第9話

 事故現場は地獄だった。

 巨大な炎から噴き出される熱気と黒煙は五人の若者を寄せ付けまいと未だに居座り続けていた。その上、見渡す限り散乱しているねじ曲がった大きな構造材や金属の破片は、手分けをして御力水おちからみずと生存者を捜す彼らの捜索を阻みつづけた。

「おぉい! そっちはどうだ?!」

 搜索から四十分余り、時々起こる小爆発にかき消されながらもジンジツがドラ声を張り上げて仲間に成果を尋ねる。その左側では火勢を避けながら進むナナクサが首を横に振り、ミソカとはぐれたジョウシは、それよりも遥かに離れた所で船の竜骨の下や瓦礫の隙間を覗き込んでいる。

「タナバタとミソカは?!」

「わからない!」

 ジンジツの呼びかけに苛立ちを隠そうともせずにナナクサは、そう応じた。ミソカのサポートに付くと言っていたのに、ジョウシはいったい何をしていたんだろう。

 苛立つ心を押さえつけたナナクサは、更に歩を進め、船室と思われる比較的大きな残骸にたどり着いた。そしてその側面にできた大きな穴から恐る恐る身体を滑り込ませて中を見渡した。

 船室の中は大暴風が吹き荒れたような有様で、散乱する櫛や割れた食器、衣類などが、乗組員たちがいたという痕跡を辛うじて留めている。

 諦めて外に出たナナクサは、そこにいたジンジツにぶつかりそうになった。彼は焼け焦げた『政府』の制服を丸めて大事そうに抱えている。

 小首を傾けたナナクサの無言の問いかけに、「遺体だ」と短く応えたジンジツは踵を返すとジョウシのいた辺りに、遺体。いや制服の残骸に包まれた遺体の一部を抱えて進みはじめた。ナナクサは黙って後に付き従った。

 事故現場を時計回りに半分ほど進んだとき、大きな竜骨の残骸が、むせび泣きをはじめた。ナナクサもジンジツも初めて聞く、低く長々としたその悲しげな音に互いの顔を見合わせた。

「あぶない!!」

 その叫び声の主が真後ろにいることを認めた二人は、ようやく我にかえった。

「何をしておるのじゃ! 早う、そこを離れぬか!!」

「何だって?!」

「聞こえぬのか?! 早う!!」

 疾風のようにジョウシが二人に駆け寄ったのと同時に、竜骨のむせび泣きが、今度はもの凄い悲鳴に変わりはじめた。

「早う、離れるのじゃ!!」

 激しい振動が三人を襲った。氷に大きな裂け目ができ、足元が崩れた。彼らは必死に走った。ジョウシは自分よりも一回り大きい仲間たちを引っ張って先頭に立った。火事場の遥か後方まで逃れた三人が振り返ると、竜骨が大きく傾き、周りの構造材を道連れに轟音とともに氷の下へ飲み込まれる姿を目の当たりにした。事故の衝撃と火災の熱で海を覆った氷が溶け、脆くなっていたのだ。

