第16話
河川敷での戦い後、傷ついた
「深月、大丈夫かい?」
「一晩休めば回復するでしょう。特に問題はないと思います」
慧也と明日香は、急ごしらえのベッドに深月を寝かせ、二人は実験棟の一室に戻っていた。
時刻は午後八時を回っている。
「補給信号を上げたので、今日の所はもう襲撃はないと思います。通例では、という意味合いですが。あのフィーフィールトと言うゾイノイドだけは油断なりません」
明日香も深月も、フィーフィールトに不覚を取っていた。今までのミッション上では経験していないタイプの敵だった。
慧也は遠目にしかその姿を見ていないが、先に会ったメストとは違う印象を受けたことは間違いない。
「今日のあの攻撃でも仕留められないほど、ゾイノイドと言うのは強靭なのかい?」
「そうですね。個体にもよります。そもそも彼らは人類から見た時に非常に特殊な能力を持つ個体が多いのです。ただ、ゾイノイドが純粋なフェデラー人と同義で、種族として特殊能力を持っているのか、あるいは私たちと同じようにある種の強化を受けている戦闘兵器なのか、それは不明ですけど」
わからない事ばかり。それが現実だった。
フェデラー側の情報について、思ったほど人類側は把握していない。わかっているのはとてつもない文明としての格差がある、と言うことだけだ。
「そう言えば、補給を上げたってことは、補給部隊みたいなのが来るの?」
「ええ。私たちの持つ端末から必要な補給物資を連絡すれば、届けられます。方法は様々ですが」
ふうん、と慧也は相槌を打ちつつ、キッチンボードからカップを取り出す。
「コーヒーでも飲むかい?」
「……いただきます。出来ましたら、砂糖とミルクをたっぷりのカフェオレで」
明日香は少し間をおいて返事をする。相変わらずの無表情だが、受け答えが少し軟化してきたように思えた。
思えば、彼女に会ってからまだ二〇時間。それなのに、随分と長い時間を過ごしたように慧也は感じていた。
「時の密度の問題かな」
「え? なんですか?」
「いや、なんでもないよ。それより、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんでしょう?」
慧也に差し出されたコーヒーカップを受け取り、明日香は甘ったるいカフェオレの香りを楽しみながら一口含む。
「深月、電源許容限界とか言ってたけど、それって?」
慧也はあれだけの機械装備を動かす原動力となるエネルギーが何か、気になった。やはり彼女たちの兵装部分に興味を持つのははばかられると思いながら、それでも生来の好奇心に勝つことは出来ない。
慧也は割り切ることにした。彼女たちは人間だ。そして、特殊な事情でこの身体を持っている。自分が出来ることは、それをよく知り、この一週間、出来得るならば技術者としてのサポートをすること。欺瞞にも思えるが、一旦踏ん切りがついたことで、慧也は一歩前進することに成功していた。
「私たちの機械の身体は、当然ながら作動に電源が必要です。と言っても、電池を積んでいるわけではなくて、生体電気を増幅させて流用しているのです。ですから、休息や摂食によるエネルギー補給で問題ありません。私も、スルトリアの全力使用で空腹を訴えましたでしょう?」
「なるほど。でも、それはすごい技術だと思うんだけど」
「そうでしょうね。ですが、具体的な技術に関する問題は、私たちにはわかりません。ただ、この手足は、私たちが生きていたころと同じように違和感なく動きます」
生きていたころ、と明日香は言う。深月の話と同じような悲劇が、彼女の身の上にもあるのだろうか。慧也は気になる。
「君は今も生きているだろう? 少なくとも僕にはそう思える」
「私は生体パーツの六割以上を機械と変えているのですよ? もちろん人権は剥奪され、戸籍も抹消。つまり、死んだことになっています。個人の同定を防ぐため、名字も抹消されています。深月も同じですよ。お聞きになったのでしょう?」
明日香はコーヒーカップをテーブルに置く。中身はまだ半分ほど残っている。
「聞いたよ。でも、それでもだ。君は今甘いカフェオレを飲んでいる。甘さを求めて、砂糖とミルクを入れたんだろ?」
「…………」
明日香は答えない。少し視線を落として考える。
確かに味覚もあるし嗜好もある。でも、それは今生きているというより、生きていたころの残骸、と言う程度に思っていた。それらを感じることで幸福感を感じることなど、この身体になってからはない。
「慧也様がどう思おうとご自由ですが、私は既に死んだ者。今は兵器として存在しているだけです。ただ、それだけなんです。いつか壊れて、スクラップになるだけの機械なんです」
怒りも悲しみも、あらゆる感情もない口調で、淡々と自分の中にある事実を語る明日香は、あまりにも儚く見える。それが事実だとしても痛々しくて見ていられなかった。
そして、慧也はそれを認めることはしたくない。明日香は続ける。
