第9話 最北の街ノルデオ
マヴィアナ国最北の街、ノルデオ。周辺の村々が交流の拠点にしている大きな街よ。実はここがリダールの故郷なのよね。
国境に近いから兵士が多いけど、だからこそ治安がいいの。本当に魔王暗殺に来たのだったら、ここが最初の難関になったのでしょうね。
三人は見るからに緊張している。あのルシオンでさえ、きょろきょろと落ち着きがない。聖剣に手をかけるのは、無意識でもやめてほしいわね。
私はといえば、久々に整備された石畳を踏めてホッとしているわ。もう森も岩場もこりごり。この先は足場の悪い場所は少ないと思いたい。
ノルデオの街は昔来た時と変わらず、のんびりとした雰囲気が流れていた。すぐ傍に敵対国との国境があるとは思えないくらい平和。子供たちが笑いながら走り回ってるし、道行く人々にも警戒なんて見られない。
パンデリオの街々では、子供が保護者もつけずに外出するなんて考えられない。国全体がピリピリしていて、暗い空気が漂っていた。私がいた王都はマシだったけど、それでも不安そうな顔を隠せない民が多かったわ。
人間側は魔族が侵略の機会を伺っていると思っている。だけど魔族側はそうじゃない。彼らには侵略の意思なんてこれっぽっちもないもの。ここ何代かは穏健派の魔王が続いているんですって。
街の様子を見ればそれが分かるわ。彼らの日常に、戦争なんて言葉は縁遠い。もし魔族が一丸となって人間を攻めようとしているなら、国境に一番近いこの街はもっと物々しくなっているはずだもの。
「随分と呑気な……。まさかカムフラージュのために、平和な街を演じているのか?」
カリオは違う意見みたいだけど。さすがに子供まで使ってそれはないでしょう。ていうか、私たちが一応は隠密行動をしていることを忘れたの? ノルデオの人たちは、魔王暗殺の一行が来てるなんて知らないわよ。
とはいえ指摘するわけにはいかないから聞き流して、辺りを見渡した。
「ええと、地図を探すにはどこに行けばよろしいでしょうか?」
「そうですね……」
ルシオンがのんびりと答えようとした時、「あらあら!」と声をかけられた。
「旅行の方かしら? この街では見ない顔ねえ」
にこにこと笑う女性が私たちを見ている。さっと緊張の走った三人の前に出て、私もにこりと微笑み返した。
「はい。観光旅行なんです」
「まあ、それは楽しそうねえ。どちらに向かわれるの?」
「魔王様のお城を見たくて」
「一度は見ておくべきだというものね。あたしは一度見ただけだけど、そりゃあ立派なお城だったわよ」
「それは羨ましい……。おば様は、わたくしたちに何か御用でしょうか?」
あらやだお上品な呼び方ね! と頬に手を当てたおば様は、楽しそうに腕に提げた籠を揺らした。
「アタシはこの先で食堂を開いてるんだけどねえ。もうお昼時だから、お客ならうちに来ないかと思って!」
「そうでしたの」
なんてありがたい申し出だろう。もともとどこかの食事処には入るつもりだったし、自然にいろいろと尋ねることもできそうだ。
「皆さん、地図は後回しにして、こちらの方の食堂へ参りませんか?」
「ですが、」
咄嗟に反対しようとしたカリオだったけど、おば様の不思議そうな顔を見て口を噤んだ。よしよし、その調子で黙っててちょうだいね。
「僕はいいですよ」
「あたしも」
何も考えてないルシオンと、ルシオン全肯定幼馴染のクシェが同意してくれたおかげで、私たちはおば様の食堂に向かうことになった。
あの食堂に行くのも、何年振りかしら。
先頭に立って案内してくれるおば様が、他の三人に聞こえないように小声で囁いてきた。
「リダールから聞いてるわよ、セレちゃん。久しぶりねえ」
「ええ、久しぶり! おば様がいい時に声を掛けてくれたから、助かったわ」
こちらのおば様、なんとリダールの実の母親だったりするのよね。ノルデオの街中なら助けてくれると聞いていたけど、本当に完璧なタイミングだったわ。