 衝撃で氷が大きく揺れ、ナナクサとジンジツはバランスを崩して尻餅をついた。ジョウシはジンジツの広い胸をクッション代わり、上体を預けるように倒れ込んだ。

「ありがとうよ」ジンジツは、さっきまで巨大な竜骨がそびえ立っていたところを凝視したまま、胸の上のジョウシに礼を述べた。「お前がいなけりゃ、死んでたところだ」

「礼には及ばぬ」ジョウシは微かに表情を緩めると、何事もなかったかのようにジンジツから離れて視線を外した。「無事で何よりじゃ」

「しかし、あそこが崩れんのが、よくわかったな」

「二十歳にもならぬ、よちよち歩きの頃、村外れの湖の氷が割れて溺れそうになっての。その時と同じ氷の悲鳴が聞こえたのでな」

「そうか。やっぱり、お前は凄ぇな」

「柄にもないことを言うでない」

「あぁ、わかった。それにしても死ななくて良かったな、俺たち」

「そうじゃな」

「でも、あんなことは、もうなしだ。一緒に死んじまったら意味がない」

「心得た」

「だから、もし」ジンジツは自分の胸の高さくらいしかないジョウシに微笑みかけた。「こんなことが、またあったら」

「あったら……あったら、何じゃ?」

 目の前にいるジンジツの顔をジョウシは背伸びするように見詰め返した。

「声を掛けてもわからないだろうから、石でもぶつけて気づかせてくれ」

「手頃な石があらば、次はそうしよう」

「改めて礼を言うぜ、ジョウシ」

おのこは何度も礼など言うものではない」

 二人の間に心の化学反応が起こっているのをナナクサは敏感に感じ取った。しかし、それを楽しむ余裕など誰にも許されてはいない。

「ジョウシ」

「おっ……おぉ」ポーカーフェイスに戻ろうとしたジョウシがぎこちなく応じる「ナナクサか」

「探さなきゃ」

 生存者をというより、ミソカたちをという言葉を飲み込んだナナクサは、不安そうに今なお残る瓦礫の山を透かして火災の向こうに目を眇めた、さっきの崩落に巻き込まれてなければいいが。

「そうじゃな」ジョウシはそう呟くと、怪訝そうにジンジツの手元を指差した「それは何じゃ?」

「遺体だ」ジンジツは大事に抱えているボロボロの制服に目をやった。「一部だけどな」

「そうか。ミソカとタナバタのところにも、船乗りどもの遺体があった」

「ミソカたちのところ?!」

「そうじゃ」

「どこにいるの?!」

「だから心配するでない」ナナクサの気持ちをなだめるようにジョウシは言葉をつづけた。「ったぞ、あの燃ゆる瓦礫の山のずっと向こうにな」

 聞くが早いか、ナナクサはジンジツとジョウシを後目に 生存者の捜索もそっちのけで、ミソカの姿を求めて幾重にも重なる黒煙と炎の中を駆け抜けた。黒煙の網をかき分けるにしたがって、その向こう側のシルエットが見慣れた仲間の姿を型取りはじめた。

 ようやく見つけた幼馴染みの足元には人が横たわっていた。そして傍らにはひざまずいて、その人の手を取るタナバタ。しかし何かがおかしい。その違和感が何からくるのか、はぐれた仲間と合流したナナクサは、ようやく理解した。横たわっている人には胸部から下と右腕が肩口からごっそりと無かったのだ。

「僕が着いたときには、まだ息があったんだが」タナバタはそう言うと、顔を上げてナナクサに視線を転じた「御力水おちからみずは見つけたよ。この人が持っていた」

 真っ青な上級船員の制服を襟元まで寸分の隙なく着こなしたその遺体は、下半身と右腕がないだけに、まるで壊れて捨てられた人形のように滑稽に見えた。ただ人形と違うのは、爆発で千切り取られたであろう部分が凍りついた血で赤黒く染め上げられていることだった。

「苦しんだか?」

 ナナクサの後から合流したジンジツがタナバタに声をかけた。

「いや」タナバタは首を振ると雪原に置かれた御力水おちからみずの黒い収納容器を指差した。容器は墜落の衝撃でひしゃげ、分厚い蓋がほとんど取れかけていた。「最後まで乗組員仲間の安否を口にしていたがな。残念だ。御力水おちからみずもこれほどの重傷には効かなかったようだ」

「効かなかった?……2本も使ってるのにか?……」と、意外な結果にジンジツは驚いた。

「あぁ、効かなかった」

 ナナクサは十センチほどの太くて茶色いアンプルが2本とも空になって転がっているのを見て、目の前が真っ暗になった。

「まことに飲んだのかな……」

 予想もしないジョウシの言葉に、みな言葉を失い、互いの顔を見回した。彼女は膝をつき、ルルイエ文字で『御力水 緊急時以外の使用を厳禁 罰則は極刑のみ』と書かれた容器の文字から目を離し、船員の遺体を検分した。

「どういうことだ?」と、堪らずにタナバタが口を開いた。

「いや、ふとそう思っただけじゃ」ジョウシはタナバタに視線を移した。「されど、見事じゃな。これほどの傷を受けながらも、さすがは船乗り。御力水おちからみずで口元を汚してもおらぬとは。我れらもそのマナーだけでも見習わねばの」

「何が言いたいの?」と、ここにきて初めてミソカが口を開いた。相変わらず静かな物言いながら、その中には彼女には似合わない微かな刺を含ませている。

 うっすらと白み始めた空に立ち上る残骸からの黒煙が、皆の心に広がっていくような瞬間だった。そんな険悪な雰囲気を破ったのはジンジツだった。

「俺の曾々婆さんが駆け出しの見習い下級船員だったころのことだ」彼は壊れた容器から残った一本のアンプルを取り出すと、中身を透かし見ようとするかのように遠くの炎の明かりにそれをかざした。皆の視線が、それに注がれた。「荷役作業中の事故で半身を潰された仲間がいたそうだ」

