第17話
夜の帳が降り、辺りには静寂が満ち溢れる。
市街地には街灯や家々の明かりが灯っているが、研究施設の立つ辺りにはその類がない。施設につながる道は真っ暗で、月明かりさえ木々に遮られ、足元は頼りない。
「しもたなあ。いくら合流日やゆうても、律儀に日付変更で合流するもんやないわあ」
小柄な大阪弁少女は、その華奢な体躯に似合わない大荷物を背負いながら夜道を急いでいた。
年の頃は一二、三歳、黄色系のふりふりスカートが良く似合う。髪は肩口辺りまでの美しいブロンド・セミロング、頭の上からひと房だけ束ねているのがアクセントになっている。
懐中電灯一つでけっこうな時間歩き続け、ようやく施設の入口らしいところに到着したが、明かり一つついていない。暗くて分かりにくいが、どうも廃墟と化している。
「ありゃ? 間違えたんかな?」
少女は耳元にある赤いピアス状の石に指で触れ、それを口元まで持ってくる。
「明日香ちゃんへ」
登録されている相手の名前を告げると、それは自動的に接続される。しばらくして、相手方が通話に出た。
「あ、明日香ちゃん? ウチや。入口らしいとこに着いたんやけど、何や、焼け落ちてるみたいやねんけど。奥の方におるんかな? ここから行ける?」
『問題ありません。通路は生きています。鍵はかかっていませんから、どうぞ』
「鍵って……」
壊れた扉を見て、少女は肩をすくめる。
ガラスが飛び散り、ところどころ焼け落ちている。天井が崩落している場所もあったが、通路は奥へ奥へと続いていた。
「いやあ、ちょっとした肝試しみたいやなあ」
辺りをきょときょと見回しながら、少女は先へ進む。やがて通路の奥から薄明かりが差しているのが見えてくる。そこからは電源が通っているようだった。
「やれやれ、やっと着いたわ。この部屋やね」
扉を開ける。部屋にはソファーに座って本を読む少女が一人。碧の黒髪を三つ編みに結いあげ、大きな丸メガネをかけた図書委員風少女、明日香がいるだけだった。
「明日香ちゃん、お久っ!」
「お久しぶりです、
明日香は本を閉じ、第三陣、藍那に向き直る。藍那は背負子に積んだ荷物を降ろし、そのうちの一つを明日香に放り投げる。
「まったく、もうちょっと連絡遅かったら間に合わんかったで? あんまり突進してサービスシーン作ってたらあかんよ?」
「別にサービスするつもりはないんですが」
明日香は渡された荷物を確認する。入っていたのはいつも着ているセーラー服が二着と若干の身の回り品。
「ありがとうございます。助かります。他の服だと翼や兵装を出すたびに破れますからね」
「まあ、カスタムメイドの服やないと、戦いにくいのはわかるけどなあ……その服も似合(にお)うてるやん」
言って、藍那は再び荷物をごそごそとまさぐり始める。取り出したのは小冊子。いわゆるルールブックだ。
「はいな、第二版。今回はこの版で終わりやて」
またもや放り投げる。明日香はそれをキャッチしてパラパラとめくる。
「あと二体、『
「せやろ。新型か、特化型やと思う。ゾイノイドのうち一体も知らん奴やし、今回のミッションはえらい新しい試みが多ないか?」
藍那は過去三二七回のミッションを全て記憶していた。自身が参加していないものも含め、全て。それらを統計的に分類した時、今回は試行が多いと感じる。
「新型の自立型は攻略法がわからへん。攻撃の属性や出現時の対応、その他諸々まったくわからんとなると、こりゃちょっとたいへんやな。ま、そんなわけでウチがメンツに入ってるんやと思うけど」
「そうですね。そこで、情報提供に関して少しお力を借りたいと言ってる人がいます」
「ん? だれや?」
「今回の保護対象、
「へ?」
藍那は素っ頓狂な声を上げる。なぜ保護対象者がそんなことに興味を持つのか、理解が追いつかない。
「ちょ、ちょっと待ってや。なんでそないな話になってるん? いつもとえらい違うやん?」
「ああ、その、一応いつもの試験には合格した方なので、私としては無為に敵意を持つ必要はありませんし。深月も随分なついていますよ」
「ほおお。明日香ちゃんの魅力にも手を出さへんなんてなあ。んで、その慧也はんは、情報を得てどうしようというんやろ?」
「私に聞かれましても……あの方は今一つ何をしようとしているか見えませんので」
そう言いながら、明日香は慧也が何か打開策を見つけようとしていることは理解していた。ただ、『そんなものはないのに』、と言う思いと、『けれど、どうするんだろう』、という興味がない混ざって、そんな言葉になってしまったのだ。
