第13話

 高空からの見晴らしは最高だった。これがミッションのための警戒飛行でなければ、申し分のない空だった。


 西の空には黒雲が垂れ込めているが、その他の空は青く澄んでいる。そのコントラストがまた美しく、地球の息吹が感じられる。


『僕が助かっても、君らが処分されたら意味がない』


 慧也けいやが言ったこの言葉が明日香の心をざわめかせる。今までのミッションで聞くことはなかった。


 むしろ、明日香たちが処分されようが、自分が助かればいいとミッションエリアから逃走を図った保護対象者も少なくはなかった。そんな時、彼女たちはフェデラーと戦うよりも逃亡者を探すことの方に多くの時間を割かねばならないことになる。


 明日香は自身の存在に大した価値を持っていなかった。しかし、無駄に消滅するのは勘弁願いたかった。どうせ消滅するなら、自分の意義ある戦いの上で、と思う。


 慧也のあの言葉は、明日香の心に知らずに響いていた。


「全く、困った方……」


 なにともなしに困惑しつつ、明日香は大きな丸メガネの縁を指で触れる。このメガネですら、兵器である彼女にとっては伊達メガネではなかった。高精度のレーダーサイトと望遠機能を持つ重要な感覚機能の一つだ。


 ミッションエリアとなる周囲一〇キロ四方は楽々見渡せる。メガネレーダーを起動させると、ミッションエリア区画が赤い線で区切られて浮かび上がった。


「この中に、あといくつ長距離砲台があるのでしょうか……」


 グライダー滑空しながら、レーダーを熱源、金属、長距離砲カテゴリの兵器データなどのモードで視界に映るエリアを検索する。


 しかし、該当する物は発見できない。


「市街地エリアでは邪魔なものが多すぎますし、簡単に見つけさせてはくれませんか」


 そう思った瞬間、後方より風切音が聞こえた。


明日香は振り向きざまにスルトリアを展開し、標的を確認することもなく、水平に薙ぎ払う。


 スルトリアからまき散らされる闇が砲弾を一瞬で吸い尽くし、消滅させる。


「わざわざ発射地点を知らせてくれるとは、ご親切ですね」


 飛んできた方向を見ると、発射直後の砲台は熱源サーチで簡単に特定できた。


「ここで一体落としておけば!」


 明日香は滑空姿勢から急降下態勢に入ると、ブースターを点火し、発射地点へ向かう。


「逃がしませんよ!」


 射手を発見した明日香は、砲台ごと切り裂く勢いで突進し、スルトリアで薙ぎ払う。


 スルトリアが触れた瞬間、砲台は跡形もなく闇に消える。射手となるフェデラーのゾイノイドは、うまく飛びすさってスルトリアをかわし、明日香から距離を取った地点へと着地する。


 周囲は深い木々に囲まれた森林公園の一角のようだった。あまり人の入ってこない区画であることはお互いにとって都合がよい。もっとも、どこで何が起ころうともフェデラーによるリアルタイムでの記憶干渉で関係者以外には別の事象が起こっているように見えるのだが。


「確認しますが」


 はじめて対峙する相手に、明日香は強い口調で詰問する。


「あなたがルールブックに記載の二体目、フィーフィールト・ネーラインですか?」


 短い金髪に小太り、身長は一七〇センチに届かない位の男だ。お世辞にも上品とは言えない風貌は、舌なめずりをすることでより下品な表情を作り出す。男は明日香の覇気を感じ、数歩下がる。服は鈍い色をした青系統のつなぎ服にカーキ色をした、見るからに軍装というジャケットを着こんだ、地球の軍隊とそう変わらない服装だ。


「ほほっ! こいつは上玉のお嬢ちゃんじゃねえか。いかにも俺様がフィーフィールトよ。おめえは誰だ? 三体ほど投入されるらしいが、いちいち覚えちゃいねえしな」


 怯む様子も見せずに下世話な口調で、舐めるような視線を明日香に送るフィーフィールトに、少女は嫌悪感を抱いた。メストがいかにましな部類のフェデラーか再確認できる。


「私はHW/T-E 013-R12 ASUKA。覚えなくて結構ですよ。今すぐ闇に返して差し上げますから」


 スルトリアを片手平突きに構え、一気に間合いを詰める。アスカが蹴った地面がその疾速に抗議するかのように土煙を上げる。一撃必殺の神速剣は、しかし、避けられてしまった。


 フィーフィールトは見かけによらず、俊敏にその切っ先から逃れる。視界から消えたフィーフィールトを追って、明日香は振り向きざまに剣を薙ぐ。しかし、スルトリアは空を切り、余韻でまき散らされる闇もゾイノイドには届かなかった。


「遅い遅い! 俺様は貴様らの相手をするために特化されている。そうそう簡単にやられはせんぞ!」


 スルトリアを避けて高く飛び上がっていたフィーフィールトは、頭上から投擲弾を放つ。


「くっ!」


 明日香はそれをスルトリアで薙ぎ払う。砲弾は着弾する前に闇へと消える。


「くふふふふ。良い女だ。これは楽しめる」


「……私は女ではありません。兵器です」


 ねちっこい視線で見つめられ、明日香は眉をひそめる。あまり時間を稼がれると、スルトリアの出力限界が来てしまう。早く仕留めなければならない。


「知っているぞ。手足は機械でもその身体は女だと。充分楽しめるってこともなあ!」


「え? なに?!」


 明日香の視界から一瞬にしてフィーフィールトが消える。今までとは次元の違う速さで何かが目の前を通り過ぎたと感じると同時に、セーラー服の胸元が引き裂かれ、明日香の幼い乳房が露わになっていた。


「か、加速装置!」


 慌てて片手で胸元を隠し、残る片手にスルトリアを構える。だが、気持ちの乱れにより、スルトリアの顕現に揺らぎが生じている。


「ほほほっ! 小さい形のいい胸だあ! 感度よさそうだなあ! 壊す前に思う存分凌辱してやる! 揉みしだき、吸い尽くし、ありとあらゆる凌辱を与えてやるぞお! それが、俺がここに来た理由だからなあ!」


 卑猥な言葉を叫びながら、再び、ゾイノイドの身体がゆらりとしたかと思うと、視界から消え去る。だが、二度目ともなれば加速装置を使ったとて、不意でなければそうそう捕まるものではない。明日香はロケット・ブースターを展開して素早く高空へ離脱する。


「く……残念ですが、これ以上はスルトリアも維持できません。一旦退却ですね……」


 明日香は歯噛みしつつ、亜音速で上空数千メートルまで一気に舞い上がる。さすがにここまで追ってくることはかなわないようだ。見かけに騙されて相手を軽く見たことを反省しつつ、その性根のえげつなさに吐き気を覚えた。


「少し、今までの相手と違いますね。注意しなくては……」


 兵器として生まれ変わって以降、数々のミッションで多くの手傷を負い、衣服の一部がなくなるなどは日常茶飯事であり、明日香自身もあまり気にすることはなかった。


しかし、今日はなぜか胸をかばった。見られたくない、というここしばらく感じなかった感情がその瞬間沸きあがったのだ。それは、羞恥心というベクトルの感情なのか。


この時点で、明日香はその行動の意味を深くは考えていなかった。ただ単に、あのゾイノイドに対する嫌悪感が今までの明日香の感覚を上回った、それだけのことだと。

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