「昔話か?……」と、タナバタ。

「まぁ、そんなところだ」

「今、こんな時に?」と、ミソカが彼女らしくない仕草で両腕を胸の前で組んだ。

「そうだ」

「で、その人はどうなったんだ?」

 ウンザリしたように先を促すタナバタの傍らを抜けてジンジツは言葉を継いだ。

「船長が収納容器を開け、御力水おちからみずの1本が取り出され、中身の半分が怪我人の口に含ませられ、残りが一番ひどい傷口に直接すり込まれたんだと」

 ジンジツとタナバタの視線が交錯した。

「助かったと言いたいわけか」

「当たりだ」

「単なる作り話だな。薬師くすしの目から見てもナンセンス極まりない」と、今度は嘲るようにタナバタが、その端正な顔を歪める

「そうかもしれん。だが、俺はこいつの力を信じるぜ。いや信じるしかなかろう」そう言うとジンジツは、皆の顔を見回すとナナクサに視線を留め、アンプルを差し出した。「だから、お前も揺らぐんじゃねぇ。タンゴが助かることだけを信じろ。空いちまった御力水おちからみずがどうなっちまったかなんてどうだっていい。そうだろ?」

 それぞれに頷く仲間の中にあって、それでも不安を隠しきれないナナクサにジンジツが何とも凄そうな笑顔を向けた。

「助かった船員は、やがて曾々婆さんと婚儀を交わし、その後、二百七年間添い遂げた。我が家じゃ、今でも語り草だ。こいつはどうだい」


               *

 一行は事故現場で遂に危険な朝を迎えることになった。もちろんタンゴとチョウヨウが待つ崖下まで急いで戻らねばならないが、一族の掟として死者を葬らずに出発することも、またできなかったからだ。

 彼らは手早く船員の葬儀を執り行うことにして、皆その準備に入った。夜明けに追いまくられなければ準備自体は簡単で質素なものだ。これはどの村、どの場所でも行われる一族共通のもので、遺体を太陽が昇ってくる所に安置して荼毘だびに付す。ただそれだけなのだ。


               *

 夜明け前に準備を終えた五人は、それぞれに分厚く大きめの船体外郭を頭の上に掲げ持ち、体中を覆った遮光マントの中で、その時が来るのを待った。彼らから少し離れたところには、五人に集められ、整然と並べられた船員たちの遺体がある。

 遺体は斜めから雪原に差し込みはじめた太陽光にさらされた途端、青白い炎を吹き上げて次々と灰に還っていった。その荼毘だびの様子は遮光ゴーグルを通してさえ目を細めなければ、眩さに目を傷めそうなほどだった。

 五人は頭上の外郭を片手で支え、右手を軽く左胸に添え、頭を垂れると一族のハンドシグナルで敬意と弔意を死者たちに伝えた。

 一握りの灰となった船員たちは世界中を吹き渡り、そしてしかるべき土地で、しかるべき時期に、始祖様の加護によって、また新たに一族としての生を受けることだろう。

 短いながらも厳かに葬送の儀は終わった。

 いや、終わるはずだった。しかし荼毘だびに付されながらも、終わりを告げなかった遺体が一体あったのだ。遮光マントで顔が覆われていなければ、一様に息をのむ音がそれぞれの耳に届いたことだろう。

 ジンジツが裂けた船員服に包んで回収していた千切れた腕だけが少しの炎も上げず、燦々と照りつける太陽の下で甲に刻まれた十字架模様とともにその身を未だ雪の上に横たえたままだったのだ。

「何の冗談だ、こりゃ?……」

 ジンジツの言葉は異口同音に、その場の葬列者たち共通の意見だった。

 一向に変化を見せないその腕に先ず近づいたのはジョウシだった。しかしさすがの彼女も、その腕を見下ろしはするが、気味が悪いのか、決して手に取って検分しようとはしなかった。意を決して、直接それに触れて調べたのはタナバタだった。彼は、恐る恐る手に取ったそれの重さを確かめ、次に顔を近づけて薬師くすしの目で詳細に調べ始めた。

