2 美しい食事
お姉ちゃんらしくお会計を二人分私が支払ったところで、水蓮くんの携帯電話が鳴った。
「あ、藤原のおじさんだ」
「ああ、あの警察の?」
「そう」
私にとっては折角の休日だけれど、水蓮くんにとっては休日ではない、ということだ。残念だけれど。
警察の、藤原さんのことは記憶に新しい。少々ふくよかな菩薩のような顔立ちをしたやさしげなおじさんだった。あのひどい事件の中でもほわほわとした雰囲気のままの人だったなあと思う。あとは後ろにすごい美人の部下がいた。
「俺、ちょっと仕事場に行くけど」
電話を切った水蓮くんがそう話す。
「お姉ちゃんも行きます!」
「ええー……」
水蓮くんは微妙そうな表情をする。けれど微妙そうということは本気で嫌というわけではないはず。
それに個人的に、そう、とても個人的に、水蓮くんが働いている場所と姿が見たい。現場にいる姿ははじめて会った時に見たけれど、仕事場と言ったからには事務所みたいなものだろうか。
そんなわけで訪れたのは家からそんなに遠くはない、しかも駅近という立派な立地条件のマンションだった。
「マンションが仕事場なの?なんか、普通のマンションだよね」
「普通に人が住んでいるからね。便利なんだよ、ここ。セキュリティーもちゃんとしてるし」
中に入る。二部屋あるようだ。入って正面には大きな本棚があって、ぎっしり本が詰まっている。畳風の床の上には大量の紙が散らばっていた。家具らしい家具はあとは小さなローテーブルがぽつんとあるだけで、簡素なのか散らかっているのかいまいちよくわからない。ちなみに足元に散らばっている紙は、ちらりと見ただけでも随分大事な資料に見える。いいのだろうか、放置していて。
「奥の部屋は?」
「仮眠する時に使ってる。いいでしょう、ここ。バストイレと簡易キッチン完備だよ。はい、座布団」
床にある紙をばさばさと適当に避けて置かれた座布団に座る。水蓮くんも隣に座った。それからローテーブルの上に資料を広げはじめる。
見なければ良かった、というものが世の中にはたくさんある。それを今、私は身をもって実感している。だってまさかこんなにも粗雑に出された紙類のその内容が、テレビだったら絶対に映せない代物がそこかしこにあるものだとは思わないじゃない。
常々思う。よく警察関係の人たちはこういう写真を撮って、現像して、しかもまじまじと眺められるものだと。いや、仕事だからだけれど。それで事件が解決したりする、とても大切な仕事だけれど。
水蓮くんの白くて細長い指は、見ただけでぞっとするような写真を持っている。私と水蓮くんが出会ったきっかけだったあの事件の時の写真も相当なものだったけれど、こちらはなんだかもう毛色が違う気がする。
「それ、よく普通に見れるね」
「そういう仕事だからね。でもこれらだって、全部人間がしたことだよ?」
にっこりと微笑む水蓮くんの雰囲気は柔らかくてやさしいけれど、決して容赦はない。
「ほら、これ。食い千切れられているけれど、犬とかの歯形ではないでしょ。よく見てみればわかるよ」
水蓮くんがある写真を指差す。別にその先を見なければいいだけではあるけれど、そこでやっぱり見てしまうのが性分というものだ。
テーブルに複数枚並べられた写真には、恐らく人間だったものが写っている。何故〝人間〟とはっきり言いにくいのかというと、あまりに原型が留められていないからだ。いたるところが食い千切られているような、破られているような、形容しがたい状態で。皮膚が剥がれてなかったり、中の肉まで元の形からはだいぶ減っているように見える。バラバラにされた、というよりは、食べられた、という感じだ。
水蓮くんが指差した場所は頭部があるその下、首のあたりだった部分だった。そこから下はない。えげつないというか、もはや水蓮くんは私にこういった写真を見せることに躊躇はないらしい。もちろんカラー写真だし、なんなら食後である。
「これは人間の歯形だよ」
「ええ……全然わかんないよ。食べられてるんだし、熊とかじゃないの?」
「熊はあまり人間は食べないよ。狩猟本能で人を襲うけど、その時の死因は食べられたことじゃなくて引っかかれたり色々攻撃された失血死が多いらしい。だから熊に襲われて死ぬ時は物理的にとても痛いし時間が掛かるから結構しんどいと思う」
「熊の話はもういいわ……」
これ、止めなければ嬉々としてまだしばらく水蓮くんは話しそうだった。
気を取り直して写真を見てみる。
食い千切られている場所のすぐそばに、確かに赤黒い跡はある。けれど時間が経っているからなのか状態がそもそも悪かったからなのか、鮮明だとは言い切れない写真だし、何より歯形を目にする機会自体が大してないし、何をもってして人間のものと断定するのか。わからない。
「ほら、これ」
うんうん悩む私の前に差し出されたのは、水蓮くんのほっそりとした白い腕だ。そこにはくっきりとした歯形がある。じわり、と赤いまち針のようにぷっくりとした血が滲んできている。
「何よこれ!?水蓮くんの綺麗な腕が、腕がっ!!」
「噛みたてほやほや」
「血が滲むまで噛むなんて馬鹿じゃないの!?」
結構食い込んでいる。これ、絶対に後々すごい色になるだろう。なんで水蓮くんは暢気にへらっとしているのか。痛いと思うのだけれど。
「ねえ、消毒液とか包帯とかそういうアレ」
「救急セット的な?」
「そうそれ!どこにあるの」
ともかく、まずは手当てをしなければ。そう思って立ち上がり、問い掛ける。
水蓮くんはというと、ここにあると思った?とでも言いたげな大層なドヤ顔をしたので、私はこのマンションに来る前に見かけた薬局まで買いに走ることになるのだった。まったく手の掛かる弟だ。可愛い。
ちなみに大慌てで買ってきてしっかりと手当てをしたその後の水蓮くんの一言は、「烈火ちゃん足速いね」だった。
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