第10話 親睦は深めないで
「聖女セレステア、お前に『遠征』を命じる」
感情を伴わずに響くお父様の声。私はぼんやりと顔を上げた。
これは、また夢を見ているのね。だけどこちらは良くない夢だわ。リダールのお母様に会ったからかしら。家族の夢、だなんて。
夢の中の幼い私は、記憶にある通りに黙って頭を下げた。子供らしからぬ無表情だけれど、お父様はそれに頓着していないわ。その隣に座るお母様も、なんだかはしゃいだ様子。
「セレステアが遠征に出て魔族を殺せば、同盟国から追加で支援が貰えるのですよ。国のため、国民のために励むのです」
そんなことを言って、どうせ支援金は自分たちが贅沢をするのに使うくせに。国民に還元されたことなんて、一度としてなかったわ。なんなら、私のところにも来なかった。
「遠征」。国境付近の住民を守るため、聖女直々に出向いて魔物退治を行う。けれどそれは建前で、本当は国境を越えてマヴィアナ国に侵入し、魔族を討伐するのが目的。
私の能力で大人の魔族を殺せることが証明されたから、その力を世界中に誇示しようとしたお父様が思いついたのよ。
家臣たちにも反対する人はいなくて、むしろ遠征の成果を期待する人たちばかりだったわ。謁見の間に集まった彼らは、皆が期待の目で私を見ていた。
幼い私が俯いて黙っていても、誰も気にかけない。そんな中で、一人だけが反論の声を上げた。
「いいですかな、陛下」
こちらも少し若い姿の将軍が、思案するような表情を見せている。
「どうしたのだ」
「セレステア殿下はまだ八歳であられます。戦うための訓練も受けていないのに遠征とは、流石に身に余るのではないですかな?」
私の身を案じる唯一の意見を、お父様は軽やかに笑い飛ばした。
「案ずるな、セレステアの力は本物だ! それに国の騎士たちも大勢つける。危険など何もないさ!」
確かに傷を負うことはないかもしれないわ。私に勝てる魔族なんていないのだもの。
けれど、八歳の子供を喜んで戦いに出す親が、他にいるかしらね。
将軍は小さく肩をすくめたけれど、お父様たちはそんなことにも気づかないわ。
「頼むぞ、セレステア! この世界を救えるのはお前しかいないのだ!」
自信満々のお父様に、能力以外に何も持たない私は、「はい」と返事をするしかなかった。
ああ、本当に嫌な夢。目が覚めたら忘れていることを願うわ。
ケンディムまでの道のりは随分と穏やかだった。天気は良いし、道は平坦で歩きやすいし。たまに野生の魔獣が出るけど、張り切ったルシオンが率先して倒しに行くから、私はやることがないわ。聖剣で転送された魔獣が山になってそう。クシェとの連携も、相変わらず息がぴったりだわ。
「憤怒の森」やこの辺りに生息する魔獣は、そんなに強くないみたい。魔力は持ってるはずだけれど、魔法もあまり使ってこないし。
カリオはそれを見ながら、ルシオンにあれこれとダメ出しをしている。自分の方が実力が上だと確信したからか、出発の時ほどルシオンに突っかかってはいない。その代わり、指導されているルシオンの方が凄く不満げだけれど。
料理をするのは、いつの間にかカリオからクシェの役目になっていた。「騎士様が作るご飯は、美味しいけどお肉ばっかりなんです!」って言って。文句を言われたカリオは憮然としてたけど、クシェの料理は美味しいしバランスもいいから、結局黙って食べてたわ。次の街では、買い出しをクシェに任せた方がよさそうね。
私? 一国の王女が料理なんてできるわけがなかったわよね。
ほかの旅人にも何度か出会ったわ。同じように都を目指す観光客や、荷馬車を走らせる行商人。それから街を行き来する兵士たち。普段は都にいる腕利きの兵士が、警備のために国全体に散ってるんですって。
リダールが言ってた過激派が、活動を増やしているみたい。ノルデオの街を出てから一度来てくれたけれど、仕事が忙しいみたいですぐに帰っちゃった。「ここまで表立って行動することは今までなかったのに」って難しい顔をしていたわ。
そして三度目の野宿、明日にはケンディムの街に入ろうかという夜。ルシオンはいつものように鍛錬をしていて、カリオは私のために天幕を張り、クシェは行商人から買い取った野菜と干し肉でスープを作っている。私はクシェの手元を見ながら料理の勉強よ。リダールに作ってあげたら喜んでくれるかしら。
