第26話 ルシオンの夢

 ルシオン。パンデリオ王国の辺境で生まれたただの若者。姓はなく、身分も権力も持っていない。


 たまに現れる魔獣を退治したり、年寄りの多い村を回って手伝いをしたり、そうやって細々と暮らしていた。村は貧しく、生活は厳しかったが、皆で助け合う暮らしは悪くなかった。


 ルシオンは村の中で一番剣が強かった。使っている剣は安い中古品の、碌に手入れもされていない古ぼけた剣だったが、それでも魔獣の首を一撃で刎ねるくらいは簡単だった。


 村人たちに「いつか英雄になれる器だ」と冗談交じりで言われるようになった頃、国王の出したお触れが辺境の村にも届いた。


 『魔王を打ち倒す勇ある者求む。魔王討伐の暁には、莫大な褒美と王女セレステアとの結婚を約束する』というお触れ。それがルシオンの運命を変えたと言ってもいい。


 どれだけ辺境だろうと、パンデリオの国民に聖女様を知らない人間はいない。魔族を殺す力を持って生まれた、美しい王女。セレステア・トゥーリア・パンデリオ。



(もしこの選抜試合に出て、優勝したら……。聖女様と結婚できるのか)



 まるでおとぎ話のような、現実味のない話だ。けれど、ルシオンはどこかワクワクする気持ちを抑えられなかった。


 もし勇者に選ばれて、聖女と共に魔王を倒したら。きっと今のルシオンには想像もつかないような未来が待っているに違いない。誰もがルシオンのことを称え、崇めるだろう。


 お触れを知ったほかの村人たちも、口々に出場を勧めてきた。いつもの冗談とは違う、どこか真剣な瞳で。


 ルシオンならきっと、勇者になれる。こんな小さな村で燻っていていい訳がない。二度とこんな機会はないのだから。


 そんな風に言われて、ルシオンは頷いた。



(試合に出るだけだ。本当に選ばれるかどうかなんて分からないんだから)



 けれど、心のどこかに確信があった。勝ち残るのは自分だと。


 ルシオンが選抜に出場することを決めた時、反対したのは幼馴染のクシェだけだった。



「魔王と戦うなんて危ないよ。それに……、その聖女様だって、どんな人か分からないし」


「僕一人で戦うわけじゃないんだから、大丈夫。確かに聖女様を見たことなんてないけど、きっと素晴らしい人に決まってるよ。だいたい、僕が勇者になると決まったわけじゃないし」


「それは、そうだけど……。本当に行くの、ルシオン」



 縋るように見てくるクシェの言いたいことが分からずに、ルシオンは首を傾げた。



「行くよ。勇者になって、魔王を倒して……。ああそれに、魔族を全部倒せば、この村の暮らしも良くなるよ。ここだけじゃなく、ほかの国境近くの村も。そうしたら、クシェだって安心だよね?」



 にっこりと微笑むと、クシェは赤くなって黙り込んだ。納得してくれたようだ。クシェはルシオンのことが好きなようだから、こうやって笑いかけると分かってくれる。


 それに、魔族をすべて倒すのはとてもいい思い付きだ。そうすれば魔族の脅威に怯える必要もなくなり、毎日の食べる物に困る日々からも解放される。


 それを成したのがルシオンだとなれば、世界中から崇拝される英雄として認められるはずだ。



(僕は勇者に、英雄になるんだ)



 そしてルシオンは村を旅立った。


 外の世界はルシオンの予想以上に広く、まばゆかった。自分がいかに狭い場所で生きてきたのか、思い知らされた。


 初めて見る街に、見知らぬ人々、見たこともない物が溢れている。胸が高鳴った。古ぼけた剣を握る手に、否応なく力が入った。


 けれど、真にルシオンの心を奪ったのは、賑わう王都の街並みでも、腕自慢の参加者たちでもなかった。


 選抜の開会式で、檀上に立った聖女。距離は遠かったが、その姿はルシオンの目に焼き付いた。風に靡く銀色の髪、強い眼差し。



(あの人が欲しい)



 なんて美しい。なんて神々しい。あれが聖女。あれが、この国の王女。


 あれが、勇者となった者に与えられる褒美か。


 何が何でも手に入れたいと、ルシオンは選抜試合に臨んだ。結果は当然のように、圧勝。誰もルシオンを止めることはできなかった。闘技場の観覧席から見ていた聖女セレステアに、ルシオンは自信満々に笑いかける。


