第19話
明日香は高空からミッションエリアを眺めていた。第二版のデータに基づき、明日香の丸メガネに集積されている情報も更新されている。相変わらず周囲一〇キロのミッションエリアには赤い線で枠が引かれており、その中で敵拠点となる位置が×印で示されている。
「四カ所、いえ、五カ所ですか。今日の所はメストは無視して、あの下品な方を仕留めたいところですが」
滑空しながら、明日香は考える。
やみくもに拠点をつぶすのは簡単だが、市街地で大規模戦闘となると被害が大きくなるかもしれない。
いくら記憶操作がリアルタイムで行われているとはいえ、怪我人や、まして死者が出る事態は避けたい。記憶操作は、その死者が最初からいなかった、という優しい設定はしてくれない。何らかの事故で死んだ、と記憶が書き換えられ、悲しみや喪失感だけは残る。事実を知らせないだけ、より残酷ではないかと明日香は思う。
それを看破してか、今回の敵方の拠点はすべて市街地、それも密集地だ。
(どうしますか……)
攻めあぐねてしまう。
スルトリアによる一挙殲滅は明日香の最も得意とする手法ではあるが、過去のミッションの中でも人の住まないエリアでのみ効果が最も高く、今回のようなエリアではあまり不用意に殲滅戦へ踏み切れない。
五カ所ある拠点のどこに誰がいるのか、そこまではルールブックに記載されていない。ある程度は自力で探し出す必要があった。ミッションはいつも適度に手がかかるように設定されている。
明日香は考えに考えた末、ひとまず拠点を一カ所ずつ訪問することにした。そこにいるのがメストであれば、今日はやり合わない、で話がつく。フィーフィールトであれば、条件付きで戦闘可能エリアへおびき出す、という手を使うしかない、と。
明日香はまず、ほぼ真下に位置する一カ所目へと向かう。公団が立ち並ぶ一角から少し路地に入ったところにある一軒家だった。訪問を告げるチャイムを押す。
しかし、しばらく待っても反応はない。ハズレ。
次の拠点はそう遠くない。あまり頻繁に飛ぶと体力の消耗にもつながるため、明日香は歩くことにした。
ごく普通の街並みだ。
住宅区域のため商店などの類はなく、静かなたたずまいを見せている。学校が近いのか、子供たちのはしゃぐ声も聞こえてくる。
(こんな場所では、勘弁してほしいですわ)
相手の出方によってはどんな被害が出るか、想像もつかない。こちらの攻勢を封じる手がいくらでもある。
次の拠点は、奇しくもその学校のある方向だった。明日香は嫌な予感がした。ルールブックの第二版は相手方も持つ。拠点が記載されていることはお互い承知の上である以上、攻撃が仕掛けられることも想定しているだろう。
その際、最も有利に進められる拠点にいる可能性は高い。
やめようか。
一抹の迷いが頭をよぎる。
しかし、いち早くフィーフィールトを殲滅しておきたい、というのも事実だった。あの男はルールの中でのミッション、という意味において信用できない。何か、そう思わせるものがあった。
フェデラーのゾイノイドは総じて金髪が多く、アジアエリアでのミッションではその風貌が目立つためか、あまり表立った行動はしない。
それ故に情報も入りにくく、不意打ちを受けることも多かった。
次の角を曲がると、そこには中学校があった。拠点はこの学校のすぐ傍にある。明日香はためらった。その拠点に奴がいれば、万が一のことが起こりかねない。
