第12話

 明日香と深月みづきは、正門と裏門につながるそれぞれの道が見える、研究所で一番高いアンテナ施設のさらに上、屋上から伸びるアンテナ本体の上にいた。


「警戒も暇だよねえ。こっちから潰しに行きたいとこなんだけど」


 深月はあくびをこらえながら、背伸びをする。


藍那あいなが来るまでは我慢ですよ。わかっているでしょう? そもそも、奴らがどこにいるかまだ分かりませんし、自動制御ゾイノイドは『路傍の闇』以外に、あと二体投入されることになっています。藍那が持ってくる第二版を待つべきです」


 明日香は風になびく長い髪をかき上げつつ、深月に釘を刺す。明日合流予定の藍那が来るまで、こちらからは行動を起こさない、それは明日香の基本方針だった。


「へいへい、今回の第一陣は明日香っちだからね。その指示には従うよ。けどさあ、退屈なんだよね。メストじゃなかったら、もうかなりドンパチ繰り返してるんだろうけどさ」


「派手にやればそれだけ一般の方にも被害が出ます。出来るだけ、穏便な方がいいではないですか」


「ま、そりゃそうだけどね」


 深月の赤毛が風になぶられる。昨日の大雨の後一過性の晴れ間に覆われてはいるが、西の遠い空には一群の雲も見て取れる。


「また、荒れそうですわね」


「ああ、台風も近づいてるってね。やだやだ、雨はいろいろと気を使うからやだねえ」


 基本は完全防水だが、何かの拍子で防水されていない機械部分にまで水が入るといろいろと不調が出る。その為、雨の日の戦闘は出来るだけ避けたい。


 西からの幾分強い風を受けながら、二人はしばし空を眺めていた。


 今の時間は平穏そのもの。フェデラー側からの攻撃もなさそうな雰囲気だ。ただ、二人の脳裏に影を落とすのは、メストが言った手段を選ばないもう一人、だった。


 いつどこから撃ってくるかわかったものではない。生身部分を狙撃されれば、それなりのダメージを負うことにもなりかねない。


 もっとも、ある程度の距離からの狙撃であれば気配を感じ取れるくらいには、彼女たちの感覚器官は鋭敏だった。そして、それを自分で感じる度に人ではない自分を確認することになる。もう慣れっこだった。


「深月、慧也けいや様に余計なことを話したのではないでしょうね?」


 アンテナを挟んで後ろに立つ深月に、明日香は振り返らずに声をかける。


「余計なことって?」


「私たちの、成り立ち、とか……」


 正面を向いていた視線を少し落とし、呟く。


「あたいの成り立ちは話したけどね。自分の事だからいーじゃんか。明日香っちの事は何も言ってないよ」


 成り立ちについてはね、と言う言葉を飲み込む。


「それなら、いいんですが」


「あれ? 明日香っち、いつもと感じが違うねえ? どしたの?」


 深月は後ろにいる明日香へ振返る。明日香の表情は曇っているというか、困惑しているように見えた。


「あの方、慧也様は、今までのミッションで護ってきた人たちと何か違う気がするんです。深月は思いませんか?」


「思うよ」


 深月はあっさりと肯定した。あまりの素直な答えに明日香は幾分鼻白む。


 心を閉じて戦い続け、数々のミッションにおいて保護対象者の利己的なふるまいを見てきた明日香にとって、慧也の行動や言動に心が戻りそうな揺さぶりがかかる。


 心を戻してはダメだ。心を持つということは弱点を持つということ。明日香はかたくなに自己の心を意識の深層へと幽閉し続けてきたのだ。だが、今日はそれが妙にむずがゆく感じる。


「慧也っちは素直で純朴だ。だからこそ、このミッションに憤りみたいなものを感じてる。その全貌を知りたがってる。でもさ、教えたって来週には忘れてる。教えてもいいような悪いような、あたいも複雑だよ」