 こうしてルシオンは勇者となった。


 与えられた聖剣は、セレステアが手ずから作り上げたのだという。魔族と戦うための武器だ。セレステアからの期待が込められている気がして、一晩それを眺めて過ごした日もあった。


 セレステアは顔を合わせるたび、ルシオンに優しく笑いかけてくれた。穏やかで、見るからにか弱い人だ。彼女が魔族殺しの力を持っているなんて、信じられないくらいに。


 けれど、その赤い瞳はまっすぐに前だけを見据えていて、誰も彼もがそんな聖女に心酔していた。


 救世主として民に崇められるセレステアが、いずれは自分のものになるのだと思うと、ルシオンは湧いてくる興奮を抑えきれなかった。


 魔王討伐の旅に出てからも、セレステアとの日々は楽しかった。鬱陶しい騎士がついてきたり、クシェが追いかけてきたりと想定外のことはあったが。


 一つ大きな不満があるとするならば、マヴィアナ国で出会う魔族を殺してはいけないことだった。それが作戦だと言われれば仕方ないが、そもそもルシオンは魔族を皆殺しにするために村を出てきたのだ。これではせっかくの聖剣が力を発揮できない。


 同じ姿をしているからなんだというのだ。魔族は敵で、殺すべき対象だ。何故セレステアは、彼らと親しげに言葉を交わすのだろう。何故クシェは、魔族に同情の目を向けるのだろう。何故カリオは、そんな二人を諫めないのだろう。


 いつも優しく穏やかなセレステアは、たとえ相手が魔族であっても微笑みかける。ルシオンはそれが腹立たしかった。作戦のためだと分かっていてもだ。


 距離を縮めようとしてもほかの二人が邪魔をする。クシェもカリオも、何故かルシオンとセレステアが結ばれるのを嫌がっているようだった。



(カリオはいらない……。クシェも、いらない)



 セレステアとの結婚を邪魔するのなら、あの二人も魔族と変わりない。ルシオンの栄光は、セレステアと並び立つことで完璧になるのだから。


 ルシオン様、と呼びかけるセレステアの柔らかい声。それが、欲しくて、欲しくて。ルシオンだけを見てほしい。早く魔王を倒して、魔族を滅ぼして。


 ルシオンが夢見るのは、凱旋の瞬間だ。セレステアを隣に従えて、民たちの歓声を全身に浴びる。きっとルシオンの名前は永遠に語り継がれることになるだろう。英雄として、人間を救った救世主として。






 ぱちり、と目を開く。暗い視界に写ったのは石の壁だった。腕を動かすと、じゃらりと鎖の音。ルシオンは魔王城の牢にいた。ここに入れられてから、断続的な頭痛と発熱がルシオンを襲っていた。そのせいか、思考があちこちに散らばって纏まらない。


 どこから歯車が狂ったのだろうか。魔石を盗まれた時? 魔族の国にいる人間を助けようとした時? ルシオンには分からない。


 ただ、あの空き倉庫で、セレステアが魔王に抱きついた瞬間だけが、ずっと頭の中で回り続けている。


 今までに見たことのないような顔をしていた。どこか恍惚とした、陶酔しきった顔で魔王を見上げていた。それを思い出すたびに、ルシオンの腹の底でどす黒い怒りが渦を巻く。


 いったいどうやってセレステアを洗脳したのか。旅の途中、セレステアにおかしなところはなかった。城にいた時と同じように、ルシオンに微笑み、優しく導いてくれていた。


 魔王リダール。なんと厄介な相手だろう。聖女の力があまりにも強力だから、卑怯な方法を取ったのだ。


 そして、そんな相手にあっさりと屈したカリオとクシェも許せなかった。やはりあの二人は、この旅に必要なかったのだ。どうにかして自分だけでもここを抜け出し、セレステアを助けに行かなければ。


