2 美しい食事
午前中はゆっくり過ごして、お昼を少し過ぎてから家を出た。
私はといえば水蓮くんとのはじめての二人だけのお出掛けに非常にわくわくして、シックな薄茶のジャケットに膝上くらいのスカートを合わせて、春らしいやわらかな色合いのパンプスを履いてちょっとお洒落を頑張った。対して水蓮くんは丈の長いシンプルなパーカーにジーンズという、普段とまったく変わらない格好だった。まあ、こんなものである。
「母さんもそうだけど、女の人って家の中と外で全然違うよね」
「そうでもないわよ」
ええ……とでも言いたげな微妙な目で見られたが、受け流す。
まあ確かに、出掛ける為に着替えたけれど。だって家の中でまでこんな格好していたら安らげないし。
そんなこんなで着いた目的地は、ちょっと有名なカフェだ。
友人から、おいしいという話を聞いていたから一度来てみたかった。あまり大きくはない店で、看板も小さくわかりづらいところにある。ここにあるのだと話を聞いていなければ通り過ぎてしまいそうなほどに目立たないけれど、土日には並ぶこともあるらしい。
現在時刻は一時過ぎ。まだお昼時と言っていい時間帯だけれど、平日ということもあってかそんなに混んではいなかった。有給さんありがとう。
道路側と反対方向にあるテラス席は元々の席数も少ないこともあって満席だったけれど、窓側の席は空いていた。好きな席に座っていいとのことだったから、迷わず窓側を選ぶ。陽射しがあたたかくて心地良い。
テラスや窓側の席は禁煙のようだけれど、室内のいくつかの席は喫煙可能のようだった。そこに座っている人も何組かいる。
「座ってからでなんだけど、水蓮くん煙草吸わないよね?」
「うん。本当に座ってからでなんだよね。吸わないよ」
正面に座った水蓮くんは頬杖をつき、窓の外を眺めている。陽の光がきらきらと黒髪を輝かせていて、とても綺麗だ。
「水蓮くんって美人さんだよねえ」
私は気付いたら、というか暇さえあれば水蓮くんに見惚れているような気がする。中身は別として、見た目は本当にとても目を引かれるものがある。とはいえ、一般的に見て水蓮くんが美人とか、そういうのではないのかもしれない。現にお水とメニューを持ってきてくれた店員さんは、ごくごく普通の対応をしていた。
私だって最初は特に気にしていたわけでもなかったと思うし、やっぱりじっと見たり接したりするようになってから、こんな風になっていると思う。それに水蓮くんはあまり目立ちたくなくて、敢えて隠している感じもする。
「美人って、男に使う言葉じゃなくない?というか、烈火ちゃんはやたらと俺に甘いよね」
「それはねえ、水蓮くんは可愛い弟ですからねえ」
「美人から可愛いに変化した……」
飽き飽きといったように水蓮くんは息を吐く。
メニューをテーブルの真ん中で開いて、私に見えるように水蓮くんが置いてくれた。美人で可愛くて気遣いも出来る弟って最強じゃない?それに対しての私の姉力の頼りなさ。少々悲しい。
メニューを見てみると、流石カフェ。飲み物の種類がとても豊富だ。食事の方はそこまで品数は多くはなく、数種類のパスタ、ドリア、それからサンドイッチなどの軽食がメインのようだった。
「何にしよっかな。聞いた話だと、パスタがすごくおいしいらしいけど」
「へえ」
「でもサンドイッチがいいかなあ」
「烈火ちゃん、とんだ天邪鬼だね」
「でも見て。ゴーヤアボカドチーズっていうサンドイッチがあるの」
お得なランチメニューにはサンドイッチは入っていないし、やはり推しているのはパスタのようだ。単品メニューも勿論パスタのところに一番人気!とか人気!とか書いてある。けれど一度気になってしまうと、やはりどうしても気になってしまうのは性分というもので。
「ゴーヤアボカドチーズ……」
「気になっているなら、それにしたら?」
「うーん……水蓮くんは?」
「同じものを頼もうかと思っていたけど」
「えー、どうせなら違うもの食べようよ」
「どうして?」
「だって、勿体ないじゃない。もちろん、たまたま同じものが食べたいっていうのなら、それはいいけど」
「ふーん、そういうものなんだ」
結局水蓮くんは今日はひとまず同じものを注文することにしたらしい。その理由に「烈火ちゃんと同じものを食べてみたい」などと言われたら、私はデレデレしながら速攻で店員さんに注文したのだった。ちなみに店員さんの視線がチクチク痛かった。
「烈火ちゃんは不思議な人だよね」