「僕らと同じ人の手だ」とタナバタ。「作り物じゃない。太陽の光をまともに浴びても灰にならないなんて……」

 ナナクサもその事実を認め、タナバタの傍らにひざまずくと不可解な腕を凝視した。

「と言うことは、どういうことだ?」とジンジツのイライラとした声。

「僕にはわからないよ……」と、タナバタ。

「お前、薬師くすしだろ?!」

「タナバタに当たっても仕方なかろう、ジンジツ」ジョウシがやっと口を開いた。「事実を事実として受け止めるのみじゃ」

「じゃぁ、あなたも、そう思うのね。これがアレだって」と、ミソカが離れた場所から誰もが口にしない、その単語を促すように問いかけた。

「今の今まで子供を怖がらせる他愛もない伝説と思っておったが……」と、不安を隠せない声でジョウシが言葉を濁す。

いにしえからのかたき……怪物……」

 ミソカがそうつぶやくと、五人は幼い時に大人たちから聞かされた昔話をそれぞれに思い出して身震いした。

 古代に行われたという“ガプラー・シンの大戦おおいくさ”。

 いにしえからのかたきに壊滅寸前にまで追い詰められていた一族は、始祖様の加護でこの大戦おおいくさに勝利を治め、辛うじていにしえからのかたき―― 怪物ども――を一掃したと伝えられている。

 その後、この大戦おおいくさの記憶は、風化してゆくのと反比例して数々の英雄譚や子供たちが眠る前の夜明け方に親から聞かされる怪物話に変容していった。

 曰く、遥か彼方の土地には、この怪物の生き残りがおり、奴らに狙われた者は決して助からないと。

 また、奴らは太陽が輝く昼に活動し、眠っている一族の人間を串刺しにしたり、太陽の下に引っ張り出して喰らうこともあると。

 そして事故死が確認されず、行方不明になったデイ・ウォーク参加者の中には、不幸にも奴らと出会い、その餌食になった者もいるらしいと。

「でも、これは紛れもなく、私たちと同じ人の手よ」

「あぁ」と、タナバタがナナクサに頷く。「確かにそうだ。もしかしたら、この敵は……」

「我れら人の姿を借りるのやもしれん……」

 後を引き取ったジョウシの不吉な推測に誰も言葉がなかった。もしそうなら、奴らは仲間のように一族の人間に溶け込むことだってできるかもしれない……。

「もしそうなら、報告しなきゃいけないな」

「報告?」と、ジンジツがタナバタに顔を向けた。

「ここには僕たち人間のモノとは明らかに違う腕がある。そしてそれが政府チャーチの船の残骸から発見された。政府チャーチの中に怪物が紛れ込んでいるかもしれない」

政府チャーチと言うても、その在所すら知らぬぞ、我らは」ジョウシは、そう言うとジンジツに視線を向けた。「そなたは家の者から聞いてはおらぬか、曾々婆さまと曾々爺さまは政府チャーチの船乗りであったのじゃろ、ジンジツ?」

政府チャーチの場所は最高の秘め事だ。船員は家族であっても漏らすことは一切ない。もし漏らせば家族ともども太陽の下で火あぶりだ」

「でも」と沈着冷静なタナバタにしては珍しく食い下がった。「この事実は伝えないと。僕たちだけの問題じゃないよ」

「じゃが、政府チャーチの在所が皆目わからぬのだ。致し方あるまい」

 終わりそうにない議論に業を煮やしたナナクサがついに立ち上がった。抑えてはいるものの声にはイライラとした気持ちが滲み出ている。

「ねぇ。いま話していることの重大性はわかってるわ。でもタンゴのことも思い出して」

「でも、ナナクサ……いや、すまなかった。君の言うとおりだな。許してくれ」

「うむ。我れも大切なことを失念しておった。許せ」と、タナバタに続いてジョウシも目を伏せた。「ここに怪物の腕があったとて、奴らが政府チャーチの手練れ揃いの船員が乗る船を沈め得たとは限らぬしな。軽々に答えを出すものでもなかろう」

 皆、ジョウシの言葉の前半は真摯なものだと感じたが、後半は彼女がそうあってほしいとの願望が口を突いて出たものだということを暗黙のうちに了解した。

「そうだな。だが奴らは実際にいる」と、ジンジツはジョウシを見やり、そして皆の顔を見渡した。「この先、奴らに出会うことがあるかもしれん。いや、必ず出会うと思っておこう」

「出会ったら如何いかがする?」

「その時は、こうするさ」

 ジョウシにそう答えると、ジンジツはその腕をタナバタから取りあげ、そして未だにくすぶり続ける残骸まで持って行って炎の中に力一杯投げ入れた。

「そうね」と、ミソカがジンジツの後を継いで彼女らしくない予測を口にした。「闘うしかないかもね。少なくとも奴らも傷付くことだけは確かだわ」

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