 セレステアを奪われた瞬間が忘れられない。怒りが、収まらない。



――ルシオン。私、初めて会った時から、あなたのことが嫌いだったわ。



 最後に聞いた彼女の言葉が耳の奥で木霊する。耐え切れずに腕を振り回した。じゃらじゃらと鎖が鳴って、ルシオンの苛立ちと頭痛を増幅させる。


 これほどの怒りは生まれて初めてだった。憎くて憎くて、憎くて仕方がない。


 衝動のままに、頭を壁に叩きつける。頭痛と熱が紛れる気がした。歯ぎしりしながら、何度も額を打ち付ける。何度も、何度も。


 必ずあの魔王を殺す。そしてセレステアを取り戻す。そうでなくてはならない。それが当然なのだ。あるべき姿だ。



「セレステアは、僕の物……!」



 ひと際強く頭をぶつけたその時、轟音と共に壁が崩れ落ちた。堅牢に組み上げられたはずの石壁が、だ。


 呆然と崩れた壁を見つめていると、舞い上がった土埃の向こうから声がした。



「な、なんだというのですか」



 どこか聞き覚えのある声に、ルシオンは目を細める。いつの間にか体の不調が気にならなくなっていた。



「お前は……」


「勇、者? 一体何がどうなって……、え、頭突きで壁を破ったのですか? この牢の壁を?」



 隣の牢に繋がれていたのは、クシェ誘拐を企てた魔王の元側近ラートルだった。あまりルシオンの印象には残っていない。強いて言えば、魔王に叩きのめされていた男、というくらいだ。


 そのラートルは質素な囚人服を着て、両手に大仰な枷が嵌められていた。顔もやつれている気がするが、それよりも生気のない目が彼を死人のように見せていた。



「額、血が出ていますよ」



 言われて、ルシオンは思わず額を撫でた。ぬるりとした感触に、初めて鈍い痛みを覚える。



「はあ、呆れたものです。どうせ聖女を取られて怒り狂っているのでしょうが、ここに捕まった以上、お互いにどうしようも……」



 何やらぶつぶつと呟いていたラートルが、突然ルシオンを見つめて言葉を切った。ゆっくりと目を見開いて、元側近は「ふは」と笑い声を零す。



「ふ、はっはは! まさか、ここに来て運が向いてこようとは!」



 気味の悪さにルシオンが身を引いたが、ラートルは気にも留めずににんまりと笑った。



「勇者ルシオン。私の話を聞いてくれませんか」


「馬鹿なことを言わないでくれ。誰が魔族の話なんか聞くものか」


「魔族である私が、何故魔王に牙を剥いたのか、興味ありませんか?」



 ルシオンは虚を突かれて黙り込んだ。そこまで深く、魔族側の事情を考えたことはなかった。



「本当はね、私は人間だったのですよ」


「……なんだって?」



 ルシオンは、それがラートルの嘘だとは気づかない。なぜならルシオンは、魔族のことを何も知らないからだ。そして今は、その間違いを正してくれる人も、傍にいない。



「ほら、あるでしょう。魔族化の呪いが。私はあの呪いの実験体なんですよ」



 ぺらぺらと口から出まかせを並べ立てるラートル。ルシオンは困惑しながらも、それを信じた。



「だから、魔王を倒そうと?」


「ええ。頑張って側近の立場まで上り詰めたのですが、あなたも知っての通り失敗しましたよ。過激派を操るのも、苦労したというのに……」


「そうだったのか……」



 もともと深く考える質でもないルシオンは、簡単に同情の念を抱く。魔族は殺し、人間は助けなければ。それこそ英雄の振る舞いだろう。ただその一心で、ルシオンはラートルに手を差し伸べる。



「ならば、僕と一緒にここから出よう」


「願ってもないことです。ですが、この枷。これは魔力を封じるための物なのです。元は人間と言えど、今の私は魔族と同じ体。これを外さなければ、何もできません」


「鍵がどこにあるのか、分かる?」


「おそらくは看守が。けれどあなたなら、壊せるのではありませんか?」



 両腕を持ち上げて突き出したラートルは、目を光らせて笑う。



「真の勇者として目覚めたルシオン様ならば、きっと」



 真の勇者。ああ、もしや、愛する者の危機に覚醒したのだろうか。今まで眠っていた力が呼び覚まされたのだろうか。


 ルシオンは確信した。やはり自分こそが、世界の頂点に立つに相応しいのだと。


 ルシオンの明るい未来は、翳ってなどいない。英雄に試練はつきものだ。これはきっと、最後の壁だ。セレステアを救い出し、魔王を倒すために立ち上がらなければ。


 ラートルに促されるまま、自分の拘束を引きちぎる。鉄製の鎖はいとも容易くバラバラになった。


 ラートルの枷も素手で叩き壊し、魔法を使えるようにしてやる。



「魔法を使うのは嫌かもしれないけど……」


「いえいえ、勇者様のお役に立てるのなら、なんてことありませんよ」


「ごめん、頼りになるよ。さて、それじゃあ行こうか」



 ルシオンは意気揚々と、石壁に向かって拳を振り上げた。

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