第15話

 夕刻、深月みづきは明日香と慧也けいやを夕食の買い物に放り出した。明日香が慧也を意識し出していることを鋭敏に感じ取り、少しでも明日香にとっていい影響があることを期待して、だった。


 辺りは既に夕方の色に染まりつつあった。これから夜に向かっていく時間帯、逢魔ヶ時おうまがどきはいろいろな物の輪郭を見づらいものにする。


 買い物を終えた二人は、昼間と同じように河川敷から施設へと戻る道を歩く。


 斜陽が二人のシルエットを赤い空の中に映し出し、平和な日常であれば情緒のある風景だった。


 二人を送り出しておきながら、念のため少し離れた距離から護衛している深月も、逆光の中で二人の姿を捉えにくくなってきていた。


「しゃーない、少し近づくか。別に気づかれてもいいやね」


 深月は間合いを詰めながら、周囲への警戒を怠らない。無論、明日香もそうしているだろうが、できれば戦闘はこちらで引き受けたい、と深月は思う。


「ま、メストはともかく、もう一体の方は厄介みたいだねえ。早々に仕留めたいところだけど」


「ふへ、そりゃ結構だ。こっちもそうしたいんでねえ」


「ひっ!」


 突然耳元で声がした。吹きかかる息にぞわりと鳥肌が立つ。深月はとっさに身体を翻し、距離を取る。


「てめえかっ! 明日香っちをあんな目に遭わせたのは!」


「そうとも。あれはあれでいいが、お前もいい女だなあ。ええ?」


 舌なめずりをするフィーフィールトに向かって、問答無用でレイガンを撃ち放つ深月。しかし、それを予測していたかのように、わずかに早くゾイノイドは体(たい)を捌(さば)く。


「ちっ、こいつ見かけによらず、すばしっこい!」


 丁度河川敷公園に出る階段を下りた橋の下。襲撃場所としては悪くない、と深月は思った。あまり市街地で仕掛けられるとこちらが手詰まりになる。


「うらああああっ!」


 フィーフィールトの肩には巨大な迫撃砲が担がれていた。照準などお構いなしに二発、三発と撃ち込まれる砲弾は、深月の周囲に無作為に着弾する。


「ちっ、派手にやりやがる。人を集めてこっちの手を封じる気か!」


「ふへ、安心しな、ここいらの連中は俺らの操作でこの一角には入ってこねえよ」


「ほほう、そりゃまたご親切に。なんでだい?」


「余計なギャラリーに騒がれてちゃ、お嬢ちゃんをゆっくり味わえねえだろう? それとも、いっぱい見られる方が好きかあ? ひへへへへ!」


 さらに数発、当たりもしない砲弾を撃ち込んでくる。着弾の度に轟音と土砂が巻き上がり、深月の視界と聴覚を遮る。どうやら、単に挑発して楽しんでいるようだ。


『深月! そいつ気を付けてください! 加勢しましょうか?』


 耳元のピアス状通信機から、明日香の声が割り込んでくる。ふと見ると、数百メートルは離れているだろうが、視認できる位置に二人の影が見える。さすがに爆発音で戦闘には気づいていた。


「明日香っちは慧也っちを護ってな。こいつはあたいが殺る」


「ひへへへっ、俺様にヤられるの間違いだろう!」


 好色な笑いを浮かべ、さらに撃つ。今度はまっすぐに深月に向かって放たれた。


「射撃であたいに対抗しようってのは、孫悟空がお釈迦様に対抗しようってもんだぜ!」


 指先からのレイガンは、一瞬にして砲弾を蒸発させる。深月はその直後力強く地面を蹴って、数十メートル飛びすさる。彼女がいた地点を次々と砲弾が襲うが、一足早く深月は移動していく。