風の魔法を使って器用にニンジンを切りながら、クシェが首を傾げる。
「この野菜もそうですけど、お金ってどうしてるんですか? この国のお金って、パンデリオとは違いますよね」
「ああ、それは……」
私が口ごもると、カリオが杭を片手に振り返った。
「姫様が『遠征』で討伐した魔族の戦利品だ」
というのは口実で、本当の戦利品は返してあるわ。今持ってきているお金は、魔石や私物の宝石をリダールに換金してもらったもの。
「無駄遣いするほどはないからな」
「そんなことしませんっ」
「まあまあカリオ」
この二人も、いちいち仲が悪いわね。カリオの態度が問題なんだとは思うけれど、クシェが私を敵視してる限りは難しいかも。
さてどうしようかしらと考えていると、クシェが今度は私に向き直った。
「姫様の『遠征』って、前にも騎士様がおっしゃってましたよね。何をされてたんですか?」
ただ気になったから聞いただけ、というような何気ない口調だった。
「……特別なことは何も。お父様の命令で、国境を守っていただけですわ」
褒め称えられるようなことは、何もしていない。
「そろそろ食事も出来上がる頃合いでしょうか? ルシオン様を呼んで参りますわ」
「あ、はい」
立ち上がると、クシェが何かを言いたげな顔をした。けれどカリオが声をかけたからか、そちらに向き直る。内心胸を撫で下ろして、離れた所で剣を振っているルシオンに近寄った。
「ルシオン様」
「殿下」
手を止めたルシオンは、額の汗を拭って笑みを浮かべた。
「精が出ますわね」
「もちろんです! 僕は魔王を倒すんですから。カリオ様に何も言われないくらい強くならなくては」
やっぱりカリオのことを気にしてるのね。確かに彼は王城の騎士の中でも飛び抜けた実力があったわ。だからこそ、お父様も私の専属騎士として認めているのだし。
そんなカリオでも、リダールには敵わないと知っているけれど。だから、今のルシオンではリダールに勝てる確率なんてこれっぽっちもないわ。それに、聖剣には転送以外にも仕掛けがある。
「鍛錬も大切ですが、もうすぐ夕食ができますよ」
「わざわざ呼びに来てくださったんですね。今行きます」
ルシオンは私のことをじっと見下ろして、そして照れたように頬をかいた。
「はは、この会話、まるで夫婦みたいですね」
切実にやめて。今、背中がぞわぞわあってしたわ!
顔にまで鳥肌が立ってそう。ルシオンにバレてない? 大丈夫?
どうにかこうにか笑みを浮かべて、私は当たり障りのない返事をした。
「王族は自分で伝言を伝えに行ったりはしませんわ」
しまった、これじゃ社交界で飛び交ってる嫌味だわ。「そんな常識も知らない田舎者ですの?」って受け取られるタイプの。全然当たり障りなくない。
でもルシオンはそれを嫌味だとは全然思わなかったようで、青い目をきらきらと輝かせた。
「あっ、そうですよね! やっぱり貴族の方は違いますね」
すごいなあ、なんて続ける声からは、嫉妬も憧れも感じられなかった。ルシオンは、魔王を倒して私と結婚し、王族の一員になるのだと信じて疑っていないのでしょう。
「僕のために、教えてくださってありがとうございます」
前向きにも程があるわ。でも今は勘違いしてもらわないと困るから、小さく微笑むだけで留めた。
二人で野営場所まで戻ると、カリオが即座に割って入ってきた。
「姫様、天幕はあれでよろしいでしょうか?」
そんなの後で確認すればいいのに、と思うけれど、ルシオンと離れられるのは嬉しいから話に乗った。
「ありがとう、カリオ。わたくしばかり申し訳ないですわ」
「そんなことはありません。姫様のお体が第一ですから」
実際、一番か弱いのは私だものね。守られるべきとまでは思わないけれど、配慮してもらえるのは素直にありがたいわ。
私を取られてムッとしたルシオンは、すぐさまクシェが引っ張っていった。あれこれと話しかけられて、スープの味見なのか「あーん」してもらっている。「美味しいよ、さすがクシェ」という感想も聞こえてきた。
私と同じように二人を見たカリオは、僅かに顔をしかめて呟く。
「……あの男が姫様に相応しいとは思えないな」
誰に聞かせるつもりでもない独り言だったのか、カリオはすぐに首を振った。
「姫様、明日は街に入りますし、打ち合わせをしましょう」
