第4話

 昨夜は七人の仲間のそれぞれが時間を忘れるほど楽しくおしゃべりに興じた。時間を忘れるということはナナクサたちにとっては死と隣り合わせの危険を意味する。すんでのところで助かったのは、先着の五人が二日間にわたってここで過ごしていたからだ。彼らは到着と同時に岩塊の下の雪をかき分け、凍てついた土を掘り進んで、そこそこ快適な棺桶穴シェルターを造り上げていたからだ。

 真っ白に凍った遥か東の大海に太陽の光が突き刺さるころ、五人で快適だった棺桶穴シェルターは狭い空間に変貌し、そこに潜りこんだ七人は自分たちが小さな鞄の中に押し込められた小物や手帳のように感じた。

 口から出る息はまだ少しは白いものの、棺桶穴シェルターの中は仲間の体温でむせ返るほど暑かった。その中でナナクサは眠ることも満足に寝返りをうつこともできず悶々としていた。それでも軽い寝息を立てている仲間がいるのには羨ましさとともに微かな苛立ちもおぼえた。

 とにかく眠ろうと壁の方を向いていると、ナナクサは背中にふと視線を感じた。そして視線を感じた方に何とか寝返りをうつと暗闇に目を凝らした。てっきり親友のミソカだと思った視線の主は以外にもチョウヨウだった。ミソカは二人の間でピクリともせずに眠り続けている。

「暑いな」

「そうだね」

 秘密の会話を楽しむにしては、まだよそよそしい。ヒソヒソ声にヒソヒソ声で応じる向かい合った二人の顔の間にはミソカの頭頂部が見える。

「何度くらいあるんだろ?」

「さぁ、でもきっと氷点下は少し超えてるよ」

「うへぇ。太陽に焼かれなくてもここで蒸し焼きになっちゃうな」

 暗闇の中で声を押し殺して笑うチョウヨウの大きな桃色の瞳が三日月形になって光っている。同じ女から見ても魅力的だ。

「お前の目、綺麗だな。闇の中で星がいくつも輝いてるようだ」

 相手の目が綺麗だと思った途端、その相手から同じ所を褒められたナナクサは内心ドギマギした。

「婆ちゃんが言ってた。『“瞳の中に星を飼う者”はすべてを手にする』って」その目が真剣さを帯びた「だから……」

 一瞬、チョウヨウの言葉が途切れた。

「だから、なに?」

「気をつけるんだぞ」

「えっ、どういうこと?」

 それには応えず、チョウヨウは仰向けになって何もない棺桶穴シェルターの天井を見詰めた。

「すまん。何でもない。無理せず、お互いに気を付けようということだ」

「一度口にしかけて言わないなんて無しだよ。仲間でしょ?」

 ナナクサは、そう口に出してから後悔した。話をし始めたからといって、まだ心底仲良くなったわけではない。それに言わないにはそれなりの理由もあるはずだ。もし言う機会があれば、また聞くこともあるだろう。

「ごめん、ちょっと図々しすぎたわ」

 楽しい会話は終わりだというようにナナクサはチョウヨウの横顔そう語りかけた。そして自分の迂闊さからでた好奇心を責めた。こんなことで仲間としての関係の発展がストップするのは馬鹿げている。

 だが会話は終わらなかった。

「いや。あたいが言い出したんだ」チョウヨウは天井を見詰めながら口を開いた。「姉ちゃんもお前と同じ瞳をしていた。綺麗で、やさしくて、あたいの憧れだったんだ」

 ナナクサは話の帰着点がどうなるか薄々ではあるが予想がついた。私たちが過去形で家族を語るときに、よくありがちな嫌な予想だった。

「でも、デイ・ウォークで死んだ。六十年も前の話だ」

「そう……」

 実際、こう言う以外に何が言えただろう。ナナクサは過去に想いを馳せるチョウヨウの横顔を見つめると同時に再び自分の好奇心を責めた。

「姉ちゃんは石工おおたくみの家の子なのに、史書師かたりべになりたいって、石工おおたくみの修行そっちのけで、おさの子を追っかけ回しては、古代の本を見せてもらったり、隠居した長老おばば様のとこに話しを聞きにばっか行ってた。そうそう、どこで聞きかじってきたのか、薬師くすしみたいに球根の話もしてくれたよ」

「球根……苔じゃなくて?」

「うん。岩肌じゃなく、土の中に出来る、あの丸っこいやつ」

「へえ。それじゃぁ、薬師くすし見習いの私より、あなたの姉さんの方が薬草には詳しかったかもしれないわね」

 凍てついた世界では形のある植物はほんの一握りの土地でしか採取できない。それに採れたとしても、量が非常に少なく、薬にするにしても多大な困難を伴った。そんな小さく細々したものだけを相手にする薬師くすしの仕事に、土の上の大きな岩や石を相手にする石工おおたくみの子が興味を持つなんて。

