1 ある春の日の話
とんとん拍子で話は進み、警察の人が出してくれた車に乗る。私は後部座席の右側に、月宮くんは左側に座った。
シートベルトをしながら、一体どうしてこんなことになってしまったのだろうかと、冷静な自分が出てきて深い溜め息を吐く。
今日は本当にうきうきだったのだ。とにかくも。とっても。それはもう。
だというのに定時で帰ることは出来ず、残業ともまた違う形で、あろうことか殺人現場に向かっている。まったくもって信じられない。お昼休みの時の自分にこの話をしたら、ひどい冗談だと笑い飛ばしていたことだろう。現実とは実に厳しい。
ごくごく普通にこれまで生きてきた私は、当然ながら殺人現場など見たことも言ったこともない。そして出来ればこれからも出会いたくはなかった。
「ねえ、折角だから前までのFAX見る?」
月宮くんは空気をまったく読むことなく、何だかやたら楽しそうにいそいそと鞄から封筒を取り出している。
A4サイズの入る封筒もちゃんと入る、結構大きめの黒色のショルダーバッグだ。会社にいた時、つい先ほどまでは持っていなかったと思うから、車かどこかに置いていたのだろう。取り出した封筒の他にも資料が様々入っているようで、持ち歩くには重そうだ。
「一応聞くけど、何でそんなもの持っているの?」
「必要かと思って」
「遠慮したいところだけど」
「宮城さんの意見を聞いてみたいです。それに、見比べてから現場を見た方が良いかと思って。この移動時間を有効活用しましょう」
妙に丁寧な言い回しだ。嫌とは言わせないように。
でも確かに、前までの事件も似たように起きているというのなら、見た方が参考にはなるだろう。一度やると決めたからにはしっかりと最後までやりたい。そうしなければ気が済まない気持ちもある。私は大事な日、大事な約束に水を差されているから、犯人に対して結構怒っているのだ。それはもう。
「…………白黒よね?」
「うん」
これはとてもとても大切なことだ。
「ほんと、宮城さんは面白いね」
月宮くんは楽しげに笑っているけれど、今の件は私にとっては死活問題だ。フルカラーでは確実に心が折れるだろうけれど、白黒なら何とかなりそうな気がする。
「私は全然面白くない」
不服に思いながらも、月宮くんが差し出した封筒を受け取る。
「紙の右下に書いてあるけど、一回目と二回目のものだよ。今日のものにはまだ番号が書いていない」
「今日のぶん、いつの間にコピーとって持ってきたの?」
「俺は行動は迅速な方なんだ。褒めていいよ」
「すごいねー」
「まるで心がこもっていないけど、ありがとう」
「どういたしまして」
封筒から中身を出す。見てみると月宮くんが言ったとおり、右下に日付と数字が書いてある。
一回目と二回目のFAXも、今回と同じ枚数、つまり六枚ずつあった。白黒で、相変わらずぼんやりとしていて見えにくいけれど、やはり人間の体のようだ。そしてどれも必ず同じ部位が映っている。
適当にFAXやコピーをしているわけではなく、こだわりのようなものがあるのだろうか。月宮くんもそんな感じのことを言っていたけれど。
頭部。首から肩と胸元にかけて。手のひら。腹部。足。足首から下。驚くくらい綺麗に揃えてある。
けれど一回目と二回目のFAXと、今回のものを見比べると、どうにもしっくりこない。
「一回目と二回目は、角度や映り方までそっくりね。今回のは、何だろう……」
過去二回とはよく似てはいる。けれど似ているというだけで、どこか違う気がする。映る部位も枚数も同じだし、どこがと言われれば明確にこうだとは言えないのだけれど。今回のが違うというよりも、一回目と二回目が酷似しすぎているだけかもしれない。
午後六時十分。そうこうしているうちに着いてしまった。そんな経緯で来てしまった現場は、わりと大きな一軒家だった。
住宅街の一角にあり、辺りは閑散としている。歩いている人もなく、とても静かだった。どの建物も新しく見える。確かこの辺りはここ近年で一気に建てられた区域だったはずだ。それぞれの家の外観は似ていて、窓から漏れる明かりは見えるけれど音漏れはない。意外とこういう住宅街は人気が少ないものだ。