「だから、あなたの身の上を話したと?」


「ま、ね。全部話したわけじゃないけど、事故の話はしたさ」


「あなたのあの話は、ちょっと引かれたのでは?」


「あはは、どうだかね」


 深月は明るく笑って、話題を変える。


「ところで、明日香っちは、彼にモーションかけてみたりしないん? 何があっても向こうは忘れるわけだし、気に入ったんなら食べちゃえば?」


「あ、あなたと一緒にしないでください。私にはそういう感情はもうありません」


 そう言いながら、少し頬を赤らめている明日香の表情を、深月は珍しそうに見つめる。


「またまたあ。乙女なんだから、少しは楽しく生きようよ。光陰矢のごとしって言うじゃん。ただでさえ灰色の青春なんだから、ここらで一発逆転とか」


「どうせ外見上の歳は取りませんし、今更青春もありません」


「まったく、一六とは思えない思考回路だね、君は」


「そ、それを言うなら、あなたの思考回路は、その……卑猥過ぎませんか?」


 明日香は、先ほどの深月の振る舞いを思い出し、少し恥ずかしそうにそう言い返した。今までのミッションの中では、さすがに深月もそういった振る舞いはしてこなかったの


だ。突然の深月の行動に、明日香も少々戸惑っていた。


「卑猥ってのは失礼だねえ。いい男を食うのは女の本能じゃんか。慧也っち、いいと思わん?」


「い、いいとか悪いとかではなく……」


「おやおや、鉄面皮の明日香っちにしちゃ珍しく歯切れが悪いじゃん。ひょっとして乙女心が疼きはじめたかい?」


「きゃ! み、深月!」


 深月は明日香を後ろから羽交い絞めにしつつ小さな胸を揉みしだく。


「ちょ、ちょっと! おやめなさい! あんっ、こらっ!」


「おやおや、まだブラつけてないの? 動き回ると先っちょ擦れて痛くないかい?」


「放っといてくだ……深月!」


 刹那、明日香が危機を告げる絶叫を。ふざけていながらも、深月は機敏に察して現状の位置から飛びすさる


「おっとお!」


 屋根から伸びたアンテナに長距離から放たれた砲弾が着弾する。アンテナの一部がもげ落ち、明日香と深月は屋上に着地する。


「明日香っち! あたいを抱いて飛んで!」


「了解です!」


 明日香は深月を背中側から抱え込み、、腰を低く落とした。両足のふくらはぎから、ロケット・ブースターが展開され、明日香がジャンプすると同時に点火される。


 高く舞い上がった地点で、肩付近から鳥の羽のような大きな翼が顕現する。戦闘服仕様のセーラー服は破れることもなく、翼の付け根部分にあたる生地が呼応して開閉する。


グライダーのように滑空しながら、一定時間空中に留まることが出来る装備だ。


「目視さえできれば!」


 明日香に抱えられたまま、深月の右目が全開する。手に持つ四〇キロを超えるグレネード・マシンガンを軽々と構え、マシンガンの照準器を自身の右目で覗き込む。


「明日香っち、一分でいいからホバリングできる?」


「やってみましょう」


 明日香は翼の角度とロケット・ブースターの出力を調整しながら、固定座標に静止する。


「ぜってー見つけてやる! もう一発撃たねえかなあ」


「深月! 一〇時の方向!」


「ん! よっしゃ!」


 すかさず指示された方角に照準を向けると、滑空してくる砲弾が目に入る。


「いっけええええ!」 


 深月がマシンガンの引き金を引く。わずか数秒のうちに数十発のグレネード弾が砲弾めがけて撃ち込まれる。


 滑空砲弾は爆発四散し、空に轟音をこだまさせる。


「目標補足だ! 散りやがれ!」


 深月は高空から相手射手の姿を見つけ出した。メストと同じく金髪の男が、射手として長距離砲を操作しているのがスコープ越しに見えた。ただ、髪の色以外はメストのような長身ではなく、どちらかと言えば小太り、髪も短く、目つきも悪い。


「あたれえええっ!」


 深月はすかさず狙いをつけて撃ち放つ。次の瞬間、体勢がぐらりと揺れる。


「深月、すみません! これ以上は無理です!」


 明日香はブースターの噴射を止め、静止状態から滑空状態に戻る。深月はスコープの中で着弾を確認することは出来なかった。


「ちっ、手ごたえはあったけど、仕留められたかな……」


「砲台を破壊しただけでも良しとしましょう。長距離狙撃は厄介ですね、彼から潰しますか?」


「そーだね、賛成」


 そういった瞬間、遠方で爆炎が上がる。


「約二キロ、有効射程限界だけど、外しちゃいないと思うけどねー」


「とりあえず、砲撃がやめばよしです。一旦降りますよ」


 明日香と深月は、再びアンテナ棟の屋上に降り立つ。アンテナはもう使い物にならない様子だった。アンテナの一部をもぎ取り、砲弾は奥の山の斜面に着弾したようだった。いくつかの木々がなぎ倒されている。


「深月、私は高空から他の砲台がないか確認してきます。慧也様の警護はお任せしましたよ」


「了解したよ。気を付けて。飛び道具いるかい?」


 深月は懐から先ほど実験棟で拝借したルガーを出す。


「ありがとう、結構ですよ。私にはうまく扱えませんから。何かあれば剣でさばきます。それじゃ」


 明日香は再びロケット・ブースターで空中高く舞い上がる。継続的に飛行できる術ではなく、あくまでも緊急回避や、空中追撃など、一定の時間しか飛ぶことは出来ない。せいぜいは高い距離を稼いでグライダー滑空できるのが関の山だが、身軽な一人なら周囲数キロ程度の巡回なら可能だった。


「パンツ見えるぞー。いい加減セーラー服はやめろよなー」


 遥か空の彼方にいった明日香に聞こえないのを承知で、深月は呟いた。

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