「あまりレイガンは使いたくねえし、仕方ねえな」


 深月は次に着地した瞬間、今までよりもより強く地面を蹴った。高く舞い上がった身体は、夕日を背景にし、一瞬フィーフィールトの視界から消える。


「チェックメイト!」


 橋の欄干へと舞い降りた深月は、その燃えるような赤い髪をさらに夕日の赤に染め、右前腕部から小型無反動砲を展開し、フィーフィールトの迫撃砲を狙い撃つ。


「うおっちい!」


 それは見事に迫撃砲の装填部に命中し、迫撃砲は爆砕した。


 咄嗟に武器を放り出したフィーフィールトは爆発に巻き込まれることは避けられたが、爆風に吹き飛ばされる。だが、数メートル地面を転がっただけで、ほぼ無傷で立ち上がる。


「これでおしまい、とは思わんよなあ?」


 ゾイノイドが空中に手をやると、そこから新たな武器、多連装ランチャーが出現した。六発のランチャーが深月の立つ欄干を狙って放たれる。


「空間転移ポケットね、持ってると思ったけど!」


 弾を避けるために再び跳躍する。その直後、深月が立っていた欄干は弾け飛ぶ。


数メートル離れた欄干に着地すると、左腕から全身を覆うほどの盾を展開し、欄干の縁を蹴ってフィーフィールトに向かって突進する。


「趣味じゃないけど、懐に入りゃあ、ランチャーは無意味さ!」


「ふおおおお!」


 第二弾を射出するが、深月の持つ盾を貫通するには至らない。普通の人間なら、盾ごと吹き飛んでいただろうが、深月は普通ではないうえに、突進のスピードがランチャーの射出速度を上回っていた。ランチャーの弾は盾に当たって爆発四散し、なおも突進力を緩めない深月と盾は、そのままフィーフィールトに激突する。土砂が爆発したかのように舞い上がり、盾は地面をえぐっていた。


 まさに目にも止まらないスピードで、深月は盾でフィーフィールトを制圧した、かに見えた。


 盾の下で地面にめり込むフィーフィールトは、まだもぞもぞと手足を動かしている。


「こいつ、意外と打たれ強い……ひぃっ!」


 短パンの太ももからお尻にかけて、ぞわっとした何かが触れた。


 盾の下からフィーフィールトが深月の下半身をまさぐろうとしていたのだ。


「な! き、気色悪い!」


 咄嗟に地面を蹴り空高く跳躍。同時に、盾に仕込まれている荷電粒子砲を撃ち込む。


「死にさらせ! このド変態!」


 怒りに我を忘れて、高出力の荷電粒子を撃ち込む深月。直撃を受けた地面は白熱した後、一部蒸発して直径、深さ共に数メートルほどのクレーターを作り出す。


 しかし、深月は舌打ちする。


「ちっ、手ごたえがねえ、逃がしたか……」


 ふらり、と空中でバランスを崩し、深月はそのまま地面へと落下する。


「あつつ……熱くなっちまったな。電源許容限界を超えちまったかな……」


 仰向けに倒れたまま、深月は立ち上がることもできない。


「深月! 大丈夫ですか!」


 慧也を護りつつ戦況を見守っていた明日香が駆け寄ってきた。少し遅れて慧也も駆けつける。


「ごめん、逃がしたみてえ。こっちも電圧上がんないな。動けねえ……」


「やはり加勢したほうが良かったのでは……」


「ダメだ、あいつは今までの奴と性根が違う。慧也っちのガードを解いたら、人質にして何を要求してくるかわかんねえ。次会ったらぶっ殺す!」


 明日香は深月に肩を貸し、ゆっくりと立ち上がらせる。慌ててもう片方の肩を慧也が支える。


「いやあ、すまねえなあ、慧也っち。重い物運ばせちまって……」


 俯いたまま、深月は小さな声で謝罪する。力が全く入らないのか、その身体はずしりと重かった。身長一六〇センチそこそこのスレンダーな少女の体重としては、有り得ない重さ。機械の重さ。兵器の重さ。彼女が失った人間としての存在の重さ。


 慧也は、自分の肩にかかるその重さに、なぜか涙がこみ上げてくるのを抑えることが出来なかった。


「慧也っち……」


「慧也様……」


 深月は。


「どうして……」


 明日香は。


「……泣いているのですか」


 夕日が三人を照らしていた。長い影が伸びていた。


 その赤い光の中で、慧也はただ涙するしかなかった。

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