訪れた家はこの辺りに建つ家の中でも大きく見える。たぶんだが、そこそこお金を持っている層なのではないだろうか。ちなみに私が住んでいる家はこの家より一回り小さく、こぢんまりしている。
家の前には今は警察の人が立っている。周りは高い塀に囲まれているし、入口の門にも鍵がついているし、防犯カメラもいくつかあるようだ。人通りはあまりないとはいえ、こんなに侵入しにくそうな家でよくあんな悲惨な殺人事件が起こったものだと思う。
既に藤原さんが話を通してくれていたからか、すんなりと中に通された。もしかしたら月宮くんは顔パス出来そうなくらいはこういった経験は豊富なのかもしれないけど、私はつまるところまったく無関係の一般人なのだけれど大丈夫なのだろうか。たいへん心配だ。
そんな私の心配をよそに、月宮くんは何も気にした様子はなくつかつかと迷いなく玄関から入って進んで行く。私も後に続いて入った。
外観のとおり、中も立派なものだった。広い玄関には物は少ないけれど一つ一つが値段が高そうで、とても綺麗に整頓されている。何というか、無駄がない。そのせいか、生活感がないようにも思える。
「大丈夫だとは思うけれど」
ふと、月宮くんが喋る。
「なに?」
「吐く時は違う部屋でね」
「吐きません!」
唐突に何かと思えば仮にも女である私に失礼ではないだろうか。この発言が私を心配してくれてのものならいいものの、にやにやしながら言われれば、このやろうとしか思わない。
「この奥の部屋だよ」
広く無機質な廊下。月宮くんが指差した部屋に近付くにつれて警察関係の人たちが増えていく。
同時に、鼻につんとしたにおいが届いた。嗅ぎ慣れない、少し錆びついたようなどことなく不快感を誘うにおいだ。思わず眉をひそめる。察しがついてしまった。出来れば理解したくなかったけれど。
その部屋に近付けば近付くほど、濃度が増していくみたいだ。どんどん息苦しくなる。空気が薄いわけでもないのにうまく呼吸が出来なくて、じわじわと苦しくなっていく。私の顔は今青ざめているのではないだろうか。
ちらりと月宮くんに視線を向けてみると、ここに来る前とまったく変わらない表情を浮かべていた。
「お疲れさまです」
問題の部屋に入り、月宮くんが現場を調べていた人たちに挨拶をした。私も後ろに続き、頭を下げる。それから室内に視線を移す。
そこに映ったものは、もう、赤でしかなかった。
月宮くんに言われた言葉がぐるぐると頭の中を巡り、胸焼けを起こしたかのように喉が燃えるように熱を持つ。油断をしたらすぐにでも吐いてしまいそうだった。
殺害と切断。そしてそれをコピーしてFAXする。聞いていた犯人がした行動のそのすべては、間違いなくここで、この部屋で行なったのだ。それがありありとわかる。わかってしまうほどの惨状だった。
部屋自体は、とても広かった。だというのに部屋中いたるところに血が散っていて、時間が経過している今は乾いてはいるものの、かなり生々しい。特にコピー機とその近くの床がもう足の踏み場もないほどで、殺人現場をこれまで見たことのない私でさえ、致死量であることがすぐにわかる。
けれど、何故だろう。どこか違和感がある。
血は乾いていてもにおいはひどく、胸や喉の奥のもやもやはおさまらない。全身が冷えていくのが自分でよくわかった。冷や汗で濡れた肌が気持ち悪くて、家に帰ってシャワーを浴びて着替えたい。
そんな汗でべとべとの私の手を、きゅっと誰かが握る。月宮くんだった。
「大体乾いてはいるけど、気を付けてね。現場保持だから」
声音はどこかやさしい。からかう様子も嫌味な様子も今はなく、穏やかな波のようだった。
うんわかった、とそれさえも私は言葉にならなかった。喉はからからに枯れたように苦しくて声が出ず、体も強張ったままだ。なんとか頷いて了承は示したけれど、だいぶぎこちなかったと思う。
こんなに汗まみれの手を繋がれることに若干の抵抗はあったはずなのに、離れがたくてありがたくて、私からも手を握り返す。
「歩ける?」
「大丈夫」
月宮くんは表情を変えない。手のひらも月宮くんが汗をかいている様子はまるでない。けれど月宮くんの手はあたたかくて、確かに生きている人間なのだと感じることが出来る。そのことにほっとした。