「私は神様も魔法も奇跡も信じません。私のそばにいるのは、途方もなく残酷で容赦のない現実だけ。私の存在は、ただ壊れる日を待つただの道具です」
「そんなことはないよ。確かに、神様や魔法や奇跡はないかもしれない。でも、君の周りにだって大切な存在はいるだろう?」
「そうですね。昔はいましたよ? 人だった時に」
明日香は心もち視線を上げ、遠い何かを見つめるような表情をする。
「ですが、それもこの身体になってからは、会うことも触れることもできなくなりました」
「――君はやっぱり、サムダを恨んでいるのかい?」
聞かずにはいられなかった。自身が所属する組織だ。自分もその一員であることが、これほどもどかしいと思うことは今までなかった。
しかし、明日香の返答は予想に反した。
「サムダを恨む、というのは筋違いなのです。この身体を喜ぶわけではありませんが、サムダの改造技術がなければ、私はこうして存在することもなかったでしょう。ミッションについてはいろいろ考えることもありますし、感謝している、というのとも違うのですが……」
慧也の眼を見て語る少女には表情の変化は乏しいものの、若干の困惑は見て取れた。そもそも、こんな話を他人とすることすら、経験がないのかもしれない。
「難しいね。じゃあ、君たちがミッションで戦うのは、何の為なんだろう?」
「言ってはならないことかもしれませんが、私たちは人類や地球のために戦っているわけではありません。このゲームに設定されている一三体の兵器。私の形式番号を見てください。私が一三体目です」
再び視線を落とす明日香。
「これ以上、不幸な少女たちが異星人と人類のおもちゃになって、この出口のないゲームの駒にされることを防ぎたい。ただ、それだけなんです。私たちの誰かが逃げ出したり、壊れて廃棄されれば、誰かがその代りに兵器にされるだけです。私たちは一四体目の誰かを生み出さないために、戦っているようなものです。私はいつも葛藤します。早く壊れてしまいたい。でも、それは新たな誰かをこの世界に招きよせる結果になるのでは、と。だから、戦い続けなければ、と」
「それは……」
慧也は言い澱んだ。何と声をかけていいかわからない。しばしの沈黙を挟んだ後、話題を別の方に振った。
「そういえば、どうしてサムダ側は全て女の子なんだい? それも、総じて若いよね」
「正式な理由は存じません。ですが、この改造は相当に身体に負荷をかけるそうです。若い女性は、そう言ったダメージに強く、柔軟性があると言っていました」
聞いたことがある、と慧也は記憶の隅をつついた。
出生率は男児の方が女児より多い。それは、男児が女児に比べて途中で死んでしまう可能性が高いから、とか、染色体XXの女性の方が、XYの男性より生命力が安定しているとか、そもそも生命を生み出す力のある女性は、男性に比べて圧倒的に生命力が高く生きることに対しての柔軟性が高い、などの文献を読んだことがあるのを思い出した。
「なるほど……一応理由はあるんだな……」
慧也はしばらく押し黙った。明日香は俯き加減で怪訝そうにその表情を見つめている。
「もし、もしもだよ」
意を決したように慧也は切り出した。
「元の身体に戻ることが出来るとしたら、君たちはそれを望むかい?」
明日香ははっと顔を上げ、慧也と視線を合わせる。本人は気づいていないかもしれないが、その表情には若干の戸惑いと驚きが混ざっていた。
大きな瞳を見開き、しばらくして再び視線を伏せた。
「先ほども申しあげたとおり、私は神様も魔法も奇跡も信じません。でも、もしも……もしも奇跡があるのなら、そうですね、望むかもしれません。そうすれば、私も人並みの幸せの端っこくらいは掴めるかもしれませんね。そして、二度とこんな世界に関わらない所へ行きたいと思いますよ」
「わかった」
「え?」
明日香はまた視線を上げ、怪訝な表情で慧也を見つめる。
「君がそう思っていることがわかっただけでも、僕の進むべき道は決まった。僕はこのことを書き留めておくよ。そうすれば、来週になってすべて記憶をなくしても、改めて知識として今起こっていることを追体験できる。彼らの記憶操作はそこまで及ぶのかい? ミッション中に僕が個人的に記録したことまで、消去できたりとか」
「……今までの保護対象者やミッションに関わり、記憶操作された方々にそんなことをした人はいませんでしたよ。ですから、正直なところ分かりませんが、多分、記録方法によっては残せるのではないでしょうか」
デジタルよりはアナログの方が足がつきにくい、と明日香は暗に答えていた。
(この方は……どこまで純粋なのでしょうか……)
頼りなげな好青年としか見えない慧也だが、その芯の強さは人一倍。でなければ、若くして天才と称され、サムダのような機関には配属されない。そして、今まで接したサムダのやミッション関係者の誰よりも純粋に思えた。
(期待する類の物ではないけれど、それでも、うれしい、のでしょうか?)