料理が来るまでの待ち時間に、水蓮くんが頬杖をついたまま私をじっと観察するように見つめてくる。どうやら水蓮くんはこの空いた時間を雑談に花を咲かせる選択をしたらしい。
「そう?不思議なのは水蓮くんの方だと思うけど」
「俺はつまらない人間だよ」
くすくすと水蓮くんは笑う。本心からの言葉なのだろう。醸し出す雰囲気から既に目を奪われるというのに、つまらないなど一体どの口が言うのか。
「結構アレな現場と俺の仕事を見たはずなのに、烈火ちゃんは態度全然変わらないよね。普通の女の人だと明らかに怖がったり、距離を取ったりするんだけど」
「ふふん、虫も手で掴めますからね」
「それはどうかと思う」
「役に立つ能力じゃない」
虫の駆除問題は大切なことだ。なんといってもうちの父は虫も殺せないお人好しなので、とにかく一生懸命殺さず捕らえて、外に放すということを幼い頃からしていた。ちなみに父は運動神経はいまいちだから、必然的に捕まえるのは私の役割となる。解せぬ。
「まあそれはそれとして、まだ俺に関わろうとか思っているんでしょ?」
「それはもちろん!」
私は即答した。だいぶ食い気味だっただろう。水蓮くんは私と距離を取ろうとしているみたいだけれど、私はそういうのは好きじゃない。苦手だとか、もう関わらないだとか、そういうのはちゃんと関わってみてから考えるべきことだ。
これまでの水蓮くんの話しぶりから察するに、私のようにぐいぐい突っ込んでくるタイプは稀のようで、ほとんどは水蓮くんの望むままに関わりを避けてきたのだろう。
「俺と烈火ちゃんは違うよ」
「一緒よ。まったく、水蓮くんは頭がかたいなあ」
今のような諦めているような言い方や眼差しは、寂しそうに見えて仕方がない。もちろん、私がそう思いたいだけの気のせいかもしれないけれど、それでもやっぱり一緒の方がいいと思う。元ひとりっ子の気持ちとしては尚更。
私の意思は簡単に捻じ曲げられるものではないと、とっくに悟っていることだろう。水蓮くんは小さく笑って息を吐いた。
「じゃあ、問題です」
「うん?なに、クイズ?」
「まあそんなところ。あんまり深く考えないで答えてみて」
「わかった」
突然のクイズに驚きはしたものの、私はクイズとか占いとか心理テストとか、そういった類のものは結構好きだ。当たるも八卦当たらぬも八卦精神ではあるけれど。
やる気満々で待機する私を見て、水蓮くんはもう一度息を吐いてから、話をはじめた。
「じゃあ、はじめるよ。……あなたは盗みをする為に、ある家に侵入しました。が、そこの家の人に運悪く見つかってしまいます。しっかり顔を見られてしまいました。さて、ここで問題です。あなたの手には一本のナイフがあり、目撃者はタンスの中に逃げて隠れてしまいました。あなたは、どうしますか?」
「…………あのさ、中々にあり得ない状況なんですけど」
ずいぶん物騒なクイズだ。そして想像もしにくい。
自分は盗みに入った犯罪者で、しかも目撃者をどうしようかなどと。けれど当の水蓮くんはなんてことはないといった風に話す。
「あんまり深く考えないでって言ったでしょう?」
「そうは言われてもさあ」
内容が内容なだけに、惑ってしまう。
果たして私はどうするだろうか。もしも。もしもの話だ。単純に何もせずに逃げるとしたら、顔を見られているからすぐに捕まってしまうだろう。だからといってどうにかして殺して口を塞ごうとまでは考えられない。
「ううん……タンスを何度か叩いて、何も盗んでいません、だから誰にも言わないでください、とでも叫ぶかな……」
まあ、それで見逃してもらえるとはとても思えないけれど。
うまく想像は出来ないけれど、そんなところではないだろうか。
私の答えは大体予想通りだったのか、水蓮くんは静かに微笑んで、やっぱりと呟いた。
「それでこれ、なんのクイズ?」
「うん。危険な殺人犯かもしれない人を見抜くクイズ……ってところかな」
「うわあ……予想通りの物騒さね……」
何故水蓮くんはこんなクイズを知っているのだろうか。少なくともこれまで私が聞いたり見たりしたクイズや心理テストの中には、ここまでのものはなかった。
「逃げるだとか、タンスを叩いたりナイフで刺したりして出てくるように脅すだとか、そういうのはセーフなんだ。良かったね、烈火ちゃんは人として正しいよ」
「タンスにナイフとかはいいの……?じゃあその、人として駄目な答えって一体なに?」
水蓮くんは長い睫毛を伏せる。少し溶けたコップの中の氷が動いて、カランと音を立てる。
「じっと待つこと」
