第11話 クシェの思い

 クシェは自分に勝ち目がないことなど分かっていた。


 相手はパンデリオ王国の王女。しかも、浄化の力を持って生まれたという聖女様。どう考えたって、クシェはただの邪魔者でしかなかった。


 だけど、ルシオンを信じたかったのだ。同じ村で生まれ育ち、何をするにも一緒だった幼馴染を。結婚の約束を交わした幼い日々を。


 夢中で村を飛び出して、ルシオンを追いかけた。彼が勇者選抜を勝ち抜くことなんて分かっていた。ルシオンは、とても強いから。


 きっと追い返されると分かっていたけれど、それでも。


 だから、王女セレステアが旅の仲間に迎え入れてくれたときは本当に驚いた。ただ魔術師という戦力が欲しかっただけだとしてもいい。これでルシオンを取り戻すチャンスができた。


 恋のライバルであるセレステアは、つんと澄ましたようなお姫様だった。長く艶やかな銀色の髪と、宝石みたいな赤い瞳。とても綺麗だが、笑顔の裏で何を考えているか分からない。ルシオンは騙されているんじゃないかと、クシェは心配になった。


 そんな彼女に仕えている騎士も最悪だった。ずっとしかめっ面をしていて、態度も横柄だ。おまけに頭も固くて話が通じない。クシェやルシオンが平民だから見下しているのだろう。パンデリオの貴族は皆そうだ。


 だいたい、勇者に選ばれて聖剣をもらったルシオンがいれば十分ではないのか。何のための勇者だと思っているのか。ひょっとするとルシオンとクシェだけでも、魔王を倒せるかもしれない。


 王女と騎士がいなくてもいいなら。ルシオンと二人で魔族の手から世界を救って、二人きりで称賛を受けられるのに。


 思い描いていたそんな絵空事は、魔族の国に入ってすぐに打ち砕かれた。


 王女と騎士が不必要だなんて、とんだ思い上がりだった。本当にいらないのは、勇者であるルシオンの方だ。押しかけただけのクシェなんて、足手纏いでしかない。


 偉そうな騎士は、その態度に見合うだけの実力があった。どう見たってルシオンよりもカリオの方が強い。無駄の一切を削ぎ落された剣技は、ひたすらに鋭くて、恐ろしいまでに繊細だった。


 そして何より、セレステア。詳細を知らなかった聖女の力は、クシェが思っていたよりも強力だった。あんな風に一瞬で、たくさんの魔獣を戦闘不能にできるなどと。聖女がいれば魔族を滅ぼすことができるというのも、誇張ではなかったのだ。


 けれどそれ以上に意外だったのは、セレステアの態度だった。


 世界を救う力を誇る様子が無い。どころか、殺した魔獣に心を寄せ、悼むことすらした。これまで魔族を倒してきた功績も語りたがらない。


 ほんの小さな違和感だったが、「憤怒の森」を抜ける間に芽生えたその思いは、クシェの心にずっと引っかかっていた。


 けれど、魔王城へ向かうことには積極的なように見えたから、特別気に掛ける必要はないのかもしれない。彼女が何を考えていようと、ルシオンを取り戻すというクシェの目的は変わらないのだから。


 マヴィアナ国に入って二つ目の街、ケンディムを目前にして、恐らくここが最後の休憩地点だ。うまくいけば、ここから都に通じる魔導車に乗れるかもしれない。そうすれば、魔王城はすぐそこだ。


 そうなると、気になるのはやはりルシオンのことだ。一つ目の街ノルデオを出てからは、率先して魔獣と戦ったりカリオに指導を受けたりしているが、どうにも空回りしている気がする。



(ルシオン、大丈夫かな)



 このままだと、魔王を倒しても勇者として認めてもらえないのでは。そこまで考えて、クシェはハッとした。


 魔王を倒した勇者という名誉は受けられないが、認められなければ王女との結婚もなくなるかもしれない。そうなれば、ルシオンはクシェと一緒に村に帰ることができる。


 程よくルシオンが活躍せず、けれど確実に魔王を倒すには。



(セレステア王女に、頑張ってもらうしかない……!)