「ふーん。んで、その人はどこに?」
「お休みになっています。今日はいろいろとお疲れになったようですし。深月も倒れているので、私が不寝番をしています」
「あ、そうそう! 深月ちゃんがやられちゃったんやね。怪我とかどうなん? 治療いるんなら、すぐにでも」
藍那は持っていた大荷物のほとんどを占める、医療道具の入ったカバンをドン、とテーブルに乗せる。しかし、明日香は落ち着いて首を振る。
「大丈夫ですよ。電源許容を超えただけですから、休めば治ります」
「あ、そう。そりゃよかった」
「それよりも、この新顔のゾイノイド、フィーフィールト・ネーライン。藍那も気を付けてください。戦闘力うんぬんより、性質がかなり問題です。あなたは特に私たちとは違うんですから、戦闘時は自重してください」
「なんか、いやらしい奴みたいやねえ、レポートは届いてたけど」
明日香からの要請は軽く聞き流し、藍那は鞄から手のひらサイズの端末を取り出す。
明日香や深月の戦闘記録は、自動的にサムダのサーバーに記憶されていた。藍那はそこに自由にアクセスできる権限を持つ。
藍那はそれらのデータベースから割り出した様々な戦闘パターンに応じて戦略、戦術を構築し、味方陣営の勝利に貢献することを目的として情報処理に特化されている。さらにその副産物として、高度な知識と経験を必要とする医療技術においてもある一定の水準をクリアしていた。いわゆる後方支援担当、と言える役割を担っているが、藍那自身は常に戦場に身を置き、他の少女たちと対等な位置にいることを望んでいた。
明日香たちと比べれば明らかに戦闘時の対応力は低いにもかかわらず、彼女がそれにこだわるのには理由がある。
そして、明日香も深月もその理由を知っていて、なお戦場に彼女が出てくるのを好んでいない。
「ま、取り急ぎまだ二日目やし。攻勢のピークはもう少し先やないかな? この自立型の残り二体が投入されるのがいつかってとこやけど、特性も分からんから気にしてもしゃあないし。どする? あいつらの潜伏場所も第二版には載ってるけど、先攻して潰す?」
この二版を持って、こちらだけでなく、フェデラー側の拠点も特定されたことになる。つまりは、双方が相手の拠点に対して攻撃を仕掛けることも可能になった。明日香としても、さっさと潰してしまいたいという気持ちはある。だが、今回は試行が多くて確定要素が少ない。
「最初は私も先攻撃破を考えていましたが、ちょっと危険かもしれませんね。藍那はどう思いますか?」
「ウチはもともと情報を収集分析してから方針を決めるのが基本やからな。原則としては、今は動かん方がええと思うけど、このフィーフィールトってのは先に潰しといたほうがええかもなあ」
「承知しました。では、深月はいませんが、少なくとも今日のところは、フィーフィールトの殲滅を最重要課題としましょう。」
一週間しかないミッションでは日々刻々と状況が変わるのが常だった。方針を固定化するのは危険なため、一日毎、状況によっては数時間ごとに方針は変更されていく。今までもそうだった。藍那に異論はない。
「明日香ちゃん、少し寝えや。あとはウチが見てるよ」
「でも、もし襲撃があったら……」
「補給上げてるんやろ? ま、大丈夫やろ。もし万が一の時は叩き起こすから。明日香ちゃんまでへばったらあかんやん?」
確かにその通りではあった。しぶしぶながら明日香は藍那に後を託し、部屋を出ていった。
藍那は満足げに一人頷き、やおら気合を入れ始めた。
「うし! 夜明けまであと数時間。深月ちゃんが起きてからやったら大変やし、がんばろっと!」
そう言って彼女が始めた作業は、朝食の準備だった。
朝の陽が入らない実験棟の急ごしらえの寝室は、真っ暗だった。
慧也は何ともなしにいつもの時間に目が覚めた。電気をつけようと手さぐりでベッドに手を突いたさきに、柔らかい物が触れる。
「ん?」
慧也は訝しんだ。なんだろう? ともう一度触ってみる。ふんわりしたやわらかさのなかにある突起に指が触れた。
「……っん」
「う、うわっ!」
慌てて手をひっこめ、枕元に置いてあった携帯の画面を明かり代わりに、それを確認する。
予想はしていたが、明日香だった。いつの間にか隣で寝ていたのだ。目を覚ましている様子はない。