「でも、あたいは、史書師かたりべ薬師くすしなんかに全然、興味なくてさ。『ちゃんと石工おおたくみの勉強もしなきゃ、デイ・ウォークの前に村を追ん出されちゃうぞ』って、姉ちゃんに」

「で、お姉さんは?」

「『私は欲張りなんだ』って、笑ってたよ。本当にすべてを手に入れようとしてたみたいだった……」

 今は薬師くすしの仕事に責任と魅力を感じてはいるものの、そういえばナナクサも幼い頃にミソカの親のように方違かたたがえ師になりたいと言っておさ御老女おばば様を困らせ、父母を嘆かせたことがあった。どうやら似ているのは瞳の有り様だけではなかったらしい。ナナクサはチョウヨウの姉に少なからず親近感を覚えずにいられなかった。

「変わり者だったんだね、お姉さん」

 怒るかなと思ったが、チョウヨウは微かに笑い声を上げた。

「そう。変わり者だったよ」

 私たち一族の仕事は代々世襲が常だ。それ以外の仕事に成人近くまで興味を持ち続ける者は極めて少ない。もし、そんな者がいれば村の中でも孤立するはずだ。チョウヨウの姉もきっと孤立していたに違いない。もちろん、そんな姉を持つチョウヨウ自身も……。

「ありがとうチョウヨウ。私、気をつけるわ。あなたの姉さんの……」

「ボウシュだ。姉の名は」

「ボウシュのためにも」

「しっかり、そうしてくれ。好奇心旺盛な、瞳に星を飼う者よ」

 明日の日暮れから本格的に始まるデイ・ウォークのことを考えると憂鬱になる。しかし心を開いて語り合える友人を、村を越えて得ることができるのも、この成人の儀式ならではのことなのだろう。ただしチョウヨウの姉。ボウシュのように死なずに済めばだが……。

「なぁ、ナナクサ?」

「なに?」

「あんた、このパーティの男どもをどう思う?」

「えっ、男ども?」

「そう」

「タンゴとか、タナバタとか?……」

「うん。もちろんジンジツなんて問題外なのは、わかってるよ。あいつは村一番のバカタレだからな。で、どう思う?」

「『どう思う?』って、そんな……」

 からかっているのか真剣なのか、はたまた彼女の性格なのかはわからなかった。

 男の品定めなど、姉が亡くなった話の後で出る話題ではないだろう。でも、とにかく会話は続いた。ナナクサはチョウヨウの質問を、何とか掘り下げてみた。

「『どう思う』って…、好きとか嫌いとか?」

「うん」

「『うん』って……そんなこと急に言われても……」

 ナナクサが、そう言って沈黙したことで、今度はチョウヨウがナナクサの考えを察して慌てて言い足した。

「違うぞ。何考えてんだ? 婚儀の相手とか、そんなんじゃなく、デイ・ウォークの仲間としてだぞ」

「何だ、そうか。初めからそう言ってよ」

 二人は笑った。皆を起こさないように声を殺して笑ったつもりだった。だが別の声が割って入った。

「タンゴは同じ村の出身で、良い奴だよ」

 ナナクサとチョウヨウの顎の辺りからミソカの細っそりと優しい声が響いた。その声にナナクサは目を見張り、チョウヨウは口をつぐんだ。

「起きてたの?」

「『起きてたの?』じゃなくて、起きちゃったのよ」

 ナナクサの視線の先にチョウヨウの不安そうな目が光っている。新たな友人に対する配慮から、ナナクサは「わたしたちの話を始めから聞いてた? チョウヨウの姉さんの話も?」とは聞かず、「いつから?」と親友に声をかけた。

「男の子の品定めの時からよ。私だってもうすぐ百才。男の子にだって興味くらいあるわ」ミソカは暗闇の中で、チョウヨウに顔を向けた。「で、あなたは誰が好き? タナバタ? それともタンゴ?」

 気の強いチョウヨウが思わずたじろいだ。

「な、何を言ってる?! だからさっきも違うって言ってたろ。それにタンゴもタナバタも会ったばかりだろ!」

 思わず声を荒げたチョウヨウにミソカは屈託のない笑いを投げかけた。気が優しいくせに、時々思いもよらないことを言うところがミソカらしかった。天井にミソカの声が小さく響く。