 きっと魔王討伐の本命は勇者じゃなくて王女だ。だけど、それでもいい。それでいい。クシェの望みは、ルシオンと故郷の村で静かに暮らすことだ。


 身に余る名誉と栄光なんて、持て余してしまうだけだ。一瞬だけ見えた夢物語は、所詮はただの夢でしかない。


 そうと決まれば、セレステアがどこまで戦えるのかを知りたい。ケンディムの夜景を遠くに見ながら尋ねたことに、それ以上の他意はなかった。



「姫様の『遠征』って、前にも騎士様がおっしゃってましたよね。何をされてたんですか?」



 その瞬間、セレステアの顔が微かに強張った。え、と思う間もなくその色は消えて、いつもと同じ穏やかな微笑みが浮かぶ。



「……特別なことは何も。お父様の命令で、国境を守っていただけですわ」



 淡々と答えたセレステアは、ルシオンを呼んでくると立ち上がってしまう。呼び止めたかったが何を言えばいいのか分からない。



「クシェ殿、いいか」



 結局、天幕を張っていたカリオに話しかけられて、その隙にセレステアは行ってしまった。本当はルシオンに近づかせたくないのに、一瞬だけ見えた表情が追いかけるのを躊躇わせた。



「……はい、なんですか、騎士様」


「姫様への無礼は許さん。今後は弁えるように」



 セレステアの機嫌を損ねたことを言っているのだろうか。背中を向けて作業をしていたくせに、頭に目でも付いているのかと思う。



「失礼なことをした覚えはありません」


「本来ならば、このように直接言葉を交わすことさえ許されないお方だ。自分の立場を考えるんだな」



 どこまでも上から目線で腹が立つ。自然とクシェは、座った場所からカリオを睨み上げていた。



「でも、姫様と呼ぶのを許してくださったのも、旅の同行を許可してくださったのも、騎士様ではなくて姫様ご自身です。文句ならば姫様におっしゃってください」



 憤然と肩を怒らせたカリオが、荒々しい足音を立ててクシェに近づいた。



「ひとつ言っておこう」


「なんですか」



 返すクシェも喧嘩腰だ。



「姫様は、大層お優しい方だ」


「それがなんだって言うんですか」


「姫様のお言葉を額面通りに受け取るなということだ」



 つまり、結局は信用していないと言いたいのだろう。クシェはそう結論付けて、ふんとそっぽを向いた。



「はいはい、分かりました!」


「おい、なんだその態度は」


「あ、ルシオンと姫様、戻ってきましたね」



 途端に飛んで行って二人を引き剥がしたカリオに、小さく吹き出す。クシェにとっては気に食わない相手ではあるが、ルシオンとセレステアが結ばれるのは許せない、という一点においては意見が一致しているらしい。


 取り残されてぽつんと佇むルシオンに、クシェも駆け寄る。



「ルシオン! おかえりなさい」


「ああ……、クシェ」


「よかったら、スープの味をみてくれない?」



 腕をとって引っ張ると、ルシオンは素直についてきた。そのまま焚火の前に座らせて、スープを器によそって渡す、のではなくスプーンを直接差し出す。



「はい、あーん」


「ん」



 躊躇いなくスープを飲んだルシオンは、パッと明るい笑顔になった。



「美味しいよ、さすがクシェ」



 昔から料理が上手だよね、と褒めてくれるルシオンは、村にいた頃と何も変わらない。


 正義感が強くて、優しくて、誰よりも頼りになる人。もしも今、王女セレステアに惹かれているのだとしても、それは目が眩んでいるだけだ。きっとクシェの元に帰ってきてくれる。


 そう信じているから、クシェは何の不安もなく笑えるのだ。



「当然だよ。ルシオンのためだもん!」



 この幼馴染のことは、誰よりも知っている。だって、ずっと一緒にいたのだから。


 その後、夕食を食べながら呼び名の話になった時。クシェは一つの疑惑を覚えた。


 セレステアはルシオンのことを好きではないかもしれない。「そわそわするから」なんて言い訳で親しい呼び名を断っていたが、まるで照れているようには見えなかった。


 いつも表情を変えない彼女のことを、クシェはほとんど知らない。だが、もしセレステアがルシオンとの結婚に乗り気でないなら。


 セレステアと、二人きりで話してみたい。クシェはここに来て初めて、ルシオン以外に目を向けたのだった。

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