第85話 式神ヒルコ

 男は、僕たちに見られている事に気が付いたが、慌てる様子もなく不敵な笑みを浮かべた。


 その足下では、警備員たちが倒れている。


 気絶しているようだ。


「気付くのが遅かったようだな。一応、紹介しておこう」


 男は、スライム状式神を指さした。


「こいつの名はヒルコ。俺の式神だ。そして俺も、通称ヒルコと呼ばれている。もちろん本名ではないが」


 ヒルコ?


「もう、お分かりだと思うが昨夜俺たちが捕まったのは、ここへ連れて来てもらうためさ」


 なるほど。間抜けな侵入者として捕まって縛られていれば、誰もそんな奴を警戒しない。


 警戒されないまま、権堂氏のすぐそばに近寄れる。


 そして、頃合いを見て、ヒョーの送り込んできたネズミ式神がロープを噛み切ってこの男を解放したというわけか。


「そういうわけだ。さっそく死んでもらうぜ。権堂さん」


 式神ヒルコが権堂氏の座っている安楽椅子の方向へ、流体となって流れていく。


 樒が咄嗟とっさに九字を切るが、ヒルコの身体が少しへこんだだけの効果しかない。


「無駄! 無駄! 無駄! ヒルコに、九字は利かないぜ」


 ミクちゃんの方を見ると、懐から式神の憑代を取り出したところだった。


 ダメだ! アクロを召還する前に、権堂氏がヒルコに飲み込まれる。


 結界で守れるだろうか?


「うわわ!」


 慌てて逃げようとする権堂氏を、樒は押さえつけた。


「ここから、動かないでください」

「しかし、化け物が……」

「大丈夫。私を信じて」


 樒の言うとおりだった。


 バチ! バチ! バチ!


 権堂氏に触れる寸前、ヒルコと権堂氏の間で火花が散った。


 ヒルコは、そのまま壁際まで後退する。


「なんだあ!? このクソ堅い結界は!」


 急拵きゅうごしらえの結界だけど、意外と頑丈だったな。


「無駄ですよ。ヒルコさん」


 そう言ったのは芙蓉さん。


「あなたの名前は聞いた事があります。今回はヒョーと組んでいたようですね。ですが、ヒョーならともかく、あなた程度の式神では、この結界は破れませんよ」

「くそ!」


 ミクちゃんがアクロを召還したのはその時だった。


 アクロがヒルコに殴りかかる。


 だが……


 ズボ! ズボ!


 アクロのパンチは、ヒルコの柔らかい身体にめり込むだけで効果がない。


「無駄だ! ヒルコに、打撃系の攻撃は利かんぜ」


 豆腐とうふかすがいぬかくぎとはこのことだな。


 ヒルコには、アクロのギカトンパンチも通じないのか。


 スライムに利く攻撃って言うと、火炎とか電撃とか……ダメだ! 火事になる。


 液体窒素。


 どこにそんな物がある。


 この前読んだネット小説では、主人公がスライムと戦うのに、何か身近な物を使っていたような……


「朝食をお持ちしました」


 扉が開き、使用人が朝食を乗せたワゴンを押して入ってきた。


 こんな時に……ん? これは使えるかも……


 僕はワゴンの方へ飛びつき、食塩の入ったびんを掴んだ。


「これもらいます」

「え? はい、どうぞ」


 呆気に取られている使用人をよそに、僕は瓶のふたを外し、中の塩を掌の上にあけた。


 その塩をヒルコに向かって投げつける。


「ぴきききー!」


 悲鳴を上げて、ヒルコは後退した。


 やっぱり! こいつは塩に弱い。


「クソ! このガキ。もうヒルコの弱点に気が付いたか」

「ミクちゃん今だ! 術者本人を」

「はい」


 アクロが術者の男に殴りかかるが、その寸前にヒルコが壁となってパンチを防ぐ。


 そのヒルコの壁に残りの塩を投げつけた。


 壁に穴が開いたが、術者はすでに式神ヒルコの裏側に逃げ込んでいた。


 術者は、ヒルコの向こうから僕に声をかける。


「ぼうや。何かを忘れていないか」


 え? 何を? そういえば、さっきから何か大切な事を見落としているような気が……


 ええい! かまうものか!


 ワゴンの上にあったもう一つの塩の瓶を掴み、塩を投げつけようとしたその時……


 突然、塩を握った手を誰かに掴まれた。


 誰が?


 振り向くとそこにいたのは……


「捕まえた」


 しまった! もう一人、女がいたのを忘れていた。


 関取のように太った女は、塩を握っている僕の手をがっしりと掴んでいた。


 ふりほどこうにも外れない。


「放せ!」

「無駄だよ。ぼうや。あたしはこれでも、元女子プロレスラーのダーク山本さ。まあ、試合に出るときは、覆面だから分からなくても無理ないけど」


 んな事いったって、僕はプロレスなんて見ないし……うわ!


 突然、女に抱き上げられた。


 相手は女とはいえ、身長差一・ニ倍、体重差ニ・五倍はありそうな相手ではふりほどけない。


「ヒルコ。ぼうやを捕まえたよ」


 男がこっちを振り向く。


「よくやった。闇子やみこ

「闇子言うな!」


 なるほど、ダークだから闇子か。


 て、感心している場合じゃない。


「撤収だ」


 え! 式神ヒルコがこっちへ向かってくる。


 うわわ! こっち来るな! キモい! 怖い! 

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