「タナバタやジンジツのことはまだわからないけど、私たちはタンゴが好きだよ。もちろん男としてじゃなく、村の仲間としてだけど。ねっ、ナナクサ」

「そうだね。でも頼りになるかな、あの大食いが」

「大食い?」とチョウヨウが訝った。

「そう、すごく大食いだよ。びっくりするよ」

 二人の間でミソカは窮屈そうに伸びをした。

「大食い?……信じられないな」

 会話に引き込まれたチョウヨウは狭い中を、さらに身をよじってミソカの方を向いた。他人の警戒心を苦もなく解いてしまうミソカの人徳、いや彼女が醸し出す雰囲気の賜物か。

「だって見たでしょ。棺桶穴シェルターに入る前の食事」

「見たけど、みんな急いでたからなぁ。そんな変わったことがあったかな?……」

「思い出してごらんよ」

 ミソカの言葉に考え込むチョウヨウが、ナナクサには面白かった。

 食事ともなると、仲間のそれぞれが自分の食事容器を取り出す。金属で出来たそれは代々その家で受け継がれたもので、大きさはみな30センチほどの円筒形で蓋がついている。違うのは、その見た目で、傷だらけで緑一色の表面に所々から地肌が露出しているもの、それとは反対に磨き上げられ、元が何色だったかわからなくなっているもの、絵画のように派手な絵柄が付いたもの、そして蓋まで凹んでガラクタにしか見えないものなど、七人七様に、それらは個性的な品々だった。

 食事の前、それら食事容器にはあらかじめ雪が詰められ、外気温から遮断された中身は使うころには程よい冷水になるようになっている。そこに我々一族の命の糧である数個の黄色い錠剤タブレットを投入する。小指の先ほどのそれは容器の中で水に混じるとすぐに極上で唯一の食べ物――精進水しょうじんすい――に変わる。難を言えば、この食料が政府チャーチの執行機関である神等カーミラからの支給制で、村ではいつも絶対量が不足しているということだ。だから、どの村落でも満足に食事が足りている者など一人もいない。そんな中で大食いの人間が存在するなど信じられないとチョウヨウが訝るのも無理のない話だ。

「あいつ、頼まれもしないのに後片付けはしっかりやってたでしょ」とナナクサは助け舟を出した。「みんなの分まで」

「うん。次の食事用にみんなの食器に雪を詰めてたな。でも、それって大食いじゃなくて、気が利く感心な奴ってことじゃん」

 クスクスと笑うミソカに、チョウヨウは少しムっとした視線を向ける。それに対してミソカは種明かしをするように一つ一つの事実をなぞっていく。

「みんなが棺桶穴シェルターに籠りはじめても、タンゴは食器に雪を詰めてたでしょ」

「うん」とチョウヨウ。

「食器に雪を詰めるのって、そんなに時間がかかる?」

「そういえば、せかせかしてる割には時間がかかってたな」

「七人分だとしても時間がかかりすぎよね」

「だから?」まだ合点がいかない様子のチョウヨウがイライラと先を促した。

「始めに少しの雪を入れて食器の中に付いた食料をシャカシャカ洗い流すの」とミソカ。「そして、それを……」とナナクサ。

「あっ! 全部、飲んじゃうのか!」チョウヨウが小さく叫び声をあげた。「だから、あいつだけ口元がいつまでも汚れてたのか」

「そうそう」

 笑いをかみ殺しながら応じるミソカの横でナナクサも笑い出しそうになるのを必死に堪えた。そんな二人にチョウヨウが真面目な口調で反論を試みた。

「でも、それってな」

「なに?」と今度はミソカがいぶかる。

「別に大食いってわけじゃないぞ」

「えっ?」今度はナナクサもミソカと声をそろえた。

「それって、大食いじゃなく、ただ食べ物に意地汚いってだけなんじゃないのか?」

 ナナクサとミソカの笑い声が遂に爆発した。引き金を引いたチョウヨウも、やがて釣られて笑い出した。その声に何事かと目を覚ましはじめた仲間たちが不機嫌そうにもぞもぞ動き出す。その時、狭い棺桶穴にジンジツのどら声が響いた。

「おい!」寝転がったまま低い天井に人差し指を突き立てている。「早く来いよ、お前。遅れるぞ!」

 一瞬後、ジンジツの大きな寝言に仲間たちは腹を抱えて笑い転げた。そしてその笑いの渦は日暮れ前まで延々と続いた。

 だが皆で何も考えず心ゆくまで楽しく笑ったのは、この日が最初で最後だった。

 七週間後、デイ・ウォークの一人目の犠牲者が出た。

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