2 美しい食事

 どたばたした状況もなんとなく落ち着いて、今日は久しぶりの何の予定もない休みだ。

 そこそこの中小企業の事務員として働いている私こと宮城烈火は、折角だからと平日に有給休暇を貰って休んでいる。色々と大変だっただろう、と上司がいつにないやさしさを発揮して、なんと二連休だ。そうなってくると、ついだらだらしてしまうのも仕方のないことだと思ってほしい。

 そうしてのんびりと起き出したのは朝……といっては微妙な時間帯かもしれない十時過ぎ。もちろん、父も義母も仕事に出掛けている。

 私の部屋のある二階から、寝巻きにしているジャージ姿のままのそのそと一階のリビングに降りると、ほんわりとコーヒーの良い香りがした。水蓮くんが椅子に座り、本を読んでまったりしていた。テーブルにはコーヒーだけが置いてある。朝食はとっくに済ませたのだろう。

 降りてきた私に気付くと、本に向けていた視線を私へと向けて、くすりと微笑む。

「おそよう」

「……おはよう」

 水蓮くんはやわらかい声音で、さりげなく意地の悪いことを言う。

 少し伸びたまま放置しているようなぼさっとした黒髪を、水蓮くんはちょいちょいと指差して見せる。適当にしていそうだというのに何でかそれさえもやたらと美しく見えるのは、恐らくその黒髪の下にある顔立ちが妙に整っているからだろう。

「寝ぐせ。すごいよ。よく眠れたみたいだね」

「今から直すの。コーヒー、私も飲みたい」

「ん」

 水蓮くんは片手をひらひらと振り、視線を本へ戻す。どうやら了承してくれたようだ。私が顔を洗い、寝ぐせを直す間に、頃合いを見ながら準備してくれるのだろう。

 長い間お父さんと私だけだった生活に一気に二人も家族が増えて、それでもこうして当たり前のように慣れた。

 もちろんまだ不慣れな部分もあるけれど、今のところはなんとなく、しっくりきている感じだ。まあ、最初に理想のお姉ちゃん像をガラガラ崩してしまったということもあるのだろう。かなりリラックスして接していると思う。


 リビングに戻ると、コーヒーどころか朝食がテーブルの上に綺麗に並べてあった。

 お義母さんが作ってくれていったであろう朝食。卵焼きに、ほうれん草のおひたしに、昨夜の残りのお味噌汁が温め直して置いてある。白いご飯からもほかほかと湯気が出ていて、とてもおいしそうだった。思わず顔が緩む。

「ごはんだあ〜」

「ハイハイ。ご飯ですよ、烈火ちゃん」

 ちなみに〝お姉ちゃん〟と呼んでほしいと言ったらやんわり拒絶され、様々な交渉の果てに〝烈火ちゃん〟呼びとなった。是非ともお姉ちゃんと呼ばれたかったし、そこはまだ諦めずにいこうと思う。水蓮くんとしては普通に〝烈火さん〟と呼ぶつもりだったらしい。

 水蓮くんの向かい側の椅子に座り、いただきますと一言添える。

 私が猫舌ということも考慮してくれて、コーヒーは朝食と一緒に既に淹れてある。水蓮くんはとても気が回ることを、出会ってからこれまでまだ短い期間ではあるものの、ありありと感じている。頭も良くて顔も良くて気遣いも出来るとは、本当によく出来た弟だ。

 もくもくとご飯を食べはじめる。水蓮くんはまた読書に戻った。

 お父さんも料理をしないわけではなかったけれど、基本的には私が作っていた。だから朝起きて、そこに作られたご飯があることはすごいことだと思う。じーんと噛み締めながら食べる。何故だか、こうして作って貰ったご飯とはおいしいものなのだ。少し濃いめのお味噌汁。少し甘めの形の綺麗な卵焼き。本日もたいへんに美味だ。

「水蓮くんも、今日はお休みなのよね」

「うん」

 昨夜みんなで夕食を食べている時に、何もなく休みだと言っていた。水蓮くん以外は基本的に土日休みか土日祝休みかだけれど、水蓮くんは固定でいつが休み、ということはないらしい。出掛ける時間もまちまちで、呼び出されて行くこともある。

「ねえ水蓮くん、あの仕事って危なくはない……のかな?」

 段々に水蓮くんと親しくなるうち、わいて出てきた私の疑問はそれだった。

 警察は危険を孕んでいる仕事のイメージを勝手ながら抱いていて、水蓮くんもそれと似たような仕事をしているのだとしたら、そういったこともあるのだろうかと心配になる。

「まあ、その時々によるけど。大丈夫だよ」

 私は基本的に、大丈夫という言葉はあまり信用していない。

 本当に大丈夫でそう言っている場合もたくさんあるだろうけれど、そうじゃない場合だって山ほどある。大丈夫は、平気ではないのだから。

 水蓮くんがどちらであるのかは私にはまだわからないけれど、あまり物事を表情には出さない方なのではないかと思っている。うっすらとした微笑みに全部上手に隠してしまう。その印象がとても強い。

「それより烈火ちゃん、お昼はどうする?」

「私まだ朝ご飯食べてるんだけど」

「それはお寝坊さんな烈火ちゃんの事情であって、俺は朝食は三時間前に済んでいるよ」

 ぐうの音も出ないとはこのことだ。そしてうまく話を逸らされている。

 でもたぶん、聞いたところで水蓮くんは上手に誤魔化すのだろう。それなら私は、私の視点で見て、判断するまでだ。

 ひとまず朝食を食べ終えて、箸を置く。それから丁度良い温度になったコーヒーを飲む。じんわりとした甘さが口の中に広がっていく。コーヒー、とだけ要望したのに、きっちりミルクと砂糖も入っている。ちなみに水蓮くんは何でも飲めるようだけれど、よく飲んでいるのはブラックコーヒーだ。

「んー……折角だし、お昼はどこかに食べに行こっか?」

「朝食食べたばかりでよく昼食の話が出来るね」

「水蓮くんが話振ったんでしょうが」

「うん。そうだね、トマトソースのオムライスとか、ナポリタンとか、ボルシチとか食べたいね」

「気のせいかな。赤いものばっかりなんだけど」

「あとはトマトとかトマトとか」

「もう料理でもないし!」

 あの血まみれの惨状は、まだ記憶に新しい。正直少し、いやかなり遠慮したい。そして間違いなく水蓮くんはわざとである。

「出掛けるなら、着替えてくる」

 食べ終わった食器を重ねて席を立つ。コーヒーも飲み終わったし、お昼までまだ時間はあるにしても、いつまでもジャージのままでは格好がつかないだろう。

「置いてていいよ、一緒にやっておくから」

 水蓮くんは読みかけの本に栞を挟み、本を閉じる。テーブルに本を置いて、ゆっくりと立ち上がった。そんな何でもない動きのひとつひとつが不思議と優雅に見えるのは、どこか中性的な雰囲気のせいだろうか。

 水蓮くんの飲んでいたコーヒーのカップは、もうずいぶん前に空になっていたはずだ。

「……出来の良い弟よね、水蓮くん」

「そう?普通じゃないかな。まあ、ついでだからね」

 一緒に出掛けることで、新しい発見はあるだろうか。

 とりあえず今の私には新しく出来た義理の弟のことを知っていくことが、楽しくて仕方がないのだった。

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