ゆっくりと彼女をまたぎ、洗顔して着替えを始めると、布団にくるまっていた明日香がもそもそと動き出した。
むくり。
まさに唐突に、明日香は起き上がった。そして、少々寝ぼけた目を慧也に向けた。
「おはようございます……慧也様」
「や、やあ、おはよう。な、なんでここに寝てるのかな?」
「可能な限りお近くで警護するのが第一陣の務めですので……」
明日香としては異例だった。少女はすすんでこの寝所で眠りについた。もちろん、ミッション保護対象を護るという名目だが、今までは初日で関係が壊れていたため、このようなことはなかったのだ。
それは明日香にとってはまだ義務の範疇を超えてはいない。それでも、初めての行為であることは間違いなかった。
寝起きの少しおぼつかない足取りで立ち上がり、洗面所で顔を洗い、身支度を始める。そして、おもむろに着替えをしようとして、慧也の視線に気づく。
「…………あの、着替えたいので、あちらを向いていただけますか?」
「い、いや、僕はもう準備できたから、出ていくから! ごゆっくり!」
慧也は慌てて部屋を出る。
初日会ったときは、もう少しお構いなしな感があったが、どうも急速に明日香の態度や言動に変化が訪れているような気がしてならない。
慧也から見れば明日香はどう見てもかわいい少女だ。
「や、やわらかいよなあ、やっぱり」
先ほどの感触を思い起こすと、やにわに元気になる部分があるが、それは致し方のないことだった。
「鎮まれ、息子よ……主の不甲斐なさを嘆いておけ……」
とぼとぼと臨時の集合部屋となっている一室へ向かうと、何やらいいにおいが漂ってくる。
この建物には自分以外に料理ができる者はいなかったはずだが。
怪訝に思いつつも部屋をのぞくと、既に深月が起きてきていた。
「お、慧也っち。おはよ~。昨日はごめんよ。世話かけたね」
「ああ、深月、もう大丈夫?」
「へーきへーき。あとはしっかり食べて、燃料補給ってとこだな」
深月はすっかり元気な様子だった。昨日のへばりようが嘘のようだ。
朝から結構な量の食事が並んでいる。ふと、簡易キッチンの方を見ると初顔の少女がそこにいた。慧也は、それが第三陣の藍那であることが容易に推測できた。
明日香よりもまだ一回り小柄で、見た目は小学生と言っても通用する。黄色のふりふりワンピースが恐ろしく似合っている。
その小柄な少女が簡易キッチンを駆使してこれほどの料理を作ったというわけだ。
「あの、君が……」
この料理を? と問いかけようと思った時、少女はフライパン片手にくるりと振り向いた。
「あんたが慧也はん? よろしゅうに。ウチ、藍那いいます」
右手に持っていたフライ返しをフライパンに置き、握手を求めてくる。
「あ、ああ、はじめまして、神波慧也(かんなみけいや)です」
差し出された手を取り、握手を交わす。
(あれ?)
慧也はすぐに違和感、いや、本来ならばそうあるべきものがそうあることに気付いた。
彼女の手には体温があった。
「……あったかい」
ぽつりとつぶやく。すると、すかさず藍那が反応する。
「いやん、女の子の手を握って、あったかい、やなんて。慧也はんのエッチぃ!」
「え? いや、なんで?」
なんでそうなる! と内心叫びながら、慧也は手をひっこめた。藍那は悪戯っぽい笑いを浮かべて、ポンポン、と慧也の肩を叩く。
「ウブい反応やな、慧也はん。ええで。ウチの萌えのツボに入るわー」
これは。
明日香と真逆の位置にいる人種のように思えた。良く言えば壁がない、悪く言えば大阪のおばちゃんだ、と。
「改めて自己紹介するわな。形式はHW/T-ST 012-R12 AINA タイプは
一八? 深月と同じ年? そう聞いてもやはり小学生にしか見えない。
「よ、よろしく」
迫力に気圧されていると、慧也に少し遅れて明日香が起きてきた。いつも通りのセーラー服に、丸メガネ、三つ編みだ。
「あれ? 服届いたんだ?」
「ええ、昨夜、藍那が持ってきてくれました」
明日香は適当に席に着き、朝食を取り始める。
「慧也様、藍那は情報に関しては私たちの中でも右に並ぶ者はいません。もし、何か知りたいのなら彼女に聞けば概ねわかります。藍那、食事がすんだら、慧也様にお付き合いしてあげてください。私は相手拠点を叩きに行きます。深月は護衛で残ってくださいね」
「あたいだって、奴に借りを返したいんだけどなあ」
「二人そろって留守にするわけにはいきませんでしょう? 慧也様と藍那を護るのをお任せします」