歩く場所に気を遣いながら、月宮くんに手を引かれてコピー機の近くに行く。FAXと兼用になっている、大きなサイズのものだ。私が働いている職場にあるものとよく似ている。一般家庭に置いてあるにしては、少し不釣り合いな気がした。個人宅で持っているのは珍しいのではないだろうか。もっとも、FAXなどを頻繁に使用する仕事を自宅でしているのならば別だろうけれど。
この部屋は恐らくだが、書斎ではないだろうか。確信が持てないのは、あまりにも物が少ないからだ。少し大きめの本棚はあるものの、机の上には何も置かれていなくて、広い部屋なのにすっきりしすぎている。だから余計に飛び散った血液がおどろおどろしく、落ち着かなくさせるのかもしれない。
コピー機は遠目で見た時よりも、強く気持ち悪さを感じざるを得ないようなひどい有様になっていた。
けれどこの胸にもやもやとつかえる違和感はなんなのだろうか。この家に入った時からずっとだ。
「……ねえ月宮くん」
「うん?」
「これは本当に、あのFAXを送った犯人がやったことなの?」
ほとんど無意識のうちに言葉を発していた。言葉となった声が自分の耳に入ってきて、やっと頭で理解したみたいな、不思議な感覚。けれどそれですうっと胸のつかえが軽くなった気がした。
「宮城さんは、どうしてそう思ったの?」
「えーと……うん……なんとなく」
問われてしまえばうまく説明など出来るはずもない。推理小説の探偵のようにきちんとした仮説や理論があるわけではなく、ただの感覚というか、勘だ。
月宮くんはくすりと微笑む。それから現場にいた人と少し話をしてから、私の手を引いて部屋の外へと出る。そして広い廊下をゆっくり歩いて、来た道を戻っていく。もうここには用はないということだろうか。私はあの光景はあまり見ていたくはないものだったし、大人しくついていく。
「一回目と二回目の殺人現場は、とても綺麗だったんだ」
「え……?」
凪いだ声で月宮くんが話す。綺麗、とはどういうことだろうか。
「部屋が荒らされた形跡はなく、もちろん血のあともなかった。ここで本当に殺人が行われたのかと思うほど、綺麗に片付けられていたんだよ」
車内で見た一回目と二回目の酷似したFAXがふと頭をよぎる。不思議とすんなり納得出来た。あのFAXを送る犯人なら有り得る、と。
本来ならきっと今見た三回目の現場こそが正しいものと言えるのだろう。どう考えても切断すれば血は飛び散るし、その現場を何事もなかったというくらいまで片付けることはしないだろう。証拠を隠滅する為にある程度は指紋や血痕を拭き取ることはするかもしれないけれど。
私の顔を見て大体何を考えているのか察したのだろう、月宮くんはどこか満足そうににっこりと笑った。
「まあ、普通はそんな面倒で危険なことはしないよね。滞在時間が長くなればなるほど、見つかるリスクは高くなる。そのリスクを背負ってまで綺麗に綺麗に片付けるってことは、犯人は相当な強いこだわりを持っているということがわかる。つまり、間違ってもさっき見たような状態で放置はしないということだ。これが、どういうことかわかる?」
家から外に出る前に、玄関で月宮くんは足を止める。
小さく首を傾げて、薄く微笑みながら問い掛けてきた。前髪の間から覗く真っ黒な瞳はまるですべてを見透かしているかのようで、その妖艶さにぞくりとする。
「……模倣犯」
ぽつりと、言葉に出る。
一回目二回目の犯人と、今回の三回目の犯人は違う。そう考えれば考えるほど、この奇妙なズレも自然なものになる。ただそれには一つ、重要な問題がある。
「でも、……でもね、月宮くん。この事件って、ニュースになっていないでしょう?」
「そうだね」
それなら誰が、どうやって模倣したというのだろう。私はつい嫌な想像がぐるぐると巡ってしまう。まさかこの事件を知っている警察関係の誰がが……とか。
「宮城さんの思考回路はわかりやすいなあ」
くすくすと月宮くんが笑みをこぼす。
「その考えは外れているから安心して。家に来て確信したよ。さてと、藤原のおじさんに報告して帰ろうか」
月宮くんの持つ、この謎の安心感は何なのだろうか。
繋いだままだった手は、もうすっかり同じ温度になっていた。
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