第25話 世界を、お前に

 明日には部屋の準備ができると言われて、今日もリダールの部屋で寝ることになったわ。魔王の私室は城の上階にあるらしく、夜景がよく見えるのだとメイドが教えてくれた。せっかくだからと、バルコニーに出てみる。頭上には美しい星空が広がっているけれど、そんなのは目に入らなかったわ。


 初めてこの目で見るマヴィアナ国の都は、パンデリオの王都とはまるで違っていた。息を呑むほど美しい、なんて陳腐な表現を、まさか体感することになるなんて思わなかったわ。


 よく見慣れた闇に沈む王都とは違う、夜の中に浮かび上がる輝きの都。もう日は沈んでいるのに、目に眩しいくらい明るく活気づいている。見渡す限りの建物に明かりが灯っていて、まだこの街が起きているんだと教えてくれる。


 何より驚いたのは、高い建物が多いことかしら。お城と同じくらい高さのある建物がたくさん並んでいるわ。それが上から下まで光っているから、視界全体が昼間みたいに明るいの。



「すごいだろう?」


「本当に綺麗だわ……。こんな景色、見たことない」


「最初は家自体を魔法で浮かせていたらしいんだが、落下する事故が多発したそうだ。今は安全に高く建築する方法を魔法で研究するのが主流だな」



 後ろからやってきたリダールが、軽々と私の体を抱き上げた。微笑むリダールのこめかみに、そっと唇を寄せる。



「私、この国に来ることができて嬉しいわ」


「パンデリオは窮屈だっただろう」


「それもあるけれど……、何より、リダールの治める国を、美しいと思うわ。私はこれから、ここを愛していくのね」



 生まれ育った故郷を、私は愛することができなかった。王女だっていうのに、酷いものよね。だけどあの国も、両親も、民たちも、私のことを愛してくれなかったわ。


 マヴィアナは違う。魔族たちは違う。オルヴァンは私を受け入れてくれたわ。可哀想にと慈しんでくれた。人間の間に生まれ、魔族を殺してきた私を、同族として認めてくれた。


 もちろん私を嫌う人もいるでしょうけれど、それは仕方のないことよ。私は罪深い聖女だから、償っていかなくちゃならないわ。


 私はリダールのために生きると決めたのだから。そのためなら、なんだってできるの。


 静かに目を瞠ったリダールは、一拍おいてゆるゆると相好を崩した。大きな手に引き寄せられて、頬をすり合わせる。戯れるようにキスを繰り返して、漆黒の瞳を見下ろした。


 愛情深いこの目に、私はいつも溺れてしまうわ。だからこそ、この目が私を見なくなるのが怖いの。私への愛情で溢れたリダールを、ずっと独り占めしていたい。


 罪深いだけじゃなくて欲も深いなんて、本当に私には、聖女なんか似合わないわね。



「ありがとう、セレア。俺を選んでくれて」


「当然でしょう?」


「ああ。もうお前を、手放せそうにないな」



 冗談めかして言うリダールだけど、顔は真剣だった。うなじがぞくりと粟立つくらい、強く絡み付くような視線が私を見ている。


 私を捕らえている腕に、痛いくらいの力がこもったわ。



「セレアの望みはなんだ? 俺が全部叶えよう。セレアを幸せにすると、誓ったから。ただ心の望むままに生きてほしい。それが、俺にとっての幸せだから。そのためなら――」



 私が望むなら。私が願うなら。



「世界を、お前に」



 そう言って自信満々に笑うリダールが、愛しくて愛しくて。


 どうしてかしら。鼻の奥がつんと熱いわ。ずっと同じことを言われているのに、心境の変化でもあったのかしら。それとも、この美しい夜景を背景にしているせい?


 ぽろぽろと零れ落ちる涙を拭う余裕もなく、思いっきりリダールに抱きついた。



「愛してるわ、リダール。私は、あなたの隣にいられるなら何にもいらないの。ただ、あなたのために生きたい。私のすべてを、リダールのために使いたいわ」


「俺もセレアを愛してる。お前以外は何もいらないんだ。同じだな」


「……ええ」



 きっと今以上の幸せはないと思うのに、リダールと一緒ならそんな想像も覆される気がするの。


 夜空と地上、二つの輝きに照らされたバルコニーで、愛を確かめ合う至福の時。この時間がずっとずっと続くように、私たちは戦うと決めたのだから。


 こつりと額を合わせて、ぼやける視界の真ん中でリダールもぽろりと涙を零した。






 勇者ルシオンと、元側近ラートルが脱獄したという報告が上がったのは、次の日のことだった。

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