「ちっ、しゃーねーな。今回は留守番してやるよ」
深月はご飯をかきこみながら不承不承引き下がる。
「明日香ちゃん、無茶したらあかんよ? 殲滅型やからって、ときどき無謀やからなあ」
「意味ある戦いで壊れたほうが、後腐れないですからね。何十回となくこんなことをしていると、いろいろ考えてしまうものです」
その言葉を聞くと、慧也は昨夜の明日香との会話を思い出してしまう。葛藤、なのだろうな、と。
「またあ、暗いよ、明日香ちゃん。もっと明るく考えよ! ほら、笑顔!」
「笑顔、と言う表情を忘れてしまいましたね」
にべもない、とはまさにこれだな、と慧也は傍観者として三人の会話を聞いていた。三者三様性格も異なる中、よくミッションをやり抜いているなあ、と感心もしながら。
「それに、正体不明の自立型、あれもあるから注意せんとね。もし手に余ったりしたら、必ずウチに相談してや。その為に来たんやで?」
「ええ、わかっています。今日ももし、日没までに私からの一報がなければ何かあったと考えてください。その時は深月、後をお願いします。ですが、くれぐれも藍那は戦場には出ないでください」
「そうそう、それだけはあたいからも頼んどくよ、藍那っち。んで、後は任されるけど、あたいが行くまでは持ちこたえんだよ、明日香っち」
明日香は、小さく頷くが、どうでもよさそうな表情だった。
そして、明日香、深月の二人から念を押された藍那は、少々面白くなさげな表情をする。
「んなこと言ってもやあ? ウチも一緒に戦う仲間やん? そりゃ、戦闘力では二人にかなわんけど、一般人よりは強いで? いつもいつも邪険にせんといてよね」
怒っているわけではなく、むしろ、少し申し訳なさそうな感じで藍那は主張した。しかし、二人は無言で首を振る。
「お願いですから、大人しくしていてください」
明日香にピシャリと言われ、藍那は拗ねたように縮こまる。
「まあ、その、仲良く行こうよ。仲間なんだし」
空気に耐えかね、慧也が口をはさむ。すると、明日香と深月の視線が同時に注がれる。
「……まあ、慧也様がそうおっしゃるなら。ただ、私たちは喧嘩しているわけではありませんよ?」
「そーそー。あたいらにもいろいろ事情があんのさ。ま、じきにわかると思うけど」
二人の反応を見て、藍那は改めて三人の顔を見回した。
「なるほど、明日香ちゃんの試練を乗り越えると、こうなるんやなあ。今まではたいてい一日もたつと険悪になってるか、えらいさんと護衛みたいな関係になってるかやのになあ?」
『う』
二人は同時に短い呻きを漏らした。自覚はあるらしい。
ウチは誰とでも仲良うするけど、二人とも好みはっきりしとるからなあ、と呟きつつ、藍那は慧也を一瞥する。
「ま、ええか、あと五日あるしな」
値踏みするような視線と何やら企んでいそうな笑みを残して、藍那は再び調理に戻る。深月の食欲が半端なく、次から次へと食材が消費されていくのだ。
「よ、よく食べるね、深月。やっぱり、昨日の今日でおなかすくのかな?」
「まあねえ。食いもんからしかエネルギー取れないじゃん? 食わなきゃもたねえよ。それとも、慧也っちはよく食う女は嫌いかい?」
「い、いや、健康的でいいと思う」
意味不明の質問に思わず答える。その横では、明日香が小さな皿に取り分けたスクランブル・エッグとトーストを二枚、もそもそと食べていた。
「そ、そういえば、藍那はご飯食べたのかな? 料理、変わろうか?」
「ウチは作りながらつまみ食いしてるから、ええよ。慧也はんもしっかり食べなはれ」
そう言われ、慧也はやむなく食べるに徹することにした。そして、ふと、食卓――といっても簡易にあしらえた平机だが――を見回して、少しはっとした表情になり、そして、緩めた。それを見た明日香は問う。
「どうしましたか? 嬉しそうに」
慧也は、改めて思い至ったのだ。
「いや、こんなに賑やかな朝食って、何年ぶりかなってさ」
天才と呼ばれた青年。早くから研究という生活に入った青年。
その生い立ちは、輝かしい経歴とは裏腹に、意外に孤独な物だった。
―― 一緒なんだな ――
慧也は、彼女たちと置かれた境遇は違えども、その孤独を持つ環境は同じだ、と感じた。そして、なぜ自分が彼女たちに惹かれ、何とかしたいと思うのか、今更ながらに自覚できたような気がした。
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