ぱちこーんとウィンクをしたおば様は、いつも明るくてお茶目な人。この人相手なら、三人が何か不用意なことを言ったとしても流してくれる。魔族なら知ってて当たり前のことだとか、私もすべて知ってる訳じゃないし。
「今朝はねえ、大きなイノシシが捕れたらしくてね。新鮮なお肉があるのよ。今日はシチューで決まりね」
うきうきと話すおば様。おば様のシチューは美味しいから、楽しみだわ。
一方、私の後ろを歩いているカリオは、最大限の警戒をしているみたいだった。肌を刺すような空気が伝わってくる。あからさまに警戒するのはやめなさいったら。
「ちょっと、騎士様!」
「な、なんだ、クシェ殿」
「そんなにピリピリしてたら怪しまれますよっ」
「……う、む。すまない」
だから聞こえてるのよねえ。おば様が苦笑してるじゃない。
まあ、いいわ。早く食堂に行きましょう。もうお腹空いて仕方ないのよ。
おば様の食堂は街の中心部にある。よく賑わう通りの目立つ場所よ。昔から繁盛してたけど、今も人気みたいね。
おば様が店に入ると、店員たちが朗らかに挨拶をしてくる。
「いらっしゃいませー!」
「女将さん、お帰りなさい! そちらはお客様ですか?」
見る限り、店内はほとんどの席が埋まっているみたい。こちらの席しか空いてないんです、と店員に案内されたのはカウンター席だった。確か、夜はここがバーになるのよね。話に聞いたことしかないけれど。
「あなたたちは何が食べたい? メニューは必要?」
カウンターに入ったおば様が、エプロンをつけて私たちの前に立つ。隣に座ったカリオがメニューを受け取ろうとしたのを遮って、私は言った。
「さっき話していらした、シチューが食べたいですわ」
「ひ……っ」
この場で姫様と呼ぶわけにはいかないからか、隣でカリオが悶えている。でもどうせ、安全そうなメニューを吟味するつもりでしょう? 意味ないからそんなことさせないわ。時間がもったいないし。
「シチューはほかのお客さんにも人気なのよ。ほかの人も同じでいいの?」
結局全員がシチューになった。ややあって出てきたシチューは、小さい頃の記憶通り。温かみのある木の器にたっぷり盛られたシチューは、お肉もお野菜もいっぱい入っている。国境を越える前に村で食べたスープとは大違いね。
カリオが少しだけ目を丸くして、スプーンを手に取る。毒見をさせるという約束なので、私はその様子を見守った。
「……美味しい」
ぽつりと零れた言葉は無意識だったみたいね。はっとして手で口を塞いだけど、おば様が嬉しそうに頷いているからそれ以上何も言えずにもごもごしている。
分かるわ、おば様のシチュー美味しいわよね。
「この辺りは土も良くってねえ、いい作物が育つのよ。森があるから狩りもできるし。都ほど豊かな訳じゃないけど、十分満ち足りた生活ができるわね。国境に一番近い村は、ほら……。あそこは死刑囚が集められて、魔法を使わない生活をしてるところでしょう? パンデリオからの侵攻対策に。ああいう貧しい暮らしは嫌ね」
ルシオンとクシェが、少し強張った顔をした。これ以上は二人の精神的に良くなさそう。
「ああそうだわ。さっきも言ったけれど、わたくしたち、その都へ行きたいのです」
話題を変えると、おば様はポンと手を叩いた。
「だったら、次に向かうのはケンディムの街ね。このまま南にまっすぐ行けば着くわ。ケンディムからは魔導車が出てるから、都まではすぐよ」
まどうしゃ。私含めて、頭の上に疑問符が浮かんだ。
おば様はすぐに察してくれたみたいで、人の好い笑みで魔導車について説明してくれる。
「都の周辺じゃないと走ってないから、馴染みがないかしら。ほら、馬を使わない馬車みたいなものよ。料金は乗り合い馬車より高いけど、その分早いし乗り心地がいいの。せっかく都に行くなら、乗ることをおすすめするわ」
