第9話
ミッション初日開始後、一二時間が経過していた。
開始直後の『路傍の闇』、そして、朝の砲撃以降、ひとまず攻勢は収まっている。
ルールブックはさほど分厚い物ではないが、細かい文字でびっしりと書き込まれている。それは今回のミッションに関する事柄だけではなく、最近終了したミッションの簡単な概要と結果が、過去一〇回程度の分は記載されていた。さらに、全ミッションにおける基本締結事項としての細則なども書きこまれており、一気に読破して理解しつくすのは難しい物だった。それでも、慧也は読み続けた。一旦興味を持ち、知ろうと決めたことに対峙することは、彼にとって苦にはならない作業だった。
「過去一〇回か。統計資料としては役に立たないけど」
そう思いながら、直近一〇回の内容を確認し、自分なりに重要と思える項目をパソコンの統計プログラムに打ち込んでいく。
投入されたヒューマノイド・ウェポンの数、タイプ。同じく敵方のゾイノイドのタイプ。
ミッションのエリア、性質。そして、当然ながらその勝敗。
その結果、ただの一〇回の資料ではあるが、若干の偏りが見える。
「地球側の投入個体は一三体中八体か。形式番号の意味は……、これだけじゃわからないけど、何体目かはわかるな。投入されているのは六体目以降の番号しかない。なんでだ」
明日香や深月と照らし合わせて、形式番号の中での製造順番の符号は推測できた。
「形式番号の六番から一三番までか。明日香や深月はアジアエリアではすべて担当、と。ミッションエリアはアジア三回、欧州四回、アメリカ二回、オセアニア一回……」
独り言を言いながら、統計を作っていく。
「敵型ゾイノイドの形式番号は全く分からないな。取りあえずこのまま打ちこんで……」
夢中になると時間が経つのを忘れるのは、慧也ならずとも研究者にはありがちなことだ。この部屋に籠城してから、はや数時間が経過していた。それでも、まったく疲労の色を見せずに、慧也はこの作業に没頭していた。
「明日香っち~、そろそろお昼だぜ~。昼飯どうするんだろうね?」
「さあ。慧也様に聞いてくださいな」
「腹が減っては戦は出来ぬぞ。今のうちにしっかり食べておきたいじゃん」
交代で戻ってきた深月は、扉をノックする。
「慧也っち~。そろそろ出てきて飯にしないか~?」
しばらく返事はなかった。
「おーい」
二度目のノックをしようとした時、ドアのノブが回った。慧也は時計を見ながら頭をかく。
「もうお昼か。やれやれ、取りあえず読み切ったよ。さて、執務棟は砲撃でやられちゃったし、食事を作るにも材料がないなあ……買い物か外食に出ようか?」
「外出は危険が伴いますよ? できればあまり動かない方が……」
明日香は難色を示した。
「じゃあ、君たちのどちらかが買いものしてきて、何か作ってくれたりする?」
明日香と深月は顔を見合わせた。あまり芳しくない表情だ。
「一二歳からこちら戦場に駆り出され、敵を料理するのだけはうまくなりましたけど、食糧相手は今一つ……」
「あたいも、撃つのは得意だけど切ったり焼いたりはダメでさあ……」
期待はしていなかったが、慧也はがっくりと肩を落とした。
「仕方ない、やっぱり買い物に行こう。二人にガードしてもらえれば少しはましだろう? それに、建物にこもっていたとしても相手に位置が知れているから一緒だしね。どうだい?」
「そうですね。まあ、一週間ずっと同じところにいるわけにもいきませんし、場所を移しながら逃げおおせるのも、このミッションには有効です」
「逃げるって言っても、このミッションエリアからは出られないんだろう? だったら、腰を据えて迎撃してやるよ。幸い武器はたっぷりある」
「あん? 一〇キロ圏内から出たら、慧也っちは助かるぜ?」
深月はカマをかけるつもりで、そう言った。だが、返ってきたのは前向きな言葉。
「僕が助かっても、君らが処分されたら意味がない。みんな一緒にクリアするんだ。僕はもう腹を決めている。大丈夫だ」
少女たちはマジマジと慧也を見つめた。ルールブックを読み終えた慧也は、その前よりは幾分引き締まった顔だちをしているように思えた。研究開発ばかりで研究所にこもりっきりのひ弱な、知能だけが先走ったあてにできない保護対象ではないか、と会うまでは思っていた。
会ってからは、人はいいけれどやっぱりミッションを自力で生き残るのは難しいだろうな、と思った。だが、今この瞬間は、ちょっと期待してもいいかも、と思ったのだ。
「な、なんだい? 二人とも、じろじろ見て」
二人の視線に気づいた慧也はどぎまぎしていた。そして、気づかれた二人も慌てて視線を外す。
「い、いえ、何でもありません、慧也様」
「そ、そうそう! 早く買い物行こうぜ! 肉食いたいなあ!」
「?」
そうして慧也は、深月にぐいぐいと背中を押され。明日香に引っ張られて廊下を連行されていった。二人の顔が若干朱に染まっていたことには、慧也はまったく気づかなかった。
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