第8話

「誰が悪いのでもない」

 月並みなジョウシの言葉に、タンゴの横にひざまずいて彼の手を握るミソカが言葉もなく顔を上げた。ピンク色の涙に染まったその視線はジョウシに注がれているはずなのに、なぜかジョウシの後ろに佇む自分が注視され、責められているかのように感じて、ナナクサは目を伏せてその見えない視線から逃れた。

 ミソカは次々と仲間たちの顔に懇願の視線を投げ掛けた。だが誰も動かなかった。いや、動かなかったというより、何もできることがなくて動けなかったのだ。

 助けを求めるようなミソカの視線を受けとめたジョウシは、遂に踵を返し、うなだれているナナクサの肘をつかんで一緒にその場から離れた。皆に声が届かないところまで離れるとジョウシはナナクサの手の中に銀の食器ナイフをそっと滑り込ませた。その冷たい重みが意味するものに、ナナクサの手はぶるぶると震えだした。

「このままではタンゴは苦しみ続けるぞよ」

 その声には思いやりが滲んではいたが、ナナクサの心は反発していた。だが反発しながらも「私には出来ない」という言葉だけは何とか飲み込んだ。もし声に出してしまったら、本当にできなくなると確信していたからだ。だから、ただ一言、消え入るように「わかってるわ……」とだけ応えた。

 でも決心したからといって簡単に行動に移せるわけはない。タンゴは同じ村で生まれ、子供の頃から百年近くも兄弟姉妹のように一緒に成長してきた幼馴染みなのだ。しかし薬師くすしの見習いとして、タンゴの状態を診て彼の命が一日どころか半日すらも保たないという事実も痛いほど理解ができていた。

 幼馴染みの自分が楽にしてやるしかない。

 ナナクサが銀のナイフを握り直し、地面から目を引きはがすと、目の前にチョウヨウが立っていた。チョウヨウと目が合った。しかし彼女にすがるわけにはいかない。ナナクサは何も言わず、再び幼馴染の命を奪う道具に目を落とし、そして決然と顔を上げた。だが、次の瞬間、銀のナイフはナナクサの手から消え、少し離れた氷の上に深々と突き立った。チョウヨウが叩き落としたのだ。

「諦めるな、ナナクサ」

 搾り出すようなチョウヨウの声だった。

「でも……でもね………」

「事故現場に御力水おちからみずがあるかもしれない。あたいが探してくる」

 そう言うとチョウヨウはナナクサの両肩をつかみ、その漆黒の瞳を凝視した。

 彼女が言う御力水おちからみず飛行船サブマリンには必ず装備されているといわれている、村では絶対に手に入らない強力な万能治療薬だ。だが……。

「あの事故だもの、あったとしても、もう……」

「そんなことはない!」

 ナナクサは自分を強く揺するチョウヨウの両手をもぎ離すと吐き捨てるように言い放った。

「たとえあっても、収納容器からどうやって出すの?!……出し方だって船員じゃないからわからない。それに……それに、あっても助からないかもしれない」

「弱気になるな! 頼むから弱気にならないでくれ、ナナクサ」

「でも……」

「お前は、瞳の中に星を飼う者だ。すべてを手にする者だ。そうだろ!」

 チョウヨウが骨も砕けるほどの力強さでナナクサの両肩を握った。ナナクサはチョウヨウの目が潤んでいることに初めて気がついた。しかし彼女の目は潤みながらもナナクサをきっと凝視し、万が一の可能性を信じて疑わない力を彼女に投げかけていた。その目を見てナナクサは限りなく消極的に後ろ向きに進もうとしていたことに初めて気がついた。

 ナナクサの心に小さな火が灯った。決意の灯火だった。

 今やるべきことは、タンゴを楽にしてやることじゃない。どんなことをしてでも助けてやることだ、ほんの少しでも希望があるのなら、可能性に賭けてみることだ。

「わかった」

 ナナクサは自身が驚くくらい大きな声でそう応じると、チョウヨウの両手が離れた。ナナクサは仲間に呼びかけた。いや呼びかけたというより自分を鼓舞し続けるために宣言したという方が、この際は正しいかもしれない。

「私、今から事故現場に行く! 船に積まれた御力水おちからみずを探しに。破損したり、無くなってなければ、タンゴにもチャンスがあるかもしれない。いえ、きっとあるはず!」

 皆なにも言わなかった。ナナクサは続けた。

「だから私は行く」

 吹きすさぶ風にナナクサの薄墨色の髪が逆巻いた。

「わかった」タナバタがようやく口を開いた。「じゃぁ、ぼくがタンゴに付いていよう」

「いえ。御力水おちからみずを探す薬師くすしの目は多い方がいい」ナナクサは視線を転じた。「チョウヨウ。あなたはタンゴに付いていてあげて、お願い」

 怒って、行くと言い張るかと思ったが、チョウヨウはあっさりと頷いた。その代わりにミソカが一緒に行くと言い出した。決して足手まといにならないと言うミソカの幼馴染みを思う決心は揺るぎそうになかった。ジョウシも名乗り出た。ここにいても何も出来ないという理由だったが、ミソカに助けが必要になったらというのが本音で申し出てくれたのだろう。ミソカも薄々それと気付いていたようだが、特段に気分を害する様子はなかった。もっとも気分を害そうがそうでなかろうが、今のミソカは一度決めたら決して後へは引かなかったろう。

 人選は終わった。

「じゃぁ、行ってくるぜ」

 ジンジツを先頭に彼の合図で仲間は氷の上に溜まった粉雪を蹴立てながら、所々、氷が裂けて海水の浅い水溜りができた周辺を避けつつ、懸命に駆け続けた。彼らは事故現場までの長い道のりを、ひたすら駆け抜けた。

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