届くはずのない手紙
兎舞
カラン、カラン……・
店のドアに取り付けたカウベルが鳴る。客が来た合図だ。
「いらっしゃいませ」
挨拶をしながら振り返ると、緊張した面持ちの高校生くらいの男の子が立っていた。
「どうぞ。お好きなお席へ。お冷お持ちしますね」
「……っ、いえ。あの、お客ではないです……。あの……、新城園子さんです、よね?」
知らない男の子に名前を呼ばれて驚いた。
誰だろうと改めてまじまじと見つめる。
突然、ある人の面影と重なった。
もしかして……。
「僕、山口甲子朗の息子です。」
やっぱり。
「父の代理で来ました」
母の、ではなく?
軽く息を吸いなおして、頷いた。
「そう。じゃあ、どこか座って。コーヒーくらいご馳走するわ。」
少し戸惑っていたようだが、おとなしく窓際の席に座った。
私は、コーヒー慣れしていなそうな彼のために、少し薄めのブレンドを入れて、席へ向かった。
◇◆◇
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
意外にもミルクも砂糖も入れず、口を付けた。
「お父さんから、どんなお遣い?」
黙っていても仕方ないから、要点を聞く。
私の質問に、また固まって、そして意を決したようにかばんに手を伸ばした。
そして真っ白な封筒を取り出し、私に差し出した。
「父から、貴方へ、です」
もう一口、コーヒーを飲んで。
「生前、言付かりました」
生前。
私は目の前が、真っ白になった。
◇◆◇
園子さんへ
唐突に手紙など書いてすまない。
本当は、直接貴方に言いたかった。
でも、自分にはその資格はない。
そして、時間はもっと無い。
だから手紙にして、息子に託すことにする。
実は息子には、貴方のことを話していたんだ。
だから、他の誰よりも信頼できるし、こんな役目も引き受けてくれると思う。
初めて会ったのは、僕の仕事帰りだったね。
仕事にも家庭にも疲弊していた僕にとって、貴方が入れてくれるコーヒーだけが、僕の心と喉を潤してくれた。
つまらない僕の話を、微笑みながらいつまでも聞いてくれていた。
嬉しかった。
長く生きてきて、あの時間ほど、生きてきて良かったと思える時間は、僕には無い。
本当に、貴方には感謝している。
貴方と二人で幸せになる道も、もしかしたらあったのかもしれない。
その道を、僕は一人で模索し、一人であきらめてしまった。
貴方が望んでくれたのかどうかも聞かないまま。
ただ、二人がどう捉えようと、他人から見たら人の倫から反れた行為になる。
優しく美しい貴方に、そんな誹りを受けさせたくはなかったんだ。
一人で逝く裏切りを、許して欲しい。
そして、こんな想いを遺して逝くことを、赦してほしい。
愛していました。
甲子朗
◇◆◇
彼の息子が帰った後も、私は放心したように座り込んで、動くことが出来なかった。
ついこの間まで、夜に店に来て、一杯だけコーヒーを飲んで帰っていく彼。
仕事のこと、家族のこと。
話し慣れない様子でポツポツ言葉にする様子を、最初は微笑ましく、そしてその気持ちは、思いもよらなかったものに育っていった。
いつしか、彼が来る時間が、私にとって心の支えになっていった。
そして、唐突に来なくなった。
どうしたのかと思ったが、一人のお客さんに過ぎない。個人的な連絡先を知っているわけでもなかった。
落ち着かない気持ちをもてあましながら、少しずつ忘れかけていた。
そして。
今日、彼の息子が現れた。
彼の訃報と、告白を持って。
『父の帰りが少し遅くなっているのが気になって、仕事が忙しいのかと思って聞いたら、貴方の話をしてくれました』
『最初は驚いたけど……、でも、家族の誰と話す時より、貴方の話をしているときの父は幸せそうに見えたので、責める気は起こりませんでした』
『父は、最期まで静かでした。ただ、僕だけを病室に呼んで、この手紙とお店の住所を託されました。貴方に渡すように、と』
『中身は読んでないので分かりません。でも、余命を宣告されてからほとんど話をしなくなった父が書いた手紙です。とても大事なことが書いているんだと思います』
『どうか、読んでやってください』
そう言って、深々と頭を下げ、コーヒーを飲み干して帰っていった。
彼の名前も、今日の手紙で知った。その程度の関係だ。
私の名前は……、そうか、店のSNSか何かで見たのかもしれない。
そんな間柄でしかなかった彼からの告白。
しかし、違和感も拒否感もない。
そう、私も同じ気持ちだったから。
『愛しています』
同じ言葉を、店の窓から空を見上げながら、小さく呟いた。
届くはずのない手紙 兎舞 @frauwest
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