第7話 トンネルの悪霊

 有料道路のトンネルに悪霊が出るようになったのは一週間前かららしい。

 除霊依頼を出したのは、その道路を管理している会社。


「どういう事よ!? 通行止めにはできないって?」


 料金所わきの建物内にある応接室でしきみが詰め寄ったのは、地味なスーツ姿の気の弱そうな若い社員だった。

 若いと言っても、僕らよりずっと年上だけどね。

 頂いた名刺には池田貴志いけだたかしと書かれている。

 

「いえ……除霊という理由で、通行止めにするわけには……」

  

「なに? あんた霊なんて信じていないくせに、霊能者を呼び出したの?」

「いえ、僕は霊の存在は信じていますし……僕も見たのですよ。ただ、上の方がそんな理由では通行止めにはできないと……」

「冗談じゃないわよ。車がピュンピュン行き交う路上で、除霊なんて危なっかしくてできないわよ」

「ですから……路側帯とかで、できないものかと……」

「命がいくつあっても足りないわ。危険手当でも出してもらわないと……」]


 危険手当が欲しくなるのは分かるが、霊能者が直接料金を交渉するのは認められていない。釘を刺しておかないと……


「樒。一応言っておくが、規定料金以外のお金を請求するのは……」

「分かってるわよ。分かってるわよ。危険手当なんて、冗談に決まってるでしょ」

「なんだ冗談だったのか」

「冗談に決まってるでしょ。優樹まさき。あんたまさか、今のセリフを真に受けて芙蓉さんにチクる気じゃないでしょうね?」

「そのつもりだけど」

「やめてよね!」

「冗談だって」


 半分本気だけど……

 僕は池田さんの方へ向き直った。


「それはともかく、通行止めにしてもらわないと危険すぎて除霊が難しいのも事実です。なんとかなりませんか?」

「はあ……そう言われましても……」


 池田さんは困惑していた。


「とにかく一度、現地を見せてもらいましょう」


 池田さんの運転する軽自動車は、夕やみ迫る片側二車線の道を進んでいた。


「霊が出るのは、この先のトンネルです」


 池田さんの説明を、僕と樒は後部シートで聞いていた。


「トンネルに近づくと、透き通った手のような物が、車のフロントガラス張り付くという目撃報告が寄せられるようになりまして……」

「手? 手だけなの?」


 樒は怪訝そうに言う。


「最初は、手だけですが……」

「見えてはいないみたいね」


 樒は、僕にだけ聞こえるように小声で言った。

 どうやら、池田さんにはまだ見えていないようだが、僕と樒の目にはフロントガラスに逆さまに張り付いている女の霊が見えていた。


「トンネルに入ると、手だけでなく、血まみれの女がフロントガラス張り付いているのです」


 というか、さっきから張り付いているのだけど……

 しかし、この霊……見かけは不気味だけど、それほど邪悪な波動は感じない。

 ただ、必死に何かを訴えたがっているような……


「実は僕も三日前にここを走っていて目撃しまして、もう恐ろしくて恐ろしくて……」


 車がトンネルに入ったのはその時だった。


「ひえええ! 出たあ!」


 ようやく、池田さんの目にも見えたようだ。

 ハンドル操作が乱れる。


「池田さん、落ち着いて! 運転に集中して下さい。この霊は襲っては来ません」

「は……はい……」


 なんとか車は安定を取り戻した。


「出たわねバケモノ! ここに私、神森樒かみもりしきみがいたのが運の付き」


 樒は九字切の体制に入った。


「よせ! 樒! ここで九字は……」


 樒に僕の声は届かなかった。


りんびょう……あら?」


 ちなみに九字切とは、「|りんびょうとうしゃかいじんれつざいぜん」と唱えながら、手を上下左右に大きく動かして発動させる術だ。

 当然のことながら、こんな狭い車の中でやろうとすれば手が天井にぶつかってしまうわけだが……


「なによ、この低い天井は!? これじゃあ九字が切れないじゃないの!」

「樒。落ち着け。この霊は……」

「か……だ……」


 霊が何かを言っていた。

 しかし、よく聞き取れない。

 その直後、車がトンネルを抜けた。

 同時に霊も消える。

 池田さんは、バスストップに車を止めた。


「あの……霊は払ってもらえたのでしょうか?」


 恐る恐る尋ねる池田さんに、僕たちは無言で首を振る。


「そうですか」

「でも、樒。これなら通行止めにしなくても、できるのじゃないかな?」

「そうね。霊が走る車に憑り付くなら、車の中から除霊できるわ。ただし、こんな天井の低い軽じゃなくて、天井の高いワゴン車か、天井のないオープンカーでないと九字が切れない」

「そうか」


 池田さんの方に顔を向けた。


「用意できますか?」

「はあ。ワゴンなら、社用車がありますが」

「じゃあ、それでもう一度行きましょう」


 しかし、その夜。


 ワゴン車で何度かトンネルを通ったが霊は現れなかった。


「今日のところは引き上げて、明日もう一度出直しましょうか?」


 池田さんがそう言った時、時計は十時を示していた。


「そうですね。では料金所に戻って下さい」


 横を見ると、樒が涎を垂らして寝落ちしていた。


「樒」


 僕に揺さぶられてハッと目を覚ます。


「ど……どうしたの? 霊が出たの?」

「いや、今日はもう遅いから、明日また出直そうって」

「そっか。しょうがないわね」

「なあ、樒は聞こえたか? 霊がさっき何か言っていたの?」

「聞こえたわよ。か……だ……とか」

「僕も聞こえた。『か』『だ』は聞き取れたけど」

「分かった。『金を出せ』と言っていたのよ」

「いや……違うと思う」

「おのれ……不当に金を要求するとは、何て邪悪な霊」


 おまいが言うな!


 まあ……アホはほっておいて……


「池田さん。霊は、一週間前から現れるようになったのですよね?」

「そうです」

「その頃に、女の人が亡くなるような事故はありましたか」

「ええ。カップルの乗った車がトンネルの壁に激突して……男性の方はすぐに身元が分かりましたが、女性の方が身元不明のままで……」

「遺留品とか、ありますか?」

「ええ。ある事はありましたが、警察に渡してしまいまして……」

「写真でもいいのですが」

「それならあります」

「では、明日僕達が来た時に、その写真を見せて下さい」

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