そういえばリダールが、マヴィアナ国には魔力を使った移動手段があるって言ってたわ。きっとそれのことね。馬に牽かせるんじゃなくて、魔力で人が乗る部分だけを動かすんですって。仕組みはよくわからないけれど、さすがは魔族の国って感じがするわ。
「いろいろとありがとうございます、おば様」
「いいのよ、気にしないで。こうやって誰かの世話を焼くのが、アタシの楽しみなんだから」
本当にいい人だわ。初めて出会った時も、怪しさ満載の私を普通に受け入れてくれたもの。
そのあと、おば様は簡単な地図と都までの行き方を書いた紙をくれた。助かっちゃったわ。これで地図を探す手間も省ける。
シチューを食べ終わって、日が落ちる前に出発しようということになった。食料とかも買い足したいから、早く出発しないといけないわね。
「最近は少し物騒だって聞くから、気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」
リダールによろしく、と口だけを動かしたおば様に小さく頷いて、カリオたちに見えないように手を振った。
「さあ、行きましょう」
小さい頃に遊んだ思い出の場所。次はリダールと一緒に来たいわね。
市場で必要なものを買って、私たちは早々にノルデオの街を出発した。本当はもっと居たかったのだけれど、仕方ないわね。久々におば様に会えたから良かったわ。
今さっき出てきたばかりの街を振り返って、クシェが呟く。
「魔族って、あんなにいい暮らしをしてるのね……」
やるせない気持ちが込められた声に、しかめっ面のカリオが答えた。
「だからどうしたというんだ。まさかあそこで暮らしたいとでも?」
「そんな、違います!」
きっと眉を吊り上げて否定するクシェ。でもすぐにしょんぼりと肩を落とした。
「あたしたちは魔族のせいで辛い暮らしをしてきたのに、って思っただけです」
確かにそこは不公平よね。
パンデリオ王国は、世界中からは英雄の国なんて呼ばれて持て囃されてる。けれど実際は、魔族との間に何かが起きた時の盾。しかも土地はほかの国より貧しく、碌な資源もない。一応ほかの国から支援を受けてはいるけれど、それはつまりパンデリオが世界中の国に逆らえないことを意味している。
国民の心が荒んでいるのも無理からぬこと。
だけど、よく考えてほしいわ。魔族は人間側に、一切の干渉をしてこなかったのよ。少なくともここ百数十年ほどはそうだった。かつては荒れ地だった場所に自分たちの国を作って、静かに暮らしているだけ。行動を起こすのはいつも人間の方で、理由もなく魔族のことを悪者だと決めつけている。
歴史書にある、「魔族が人間の生活を脅かすようになった」という一文を、具体的に説明できる歴史学者はいなかったわ。誰もが「魔族は魔族であるから悪なのだ」と言うの。
だから、クシェが本当に怒りを向けるべきは魔族ではなく、そういう貧しい人々の生活を分かっていながら助けてくれない国や貴族たちではないかしら。
国内の僅かな資源も、他国からの支援物資も、お父様や大臣たちは十分に配分しようとはしなかった。自分たちの名誉と利権を守ることに必死で、国民のことなんて考えてない。お父様はそういう人よ。
「元気出して、クシェ。僕たちが魔王を倒して魔族を滅ぼせば、何もかも良くなるんだから」
「ルシオン……。うん、そうだね」
ルシオンが眩しい笑顔でクシェを励ましている。クシェも頬を染めてはにかんだりしていて、なんでルシオンはこの子を捨てて勇者になったわけ? こんなに分かりやすくアピールしているのに。真面目に分からないわ。
いろいろとうんざりしてしまって、私はカリオに声をかけた。
「カリオ、教えてもらった通り南に向かいましょう。先導をお願いできますか?」
「はい、承知いたしました」
カリオが恭しく頭を下げて、いちゃついている二人を一瞥してから歩き始めた。
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