「ええ、そうですわね」
二人にも声をかけて、焚火を囲うように四人で輪になった。クシェが配ってくれた器を手に、明日からの予定を話し合う。
「食堂の女主人の話によると、魔導車なるものが出ているそうですね」
「ええ。ケンディムに入れば、まずはその魔導車のことを調べなければなりませんね」
「あの女主人は我々を怪しんではいないようでしたから、誤情報である可能性は低いとみていいでしょう。道中で出会った者たちの話とも一致していました」
そうね、怪しんではなかったわね。正体を知ってるものね。
「魔導車の乗り方、料金、行き先、魔導車に乗れなかった場合の代替手段……、優先して調べるべきはこの辺りでしょうか」
「姫様のおっしゃる通りかと。場合によっては宿をとる必要も出てくるかと思いますが……。これはできれば避けたいですね」
ケンディムの街でやることは決まった。都に直行するのではなく、マヴィアナ国をできるだけたくさん見て回りたいのだけれど、あまり遠回りするとカリオたちに怪しまれそうだから考え物ね。都直通の魔導車が無ければいいのだけど。
「あの、殿下。ちょっといいですか?」
黙って私たちの話を聞いていたルシオンが、小さく挙手をした。
「なんでしょうか、ルシオン様?」
「街中で、殿下って呼びかけるのは目立ちますよね? 呼び方を変えたらダメですか?」
いつかは言われると思ってたけど、予想より早かったわ。カリオが反射的に否定しようとして、一理あると思ったのか言葉に詰まっている。
「クシェもカリオ様も姫様って呼んでるし、統一した方が……。いや、姫様も目立つのは同じですから、いっそ全員呼び捨てにして、敬語もなしにしたらどうですか?」
周囲の目を誤魔化すためという理由があるからか、ルシオンがぐいぐい来るわ。さて、どう返そうかしら、と思っていると。
「でも、騎士様は姫様を呼び捨てにできないんじゃないですか? 挙動不審になってしまいそうですよ」
クシェが援護してくれた。いえ、彼女としては私とルシオンが親しくなってほしくないだけね、きっと。
「そう、だな。姫様に無礼な態度をとることは、難しいでしょう」
そしてカリオがしかめっ面で同意する。
「ですが、姫様の正体が露見する可能性は排除したいのは事実です」
「では、お嬢様ではどうでしょう? それでしたら、裕福な家の娘ということで誤魔化しが効くかもしれませんわ」
代替案を出すと、ルシオンはがっかりした顔をして、カリオとクシェは安堵の息を吐き出した。
「申し訳ありません、姫様。それでしたら、なんとか」
「姫様の喋り方も変えた方がいいんじゃないですか? なんていうか、見るからに貴族! って感じですし」
それもそうね。王女らしく、聖女らしくと意識している話し方だから、市井に馴染まないのは当然だわ。
それに、繕わなくていいのは楽そうでいいわね。乗っかっちゃいましょう。
「そうね、それじゃあクシェさんの言うとおりにしてみるわ。これでどうかしら?」
カリオがぎょっと目を剥いた。ふふ、カリオのそんな顔、久しぶりに見たかも。クシェも、自分で言っておきながら驚いたみたい。こっちが素なんだけどね。
「し、自然でいいと思います」
「ありがとう」
そんなやり取りを遮って、ルシオンが身を乗り出してくる。
「誰も聞いていない時は、僕も姫様とお呼びしますね」
よっぽど呼び方を変えたいのね。私はカリオ程その呼び方にこだわっているわけではないけれど、ルシオンと必要以上に距離を詰めたいとも思っていない。だから、悪いけどお断りさせていただくわ。
「申し訳ございません、ルシオン様。どうかそれはお控えくださいませ」
「……どうしてですか?」
ちらっとルシオンの目に不穏な光が灯る。もう、カリオが「特別な呼び方だ」なんて言うからよ。
「乙女心を分かってくださいな。ルシオン様にそう呼ばれると、そわそわしてしまいますの」
にこっと笑うと、ルシオンは途端にしどろもどろになって俯いた。
「そ、それはその、だったら仕方ありませんね!」
うまく誤魔化されてくれて良かったわ。ある程度
ルシオンが単純でよかった。静かに照れているルシオンに、私は目を細めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます