ランドスケープアゲート

怪人X

1 ある春の日の話

 今日の私はとにかくうきうきだった。

 二十五歳にもなって少々、いやだいぶ子供っぽい表現かもしれないけれど、まさにそれだったのだ。〝宮城さんは今日はずいぶんご機嫌だね〟などと課長に言われるほどだ。

 けれどそうなるのも仕方がない。何せずっと前からの夢がこれから実現するのだから。

 とにかく定時で。何が何でも定時で仕事を終わらせて早く帰る。この会社の定時は五時。そして現在時刻は午後二時十五分。今のところ仕事の進みは順調だ。

 そんな中、そのFAXは届いた。

 一枚目は、一面がほぼ真っ黒。悪戯か間違いか、たまにこういうものが届くことはある。

 続けて出てきた二枚目は、黒の中にうすらぼんやりと浮かぶ白が見えた。画質が悪く少し灰色がかってもいて、何が映っているのかはよくわからない。

 三枚目も、同じように画質が悪く黒ずんでいる。けれど二枚目よりは形がぼんやりとだが出ていて、わかった。わかってしまった。これは〝手〟だと。

 全部で六枚流れてきたそのFAXは、恐らくどれも人間の体だった。




 上司に報告すると、警察に連絡することになった。

 ただの悪戯なら良かったのだけれど、流れてきたFAXをよく見てみると、モノクロだからとてもわかりづらくはあるけれど映っている体が繋がっていないように見えるのだ。もちろん巧妙な悪戯ならその方がいいのだけれど。

 首から上。胴。足首から下……のように見えるものたち。本当にそうかはわからない。けれどもしもこれが本物の人間の体なのだとしたら、明らかに異常だった。

 そしてこの謎のFAXの第一発見者となってしまった私は、否応なくこの事件に関わることになってしまった。とてもじゃないが仕事が出来る状態ではない。

「ええと……このFAXを最初に発見したのがあなたかな?宮城……烈火さん?」

「はい、私です」

 右手を軽く挙げる。中年のおじさんがやたら可愛らしいハンカチで汗を拭いながら、私とFAXを交互に確認している。何かのゆるキャラのハンカチなのだろうか。

 警察の中でもたぶん中々のポジションにいる人のようなのだけれど、少しぽっちゃりしているし、何だか気弱そうだし、ハンカチは可愛いし、そんな風には見えない。けれど先に来ていた部下の人たちがせっせと色々な確認をしてはおじさんに報告しているし、仕事は結構出来て人望もあるタイプなのかなとぼんやり思う。

 あとおじさんの斜め後ろに何だかすごい美人がいる。

「申し遅れたけれど、私は藤原一郎。こちらは椿氷華くんね」

 ぺこりと頭を下げると、美人な椿さんも少し頭を下げる。すごい美人だ。しかも名前までクールビューティーすごい。黒髪は綺麗にまとめ髪にしてあって、所作も綺麗だし、モデル並みのプロポーションではなかろうか。何を食べてどう生活すればああなるのだろうか。百人いたら百人が美人だって見惚れてしまうレベルだと思う。

 そしておじさんは藤原さんというのか。雰囲気がほわほわしていて癒し系だなあ。

「このFAXの送り主の家を調べて部下に確認に行ってもらったんだけれどねえ、そこから遺体が見つかったんだよ」

「それってこのFAXの……ですか?」

 藤原さんは言いにくそうに咳払いをしてから、小さく頷いた。

 つまり私がFAXで見たものは、本物の人間の切断された体だったのだ。まさか本当にと疑う気持ちもあるし、フルカラーではなくてよかった、と思ってしまう。これは流石にトラウマになりかねないだろう。

 ちらりと時計を見ると、既に定時である午後五時を過ぎている。とてもじゃないがすぐに帰れそうにない。最悪だ。溜め息が出てしまう。人生で最も落ち込んだ瞬間だと言っても過言ではない。

 こんな風に、人は死んでしまうのか。

「報道には出てないんだけどねえ、実は似たような事件が続いていてね。迅速に犯人を捕まえなければいけない。そこで警察の者じゃあないんだけれど、こういった特殊な事件の専門家みたいな者がいるからね。彼にも捜査に協力してもらうから宮城さんもお願いね」

 藤原さん、さらっと一般人に言ってはよろしくないのではなかろうかということを言っていた気がする。バラバラ事件のニュースなんて、見たら忘れないだろう。見た記憶がないということはきっちり情報規制されているわけで。まあ確かに私も関わったといえばそうだけれど、FAX受け取っただけだし、何ならそれはもしかしたら私じゃない事務員が第一発見者になったかもしれないくらいのものなのだけれど。あっ斜め後ろにいる美人の視線が痛い。これ情報漏らしたらやられる!という勢いの眼力だ!

 椿さんの私に向ける無言の圧に藤原さんが気付く様子はなく、豊満なお腹をたぷたぷと揺らしながら協力してくれるらしい人を呼んでいた。たった今到着したらしく、藤原さんに手招きされて入口から真っ直ぐこちらに向かってくる。

「彼はね、月宮水蓮くん」

 藤原さんに呼ばれてこちらに来たのは、細身の男の子だった。成人しているのかも少しあやふやな感じのする、どこか中性的な感じ。

 長く伸びた前髪の下から涼しげな瞳が見える。ツヤのある黒髪なのに、切らずに放置して伸びてそのままです、というような少しぼさっとした感じがある。だというのに、どこか美しい雰囲気の不思議な印象だ。丈の長いパーカーを着ていて、下には緩めのジーンズをはいているその姿は、とても事件の捜査に関わるような格好には見えなかった。

 何というか、歩いて近所のコンビニに部屋着で来た男子高校生みたいだった。いや、少しボーイッシュな女子高生だろうか。

「ああ、藤原のおじさん。俺今日から……まあいいか」

 やんわりとした笑顔を静かに浮かべたまま、月宮水蓮と呼ばれた彼は私を見ると軽く頭を下げる。その名前の通り、水に浮かぶ花のような静けさと美しさだ。

「お互い、さっさと片して帰りましょうか、宮城さん」

 これは死人が出ている、れっきとした殺人事件だ。

 それなのに表情を崩すことなく、いとも簡単といった風に言いのける。それはどこか、異常に感じた。




 午後五時四十分。

 社内は警察関係者と上司と月宮くんと私だけになった。ここは殺人が行われた現場ではなく、FAXが届いた場所だ。社員の話もあらかた聞いたようだったし、上司と第一発見者の私がいれば十分だったのだろう。

 早く帰りたい気持ちは山々だけれど、駄目だろうか。駄目だろうな。放り出せないしなあ。

 上司は警察の人たちと話をしている。大体の状況の説明を終えてしまった私は、正直言って手持ち無沙汰だった。

 そういったこともあって、私は何となく月宮くんの隣に座っていた。まわりの人たちは年の離れている人たちが多かったし、忙しそうで近付きにくかったから。

 月宮くんは私が隣にいることは別段気にしていないようだった。警察の人たちがざっくりまとめた内容を読み、それらに一通り目を通したら今度は届いたFAXをじっと見ている。届いた順番に机に並べて、既に五分ほどは黙ってそれを見つめていた。そして暇な私はとにかくやることがないから、とりあえずそんな月宮くんとFAXを観察していた。

「平気なの?これ、死体だけど」

 ふいに水面に立った波紋のように、声を掛けられた。月宮くんは頬杖をつきながら、静かな眼差しでこちらを見る。

「まったく平気ってわけじゃないけど。さっき何回も見たし、モノクロでわかりにくいから」

 そう答えると、月宮くんの口許が三日月を型どる。いちいち妖艶だな。

「へえ。結構腹が据わっているんだね」

「月宮くんは平気なの?」

「まあ、別に」

 まるで日常会話をしているように呟かれる。それは平気ということなのか、どうでもいいということなのか。どちらにしろ、慣れてはいるのかもしれない。

 左から順番に並べられているFAXは、やはりどれも黒ずんでいてよく見えない。人間の体をFAXしようとしても厚みがあって上蓋を閉めることが出来ないから、きちんと読み込めないのだろう。だから体の輪郭はぼやけて白っぽく、見えにくくてはっきりしない。

「ねえ、この事件が何度か起きてるって本当?」

「本当だよ。同じように、切断された人間の体のFAXが事件現場近くの会社に送られてきた。送信元は被害者の自宅で、血まみれの姿で発見されているよ。それから面白いことにね」

 月宮くんは一旦言葉を区切り、ゆらりと笑う。そして六枚のFAXを丁度人間の体の、正しい位置になるように机に並べた。

「被害者の自宅には、このFAXのカラーコピー版が必ず置いてあるんだよ」

「それって」

「そう。血まみれ。フルカラーだからね」

 考えただけで気持ちが悪い。白黒でよくわからないから、まだ見れるのだ。

 月宮くんはそのカラーコピー版も、恐らくは現場も遺体も見ているのだろう。どうしてそう平然としていられるのだろうか。きっと悲惨な現場だろうに。

「一枚目は頭部。二枚目は首から肩と胸元にかけて。三枚目は手のひら。四枚目は腹部。五枚目は膝から上の足。六枚目は足首から下」

 FAXを指差しながら月宮くんが説明をする。これまでは映りが悪くてよくわからなかった部分も、言われるとぼんやりとそう見えてきてしまうから不思議だ。

「毎回同じ枚数、同じ位置……かな。犯人のこだわりってやつかな」

「それが事件解決の糸口になるの?」

「さあ」

 月宮くんは実にあっさりと、さらりと、それこそさあっと流れる水のようにとても自然に言い切った。

 でもわからない。それなら何故、月宮くんがここに呼ばれたのか。その私の疑問を解決するように、月宮くんはゆっくりと口を開く。

「俺がするのは事件の解決じゃない。殺人者の心を暴くことだよ」

「……心?」

「そう。こういう事件の殺人者にはそれぞれ美学……ルールといってもいい。そういうものがあることが多いんだ。もちろん、すべてがそうとは言えないけれど」

「月宮くんには、それが理解出来るというの?」

 月宮くんは、否定も肯定もしなかった。ただ微笑み、涼しげな瞳で私を見る。

 一歩引いたような視線だ。まるでお互いに住む世界が違うのだと、そう言って勝手に線を引いているような。私は、それが少々気に食わなかった。

 昔から男らしいとか、さばさばしているとか、そう言われ続けてきた性格だ。だから月宮くんのように最初から諦めているような、そういう態度は嫌なのだ。

 嫌いでも合わないでも、そう思ってしまう相手がいるのは仕方がないことかもしれない。けれど今会ったばかりで、何も知らないのにそうやって決めつけるのは違う。

「あのね、月宮くん。私とあなたは確かに今日知り合ったばかりの他人だけどね。それは良くないわよ」

 そして私は思ったことはわりとあっさり口に出してしまう方だ。腹の中に溜め込むことはどうにも苦手だから。

「月宮くんが何を諦めているのかは知らないけど、知らないんだから私がどうなるかなんて月宮くんだってわからないでしょう」

 短絡的な、理にかなっていない言い訳だ、と一蹴されてしまいそうな言い訳だなあと自分でも思う。言葉にまとめることは難しい。とはいえ、この感情任せな部分は直した方がいいだろうか。そこは反省しよう。

 若干の沈黙に肌がぴりぴりする。言ってしまったことは反省はするけれど取り返しはつかないので、月宮くんがあまり怒らない人だったらいいなあと、この何とも言えない空気に無言で耐えることしか私には出来ない。そして早く帰りたい。

「うん。じゃあ、試してみる?」

「え」

 肯定的な言葉は正直に言えばとても意外だった。驚いて月宮くんを見ると、小さく首を傾げてこちらを見ている。可愛い、そしてあざとい、だが可愛い。小動物を思わせる可愛さだった。

 なので、つい頷いてしまう。すると月宮くんはそれはもう綺麗に綺麗に、にっこりと笑ったのだった。はい、嫌な予感がひしひしとします。

 月宮くんはすっと立ち上がり、私の手を掴んだ。つられて私も立ち上がる。そして手を引かれるまま、ついていく。机上のFAXはそのままだけれど、いいのだろうか。

 連れて行かれた先は藤原さんのところだった。

「藤原のおじさん。ちょっと現場に行きたいです」

「現場!?」

 思わず声を張り上げてしまった。

 殺人現場。つまりは、FAXの送信元のところだろう。

 月宮くんは私を見て、先ほどと同じような綺麗な笑顔を浮かべた。

「逃げる?」

 気のせいではなく、確実に意地が悪い。笑顔はやたら無駄に綺麗で、それこそ清廉潔白な天使のようだった。それがまた性格の悪さを際立てているという。

 ここで引いたら女が廃る。乗りかかった船なら最後まで、毒を食らわば皿までだ。

「逃げません!」

「じゃあ、車出してもらうからね」

 藤原さんは私と月宮くんの静かな攻防に気付く様子はなく、二つ返事で了承してくれたのだった。

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