第86話 スライムの中

「助けてぇ!」


 と、叫ぶ間もなく、僕は闇子に抱かれたまま巨大スライムに包み込まれた。


 術者のヒルコも一緒に包み込まれる。


「優樹!」「優樹君!」


 灰白色の壁の向こうから、樒とミクちゃんの叫び声が聞こえていたのは最初のうちだけ。


 すぐに聞こえなくなる。


 僕たちを包み込んだ後、スライムはどこかへ移動を開始したようだ。


 いったい、どこへ?


 周囲を見回すと、僕がいるのは灰白色のブヨブヨとうごめく壁に包まれた部屋の中。

 スライムに飲み込まれたのは確かのようだが、今まではスライムに飲み込まれるとそのまま消化されるものと思っていたが、そうでもないようだ。


 術者のヒルコも、僕をかかえている闇子もこの中で平然としている。


 もしかするとこの二人だけは、消化されないが他の者は消化されるということになっているのだろうか?


 だから闇子は、僕を放さないのだろうか?


 しかし、そうだとしてももう少し腕の力を緩めてほしい。肋骨が締め付けられて痛い。


「あのう、質問してもいいですか?」


 背後から闇子が答える。


「なんだい坊や?」

「僕がこのスライムの壁に触れると、身体が溶かされちゃうのですか?」

「はあ? なあ、ヒルコ。そんなことあるのか?」


 ヒルコは無言で首を横にふった。


「大丈夫だ。そんなことはないらしい」

「じゃあ、手を放して下さい」

「なんで?」

「なんでって……スライムの上に降りても安全なんでしょう? あなたが、僕を抱きしめている必要はないでしょ?」

「ダメだ」

「なんで?」

「私たちは、坊やをヒョーのところへ連れて行くように依頼されている。逃がすわけにはいかないね」

「なんだって? それじゃあ、権堂氏の殺害は?」

「権堂なんて最初からアウト オブ 眼中さ。私らの狙いは、最初から坊やだったんだよ」

「ど……どうして?」

「さあ? それはヒョーに聞いておくれ。私たちはただ、坊やを連れて行くように言われただけだから」

「それは分かったけど、いい加減僕を放してくれませんか? 闇子さんの力、すごく強くて痛いんですけど」

「ダメだ」


 その時、今まで黙っていたヒルコが振り向いて言った。


「闇子。放してやれ。どうせ、ここからは逃げられない」

「仕方ないね」


 闇子は、僕を床におろして仰向けに横たえた。


 床はスポンジのように柔らかく、僕の身体はフワっと沈み込む。


 やはり、スライムの中なんだ。


 起きあがろうとした時、不意に闇子が僕の両腕を押さえつけてきた。


「なにを? うわわ!」


 闇子は、僕の身体の上にまたがるように乗っかってきた。


 前に、樒にもこれをやられたけど、この女は樒の倍は重い! 苦しい!


「ねず子。私が押さえているから、この坊やの手を縛っておくれ」


 ねず子? 誰だ?


「はいはい。少々お待ちを」


 この声! ねずみ式神!


「いや、一瞬びっくりしましたよ。闇子さんが、優樹君を逆レイプするのかと思いました」

「そんなことしないよ。さっさと縛りな」

「はいはーい」


 小さなネズミに、そんなことできるのか?


 と思っていたら、ネズミが急に大きくなり、ビジネススーツをまとった二十歳ぐらいの女性の姿になった。


「ちゅー!」


 しかし、一見OLのように見えるけど、よく見ると頭にはネズミ耳があり、スカートからはネズミ尻尾が出ている。


「さあ、優樹君。ちょっと我慢していて欲しいでちゅー。痛くないように縛って上げるでちゅー」

「ちょっと待て! あんたネズミの時は普通に喋っていたのに、人間の姿になった途端、なんで語尾に『ちゅー』をつけるんだ!?」

「男の子は、細かいことを気にしちゃだめでちゅー」


 そう言って、ねず子は僕の手を縛っていく。


「いや、女の子の私も、それずっと疑問に思っていたのだけど」

「女の子だなんて、厚かましいでちゅー! 闇子さんは、どう見てもおばさんでちゅー!」

「せめてお姉さんと言え! この化けネズミ!」  

「ちゅー!」


 闇子に叩かれそうになり、ねず子はひらりと避ける。


 その時には、僕の手は縛り上げられていた。


 しかし、闇子は僕の上からどこうとしない。


「あのう、そろそろ上からどいてもらえませんか。重いのですけど……」


 だが、闇子はどくどころか僕におおかぶさってきた。


 顔が近づいてくる。


「坊や。今、重いって言ったね」


 え? 


「あ~あ。地雷踏んだな。知らねえぞ」」


 え? ヒルコが地雷って言ったけど、どういう意味?


 やば! 『重い』は、闇子にとって地雷だったんだ。


「重いと言っただろ」

「重くないです! 軽いです!」

「百三十キロの私が、軽いわけないだろう!」


 ひいい! そんなにあったんだ。


「さば読むなよ。もう後、十キロあるだろ!」


 後からヒルコが茶々を入れる。


五月蠅うるさい! 黙ってろ!」


 てか、本当は百四十! ヤダ! つぶれる!


「ヒルコさん、奥さんを宥めてよ」

「わりい。俺と闇子が夫婦というのはフィクションであって、実在の人物団体等は一切関係ないんだ」


 そんなあ……


「坊や。可愛い顔しているね。さぞかし周りから、ちやほやされているんだろ」

「ちやほやなんか、されてません!」

「私なんか、生まれてから『可愛い』なんて言われたことないよ」

「そんなこと、僕に言われても」

「私のことも『デブで不細工』と思っているのだろう」

「思っていません!」


 キモいとは思っていたけど……


「いいや思っていた。あんたにも、私の気持ちを分からせてやるよ」

「な……なにを……」

「その可愛い顔を、私の怪力でグチャグチャに整形してやるよ」


 ひいいいい!


「おい。闇子」

「止めても無駄だよ。ヒルコ」

「そうじゃない。着いたぞ」

「え?」


 ヒルコの背後の壁が、いつの間にかめくれ上がっていた。その向こうに薄暗い空間。


 そこに現れたのは、一人の人物のシルエット。


 その人物は横に虎を従えていた。


 いや、これは昨夜、ミクちゃんが戦った虎式神。


 ということは、この人がヒョー?

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