それは意外な答えだった。私の疑問符が今にも目に見えそうなくらい不思議がった表情で、恐らく水蓮くんを見ただろう。
「待つ、って……だって、待っている間に他の人に見つかるかもしれないし、そのタンスに逃げた人だっていつ出てくるかわからないじゃない」
「そうだね。じゃあ、逆に想像してみて。もしも烈火ちゃんがタンスに逃げた目撃者だったなら。タンスに隠れて震えて、でも外からはなんの音もしなくなった。扉を叩かれ続けていたりすれば開けられないように必死になるだろうけど、犯人はまだいるのかどうかもわからないくらい静かになったら?」
「静かな方が不気味ね……。考えるだけで億劫になる……。しばらく待っても音がしなかったら、注意しながら扉を開けて様子を見るかも……耐えきれないだろうし」
「そういうこと。北風と太陽みたいなものだよ。無理にするよりも待った方が確実だ。目撃者が自らタンスの扉を開けて出てきたところを、刺せばいいだけの話だからね」
「犯人が力づくで開けるのはなしなの?」
「それは当然。扉を無理矢理開けたその一瞬の隙に目撃者が反抗する可能性があるからね。刺す、だけの行動の方がシンプルだし」
「どうしてそうはきはきと言い切るのかなあ……」
「前に言ったでしょう?俺がしているのは、殺人者の心を暴くことだって」
確かにタンスの扉を開けた時に、中にいる目撃者がそのタイミングで抵抗して立ち向かってきたとしたら、咄嗟の反応は難しいかもしれない。待つ、という行動によって急な状況に対処出来るように準備をする。目撃者の精神を追い込むという点においても、効果的だろうということも頷ける。
このクイズはほんの例えに過ぎないのだろうけれど、私には詳細がわからず、けれどどこか納得出来てしまうその理論に、これまで見てきたものの違いを否応なく見せつけられているような感覚にされる。これこそが水蓮くんの狙いなのだろう。
ぷつりと話が途切れた時、ちょうど店員さんが頼んでいたサンドイッチを持ってきてくれた。
「ゴーヤアボカドチーズサンドイッチ!」
嬉しさと堪えきれない楽しみで思わず声を上げる。
「うん、なんていうか……具が緑だねえ」
「ゴーヤね」
「苦そうだなあ。烈火ちゃん、食べられるの?」
「アボカドとチーズがまろやかにしてくれるんじゃない?」
「その根拠のない自信、俺は結構好きだよ」
不意打ちで水蓮くんからお褒めの言葉を頂いて、私の表情筋はへらへらとだらしなく緩む。
「いただきます」
「いただきます」
ぱくり、と一口含む。なんとも言えない味だが、思っていたよりも苦い。
正面の水蓮くんは同じものを食べているはずなのに、ごく普通に食している。流石、ブラックコーヒーを涼しい顔で飲みきる水蓮くんである。
「いちごサンドにするべきだった気がしなくもない……いえ、おいしいけれど」
私の好物、いちごサンド。ただいちごだから当然、赤い。最近赤いものを食べるのを避けていたから頼まなかったけど、なんだろう、今なら食べれそうな気がする。
「烈火ちゃんは子供舌だから、苦いの駄目なんだよね。人間の本能としては正解だからいいんじゃない?まあ、頼んだものは全部食べた方がいいとは思うけど」
「子供舌」
私は二十五歳だ。最早成人から五年も過ぎている立派な大人なのだけれど。
「ほら、小さい子供ってピーマンとか、そういう苦いもの嫌いな子多いでしょ?毒物とかそういう体に害をなすものって苦いものが多いから、本能的に嫌うんだよ。大人になるとわりと慣れるんだって。そういう一説があるっていうだけで、本当かどうかはわからないけどね」
「じゃあ苦いのが平気な水蓮くんは、平気でぺろっと毒物も食べてしまう可能性があると?」
「突然の極論だね」
変わらず水蓮くんはにこやかに笑みを浮かべている。ふと見ると、早くもサンドイッチを完食していた。
私はといえば思っていた以上の苦みで食の進みが遅く、まだ三分の二は残っている。
「いちごサンドでも追加で頼んだら?」
ひょい、とお皿ごと私のぶんのサンドイッチを水蓮くんが持っていく。
「ぐうう……」
涼しい顔をしてゴーヤアボカドチーズサンドイッチを食す水蓮くんを見て、私はなんだか負けた気持ちになりながらもいちごサンドを追加注文するのだった。
ちなみにそのいちごサンドは、これまで食べた中でもバスっと上位に食い込んでくるほどおいしい代物だった。
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