明日香はともすれば微笑みそうになった。長く、動かしていない表情だ。それが自分の張っている意地や諦観を突破して心の底から上がって来たもののように感じて、とっさに慧也から顔をそらし、再び意識の奥に沈める。
心を戻してはいけない。
明日香は必死にそのお題目を自らに言い聞かせていた。
「あ、気に障ったかい? またいらない興味を持っちゃって……」
慧也は慌てて弁明する。
「いいえ、そうではありません。ですが、出来るなら、慧也様はこの世界に関わらない方がいいかと……」
「でも、結局は下っ端だけど僕もサムダの一員だしね。君たちの境遇に深くかかわる組織だ。そういう意味ではすでに関わってるんだ。無関係を装うわけにはいかないよ」
「どうして、そんな風に思うのです? 私たちはまだお会いして一日足らず。それも、保護対象者と護衛、と言うだけの関係です。進んで危険に触れることはりません。そもそも、慧也様に何かできる、と言うような問題ではありませんでしょう?」
確かに、サムダ下部機関の一研究員と言う立場でできることなど、ないに等しい。
だが、だからと言って立ち止まるのは、今の慧也には無理だった。
「とにかく、もっと情報が欲しい。君たちの知っていること、全て聞きたい」
慧也はようやく口にすることが出来た。
――全て聞きたい。
この一言を出すまでに、相当の葛藤があった。それは、彼女たちの成り立ちや経験してきた様々なこと、そして、一般的に言われているサムダと本当のサムダ、フェデラーと人類の関わり方や、その現実と展望。
全て。
それを知ることで打開策が生じるとは期待しない。だが、知らなければ進めない。
しかし、慧也の意を決したその言葉に、明日香は静かに首を振る。
「私には、まだお話ししていいものか、わかりません。それに、知っていることと言っても、大した情報は持っていません。なぜなら、私はこの身体になってから、『知る』と言う行為を放棄してきましたから」
知れば希望を持つかもしれない。知れば絶望に陥るかもしれない。明日香は、ただそれらから目をそむけ、兵器として在ることを選んだ。そうするしか、自分の今を受け入れることが出来なかったからだ。
「ただ」
と、明日香は続けた。
「情報を聞きたいのなら、明日合流の第三陣、
「そう言えば、ルールブックにも記載があったね。どうして、敵味方共に各ミッション時に細かく合流時間なんかが指定されているのか、今一つ理由がわからないんだけど……」
「それならお答えできます。メストをご覧になってもお分かりの通り、フェデラーは人類を研究観察しているようなのです。その資料を何に頼っているのかは不明ですが、どうやらミッション策定時に地球人類の好むRPGなどからヒントを得ている節があります。そもそも、このミッションという考え方自体が、そうなのでは、と」
「なるほど……確かにパーティーを組むにしても、最初の局面から全員は揃っていないか……」
慧也はあまりゲームとは縁がなかったが、有名どころのRPGぐらいは小学生のころに遊んだ記憶があった。
それを思い起こすと、あのルールブックの根底が見えてきそうな気がした。
「とりあえず今はお休みください。今日はお疲れになったでしょう?」
「ま、まあ、疲れたと言えば疲れたけど」
神経は昂ぶったままで、とても眠ろうとは思えない。だが、休める時に休んでおかなければいざと言う時に足手まといになる。慧也は迷った。眠るべきか否か。
「君はどうするの? 明日香」
「深月が倒れている以上、私が休むわけにはいきません。藍那は早ければ今夜〇時過ぎにでも合流するでしょうから、それまでは番をして起きています」
「――わかった。じゃあ、少し休ませてもらうよ」
ここで、君も休め、と言った所で聞きはしない。少なくとも今日一日で明日香の性格はある程度把握できていた。ここはおとなしく休息しよう。そう思って慧也は仮あつらえの寝室へと向かった。
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