「今日は、帰りましょうか……」
「ひへ、せっかくここまで来たんだ、楽しんでいけよ、嬢ちゃん」
「!」
明日香は突然耳元に囁きかけてきた相手を確認することもなく、振り向きざまにスルトリアで切り付けた。しかし、ターゲットは俊敏にその効果範囲から逃れている。
「来ると思っていたぜえ。拠点に無差別攻撃は、お前らの今までのパターンからしてない。となれば、拠点を一つずつ調べに来ると踏んでいたら、まったくその通りとはなあ」
「お黙りなさい。今日はあなたを殲滅するために来たのです。市街地では被害が広がります。戦える場所へ移動しなさい」
「ひへ、そいつはきけねえ。なんでお前さんの戦いやすい方法を選んでやらなきゃいけねえ? 俺にはメリットがないねえ」
「……そうでもないですよ。あなたが勝てば、私を好きにすれば結構です」
自分の身体を餌に戦闘場を設定させる。乗ってこなければ一旦退こうかと考えていた。だが、明日香の読みは甘かった。
「その条件は意味がねえ。どうせ倒せば凌辱してやるからなあ!」
腰に装着していたハンドガンを明日香に向け、一発発砲する。明日香はスルトリアを一振りして、弾丸を闇に帰す。今日は全くの遭遇戦のようだった。フィーフィールトは火力の大きい武器を携行していない。即効で片をつけるチャンスだった。
「ひへひへ、その剣は危ない危ない。近寄りたくはないもんだなあ」
フィーフィールトはさらに数発牽制で発砲しつつ、目の前にある中学校の運動場のフェンスを飛び越えた。
「く! 待ちなさい!」
明日香もその後を追う。数発の銃声に気づいた住民の何人かが、何事かと屋外に出始めていた。
まずい。ここで戦闘が激化するのは避けたい。追撃の手を緩める。
「おほお、嬢ちゃん、いいのかい? 追わなくて。止めないと、どうなっちゃうかなあ?」
「何を!」
フィーフィールトは校庭を駆け抜け、その体躯とは裏腹な俊敏な動きで校舎の二階の窓から授業中の教室へなだれ込む。
(しまった! 乗せられた!)
明日香は歯噛みした。発砲しながら逃げを打ったのは、明日香をおびき寄せるため。追ってはいけなかったのだ。この展開を危惧していたにもかかわらず、敵の手に乗ってしまった。
教室からは突然の侵入者に悲鳴が上がっている。
(まずい、パニックが起こる……)
明日香はそれ以上追うかどうか逡巡した。ここで手を引けば、あの男が人質を取る理由はなくなる、と考えた。だが、答えは明日香の思う通りではなかった。
「ひへ、来いよ、嬢ちゃん。来なきゃあ、ここにいるガキどもの安全は保障しねえぞ?」
「なんですって?」
てっきり攻撃の盾にするものとばかり思っていたが、予想に反して来いと言う。人質を取られた以上、明日香には抗うすべはない。二階の窓まで軽く跳躍し、教室へと入る。
教室には三〇人ほどの生徒と一人の女性教師がいた。騒ぎを聞きつけ、他の教師も外から中をうかがっている。他教室からは避難誘導が始まり、続々と校庭へと逃れていった。
「フィーフィールト! 何が望みですか! 関係のない人たちを巻き込まないで!」
怒り?
明日香は自問した。今までのミッションでは、激昂することなどなかった。どのような過酷な状況であれ、相手が卑怯な手を使ったのであれ、冷静に、ある意味冷酷に対応してきたように思う。
なぜ怒り?
