんか、同性でもいいからメチャメチャにしたい?」
「あ、それわかるわ、藍那っち。あたいもこの娘もみくちゃにしてみたい」
「お二人とも、セクハラ発言は控えめにお願いしますよ……」
「それそれ、その表情。昨日までの明日香っちなら考えらんない。あの精神攻撃のおかげってんなら、フェデラーにも少しは感謝しないとな」
ほんの少しだが、表情にバリエーションの出てきた明日香を、深月は喜んで囃し立てているようだ。藍那も、その様子を少しはにかんでみていた。
外の風雨は激しさを増しているが、この部屋の中でだけ、少し日差しが見えたような、そんな錯覚に陥った時、ゴン、という大地が鳴動するような音と振動とともに、部屋の照明がすべて消えた。
「な、何が起こった!」
慧也は色めき立つ。その周囲を三人の少女が囲んで警戒する。
「深月、外の様子は?」
明日香はスルトリアと盾を展開して慧也を護りつつ、深月に指示を出す。深月は窓から外を眺める。
「ここだけじゃないな、街全体が落ちてる見てえだよ」
この棟の電源はすぐに自家発電に切り替わり、取りあえずの照明は回復したが、それはここが特殊な研究施設であるからであり、街中ではやはり完全に電気が止まっているようだ。
日中とはいえ、台風の影響でかなり低く黒雲が垂れ込めている。その為、夜でもない、昼でもない、何とも言えない不気味な暗さが周囲を包んでいた。
空一面を覆っている黒雲は、まるで意志を持つかのように渦を巻き始め、渦の中心が少しずつ広がっていくのが見えた。
「な、何だよあれは……」
深月は息を飲む。その禍々しい光景に。
「おい、みんな、あれ、見てみろよ」
深月は三人を窓辺へと手招きする。
「こいつは……」
慧也もその異様な光景を唖然として見つめる。確かに台風が上陸し、こちらに近づいてきている。天候は大荒れで風も強い。
だが、今眼前で起こっている雲の動きは、そう言った自然現象とはかけ離れた動きをしている。
渦の中心はぐいぐいと隙間を広げていくが、そこに青空が現れるわけでなかった。むしろさらに暗い闇がそこに湛えられている。
「あうっ!」
「な、なんやこれ!」
「あ、頭に直接響くみてえだ……!」
明日香、藍那、深月がほぼ同時に頭を押さえて膝をついた。直後、地響きのような音が空から響く。
「く……これが、三体目なのか……」
慧也の頭にも頭痛とも何とも形容しがたい鈍い感覚が生じていた。それは痛みとも不快ともつかない奇妙な感覚だ。そして、闇を湛えた中空の穴からは、一本の巨大な、まるで壁のような石板がゆっくりと姿を現している。その大きさは、空中に存在する人工的物体としては、人智で考えうる大きさを遥かに凌駕している。街全体に影を落としかねない、それほどの巨大さだった。
「昨日のが二体目やとして、そうなるやろな……」
「昨日の奴は『
藍那に答えながら、慧也はゆっくりと立ち上がる。
「どうやら、ここが正念場のようだ。ちょっとここで待ってて。僕の武器を取ってくる」
「武器って、慧也様が戦うつもりですか?」
「もちろんだ。君たちだけに戦わせるわけにはいかない。この戦いはもうすでに僕の戦いでもあるんだ」
三人の少女は一様に慧也の表情を見上げていた。その決意に満ちた表情を。そして明日香も静かに立ち上がった。
「では、お供します。わずかな時間でも、あなたのおそばを離れるわけにはいきません、これ以上」
「わかった、頼むよ」
今までは無表情な瞳をした義務感による行動だった。だが今は、明らかな意思の光のある瞳で、自らの意思で動く。明日香自身も本来の行動指針が変わっていた。このミッションをただ乗り切るだけではない。その先にある何かを見届けようと思っていた。
部屋を出て兵器調整室までの白い廊下を二人は歩く。慧也の歩みは力強い。そして、それに従う明日香にも迷いはなかった。
「明日香」
慧也は突然立ち止まって明日香の方を振り返る。
「は、はい」
「昨日は大変だったと思うけど、今日の君はとてもいい顔をしている」
ボッ、と明日香の顔面に赤い花が咲く。
「ほら、その表情。今までその顔はなかった」
「あ、あの、その、昨日、『寂寥の記憶』に襲われた時、昔の夢を見ました。夢というか、それがあれの攻撃だったのかもしれませんが、おかげで私は何か忘れていた物を取り戻した気がするのです。まだなんだかよくわからなくて持て余しているのですが、とにかく、それは大事な物だったように思えて……」
明日香はそこで一度言葉を切る。そして深く深呼吸をして、再び紡ぐ。
「少なくとも、私はあなたのような方に初めてお会いしました。危地にあって絶望せず、狼狽せず、ただ静かに私たちのことを知ろうとしてくださる。だから、私はこのミッションの結末と、その先にあるものを、見届けたいのです」
そうして、今までにない力のある瞳で慧也を正面から見据える。
「だから、あなたを護ります。これはミッションの経過ではなく、私の意思です。一緒に、戦わせてください、慧也様」
慧也は、真剣な眼差しの明日香に微笑みを返す。
「一緒に戦わせてもらうのは、僕の方だ」
「……慧也様」
「僕は今まで、兵器開発という職に携わりながら、実際の戦闘に考えを巡らさなかった。それは、薄々気付きながら、そこから逃げていたにすぎない。だけど、こうして君たちを目の当たりにしたことで、これは僕の戦いになった。もう僕は、逃げない」
慧也と明日香は同じだった。自分の内にある矛盾から目をそむけ、何かから逃げてきた、ということが。
「君は神様も魔法も奇跡も信じないと言ったね。だけど、もしも奇跡があるのなら、とも言った。だったら僕は、その奇跡を起こしてみせる」
総ミッションで勝利を得る。それこそがその奇跡への最短距離。慧也は生きるべき道をここに決めたのだ。その言葉は、明日香の心に力強く響く。
「……数限りない絶望の中で、あなたは一筋の光を私に与えてくれるというのですね……それなら、私はあなたを信じます。慧也様、あなたを信じて」
小さく微笑んだ。その微笑みは、兵器となってから四年間、まったく作り出せなかった表情だ。少しぎこちなく、それでいて春の陽の光が溶かした雪解け水のような清廉さがあった。
「行こう明日香。僕らの戦いの場へ」
「はい」
二人は、初めて互いの存在を意識し、手を取り合ってまっすぐな廊下を走った。それはまるで、同じ軌跡を歩み始めた二人を暗示するかのような道だった。
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