しかし考えている暇はない。明日香はその答えを見つけ出すより先に、今の状況を打破しなければならなかった。
「ひへひへ、よくおいでなすった。さて質問だ。どうして俺たちフェデラーがこの星を欲すると思うのか。知っているか?」
「なんですって?」
意外な質問に明日香は眉を顰める。
フェデラーという言葉を聞き、教室内はざわめく。今や中学生であれ、この地球がフェデラーという異星人とある種の緊張状態にあることは常識だ。だが、目の前に彼らが現れることはほとんどない。よしんば現れていたとしても、記憶操作などで残っていないケースも多々あった。だが今はリアルタイムで起こっている。あとで記憶操作が施されるとしても、さすがに目の前にフェデラー星人がいるとなると、瞬時の操作はできないのだ。
教室内は阿鼻叫喚の様相を呈し、子供たちは一斉に教師の背中に隠れる。教室の端の方に密集するが、廊下側にはフィーフィールトがいるため、必然的に窓際に集まらざるを得ず、避難はままならなかった。
生徒たちのいなくなった教室の中央付近を挟んで、二人は対峙する。
「ほれ、答えを知らんのか?」
「あなた方の一方的な理由など、私は知らないし興味はありません。私の使命はあなたたちの殲滅、ただそれだけです」
「そりゃいい。そうでなければこちらも面白くない。そうだな、ひとつ教えてやろう。フェデラーとおまえたち地球人類は、遺伝子構造が酷似している。外観や生命機能もな。つまり、この星は俺たちの生息環境に適していると同時に、お前たちと生殖することも可能、ということだ。意味は分かるか? ひへへへ」
明日香は小さく呻いた。答えない彼女を見て、フィーフィールトはさらに語を継ぐ。
「つまり、おまえらを充分楽しんで犯すことが出来る、ってことだあ!」
フィーフィールトの姿が掻き消える。高速移動で、窓際に固まっている生徒の一団の元へと飛び込み、一人の女生徒を羽交い絞めにした。難を逃れた生徒たちは蜘蛛の子を散らすように、廊下へと飛び出していく。教師とて例外ではない。
「なにを!」
非難の声を上げる明日香に対して、ゾイノイドは勝ち誇ったようにあざ笑う。
「さて、俺はこの嬢ちゃんとおまえさん、どちらで楽しんだらいいと思う? まあ、何ならおまえさんはもう帰っていいぜ?」
「ひいいっ!」
ゾイノイドの腕の中で小柄な女生徒がひきつった悲鳴を上げる。
「く……!」
明日香は理解していた。フィーフィールトは彼女がここから撤退できない状況であることを充分熟知し、そのような問いかけをしていることを。
明日香はスルトリアを収納する。
「なにが……望みですか……」
ここに至って、戦闘の意思を継続することは、無用な犠牲者を生む。フィーフィールトの性根が卑怯で卑猥なものであると知っていても、明日香は従わざるを得なかった。しかも、この時点で救援が来る可能性は皆無だ。
夕方を過ぎて明日香から連絡がなければ、深月や藍那が異変に気づくだろう。だが、慧也の保護が最優先ミッションである限り、この短時間で明日香が劣勢に立っていようが、それを知りうる手段も気づこうとする気持ちも出てこないだろう。
そして、彼女たちが異変に気付いたとき、全ては終わっている。
「何が望みですか! その子を放しなさい!」
再度、今度は強い口調でゾイノイドに詰め寄る。ゾイノイドはしてやったりという陰湿な笑みを浮かべながら、手にしたハンドガンを女生徒のこめかみに当ててにじり寄る。
「何が望み、ねえ? わかってんだろ? 最初に会った時、俺は宣言したはずだ」
スルトリアの効果範囲ギリギリの辺りで立ち止まり、勝ち誇ったように顎をしゃくりながら言う。
「お前たちを凌辱する、とな」
ギリッと明日香は唇をかみしめる。
このゾイノイドは、激しく明日香の感情に揺さぶりをかける。悔しいことだが、明日香はその揺さぶりに抗うことが出来ない。今まで喜怒哀楽の感情は心の奥底に封じ込め、ただミッションをこなす機械としてその存在を自認していた。
だが、このミッションにおける慧也の存在とその言葉、フィーフィールトの今までにない、ミッションを超越した個体的性質の陰湿さなど、明日香の深層を揺さぶるものが多すぎる。
(どうして……なにか、おかしい……こんな事が……)
考える。頭の中でグルグルといろんな感情や情報、推測、不安、期待、困惑などが飛び回る。
そもそも、感情を抑制すると同時に明日香は考えることをやめていたのだ。知るという行為を放棄していたのだ、ただ、兵器で在るために。
その根底が覆りそうな、大きなめまいのようなものを感じながら、明日香は必死にゾイノイドの前に立っていた。
「まずは、そうだな、その服を脱いで下着だけになれ。全部脱ぐなよお? 興ざめだからなあ」
舌なめずりをしながら、ことさらに銃口を人質の少女のこめかみに押し付ける。少女は
恐怖のあまり引きつり、声も出ない。
「従います。だから、その子に手荒な真似はしないでください!」
明日香はセーラー服のスカーフを外し、ブラウスを脱いだ。ささやかなふくらみを包むスリップのみで、ブラは着用していない。次はスカートのファスナーを降ろし、スカートをストン、と下に落とす。薄いピンクの清楚な下着が露わになる。
今までとは違う感情の動きが、明日香を戸惑わせる。
心が戻ってきている。
明日香はそれを自覚した。だが、よりによってこんな状況で心のざわめきが戻ってくるなど、明日香は認めたくなかった。
「ほほう。こりゃいい感じだ。たまらねえエロさだあ」
フィーフィールトはわざとらしく明日香を辱める言葉を吐く。明日香は出来るだけ視線を外し、唇をかむ。
「いーい表情だ。そそるぜ、アスカちゃん。ひへへへ、そこの机の上に座りな」
フィーフィールトは、教師が立つ教卓の上を示した。明日香は指示通りそこに腰掛ける。
「そこで足開きな。しっかりとなあ。ひへひへ」
「そ! そんなことは! で、できません!」
さすがに明日香は拒否をした。しかし、フィーフィールトは無言で銃口を人質に向け続ける。これ見よがしに引き金に力を入れるそぶりを見せる。
「わ、わかりました……」
明日香は狭い教卓の上で後ろに手を着き、ゆっくりと足を開く。生徒が一人つかまっているため、廊下には成り行きを見守る複数の男性教師もいる。衆人環視の中、羞恥と屈辱で耳朶まで真っ赤になり、体を支える腕も、開いている足もがくがくと震える。あまりの恥ずかしさに明日香はギュッと目を閉じる。
「いい格好だあ。歴戦の人間兵器も、こうなりゃただの娘っこだな。変な抵抗するんじゃねえぞ? ん?」
ゾイノイドは人質を腕に捉えたまま、明日香の方へとにじり寄ってくる。そして、おもむろに耳元に顔を近づける。
「けけけ、いい匂いじゃねえか。女の匂いだ」
「……っ!」
わざとらしく鼻をひくつかせ、匂いを嗅いでいることを強調する行為に、明日香は身を固くした。
「ひへひへ、動くんじゃねえぞお」
フィーフィールトは、耳元から首筋、脇から胸と、順に鼻を鳴らして匂いを嗅いでいく。そして一旦鼻先を放し、膝小僧から太ももにかけてゆっくりと時間をかけて同じ行為を繰り返す。そして、それは徐々に足の付け根へと近づいてくる。
「……いやっ……」
明日香は小さく呻いた。
今まで経験したことのないような羞恥心が、明日香の身体全身を震えさせる。フィーフィールトはその反応を楽しみながら、自らが望むゴールへと到達する。
触れるか触れないかまで鼻先を近づけ、ひときわ音高く嗅覚の存在を主張する。
「あああ、たまんねえなあ、おい。何とも言えねえ匂いだ。なあ、めくっていいかあ? 直接嗅いでいいかあ?」
「だ、だめっ! お願い! これ以上は!」
明日香は閉じていた眼を見開き、懇願する。だが、抵抗しようにも体の力が抜けていて動けない。
「ひへひへ。いいなあ、いいなあ。これがしたくて俺は今回のミッションに志願したんだ。ここでやめられるかよお。ふひひひ」
血走った眼をしたゾイノイドは、もとより少ない正気を失っていた。腕の中にいた人質の少女を解き放ち、明日香の纏う薄い布の縁をまさに浸食しようとしていた。
「いやっ! いやああああああっ!」
もはや誰にもこの行為を止めることは出来ない。教室には明日香の絶叫だけが響いた。
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