第3話 爺さんの誕生日は?2


 僕は息子さんの方を振り向いた。


「お父さんの誕生日、思い出せませんか?」

「思い出すもなにも、親父の誕生日は三月十五日に間違えないはずです」

「しかし、それでログインできなかったのですよね?」

「ああ。昨日の女の子が親父の霊を呼び出して、ログインパスワードは生年月日をそのまま使っているというところまで聞き出したのですが」

「女の子? ああ! 昨日来たという霊能者ですね」

「彼女に、親父の生年月日を教えて、打ちこんでもらいました」

「ええ! ダメですよ! パスワードは、あなたが打ち込まないと」

「え? なぜ?」

「彼女が詐欺だったらどうするのです? 昨日は『ログインできませんでした』と言って、帰った後で、別のパソコンからログインして財産を横領しているかもしれませんよ」

「なに? それは大変だ」

 

 僕はお爺さんの方に向き直った。


「聞いての通りです。早くしないと、あなたの財産は詐欺女に盗られてしまいますよ」


 だが、お爺さんは馬鹿にしたような顔で言う。


「ふん。あのバカに真のパスワードなど分かるものか」

「はっ? 今、なんと?」

「い……いや、なんでもない」


 なんだ、この爺さん? 何か隠しているな。


「とにかく、どうせワシはもうすぐ死ぬのだ。あの世に持っていけない財産に未練はない。あの女にくれてやるわ。パスワードが分かればの話だが……」

「では、生年月日というのは嘘ですか?」

「それは嘘ではない。間違えなく、生年月日を使っている。しかし、あの女にパスワードは分からんだろう」


 生年月日なのに、なぜ分からないのだろう?


「まあ、それは良いとして、息子さんにも分からないと、あなたが困るのですよ」

「別に……わしは困らん」


 このままでは自分が死ぬと言うのに……あ! もしかして……


「ひょっとして、延命処置を止めてほしいのですか?」


 突然、お爺さんの顔色が変わった。


「ああ……ご飯はまだですか?」

「ボケたフリしない!」


 お爺さんは、しぶしぶ本音を言った。


「そうじゃ! 悪いか?」

「だったら、そう言えばいいじゃないですか?」

「言ったわい。しかし、半年前に、わしがなけなしの体力で『もう死なせてくれ』と言ったのに、息子は『そんな事言わないで、長生きしましょうよ』と言って延命処置を止めなかった。そのうちに、わしは口を利く体力もなくなってしまった」

「それなら、丁度よかったじゃないですか。僕ら、霊能者ならあなたの声が聞こえます。霊能者を通じて安楽死の意思を伝えれば……」

「だから、昨日来た女に『死なせてくれ』と言ったんじゃ! そしたらあの女『そんな事伝えたら、私の報酬が減る。さっさとパスワードを教えろ』と」


 ひどい霊能者だな。


「わしが断ると『往生際が悪いわね』と言って、妙な術をかけてワシを苦しめるんじゃ」


 ええっと……『死なせて』と言っている人に対して『往生際が悪い』て、それ日本語としておかしくないだろうか?


 てか……妙な術で霊を苦しめるって? それって除霊に使う術じゃないのか? そんな事ができるくせに、こんな仕事を引き受ける奴って……


「ひどい霊能者に引っかかりましたね。大丈夫です。あなたが安楽死を望むなら、僕はちゃんと息子さんに伝えますから」

「本当か?」

「ええ。というより、安楽死を望むなら、最初からそう言ってくれればよかったのに」

「いや……あんたも、昨日の女の類かと思っていたので……」


 なるほど。昨日、酷い目に遭わされたから警戒していたんだな。


「大丈夫です。僕はそんな悪質な霊能者ではありませんから」


 僕は息子さんの方へ顔を向けた。


「お父さんは、安楽死を望んでいます。半年前に、あなたにそれを言ったそうですが」

「いや……確かに、何度かそんな事を呟いていましたが……本気ではないかと……」

「冗談ではなく、本気で死なせてくれと言っていたそうです」

「そんな……」

「だから、延命処置を止めましょう」

「いや……しかし……」

「延命処置をすることで、お父さんは苦しんでいます」

「だが、親父を殺すなんて……」

「楽にしてあげるのです。確かに、辛いかもしれませんが、無理やり生かされているお父さんは、もっと辛いかと」

「……」


 息子さんは暫く無言でうな垂れていた。

 辛いのだろうな。

 自分の決断一つで、親が死ぬのだから……


「分かり……ました」


 決意が固まったようだ。


「ただ、その口座は開いてもらわないと本当に困るのです。もう生活にも困窮していて……」


 それは困るだろうね。


「貴方への支払いもできません」


 それはもっと困るね。


 僕は爺さんの方を向いた。


 しかし、そこに霊はいなかった。


 時間をかけすぎたか。


「すみません。時間切れです」

「どういう事だ?」

「生霊はあまり長時間呼び出せないのですよ。一定時間経ったら身体に戻さないと、生命活動に支障をきたします」


 まあ、延命処置はやめるのだから、問題はないのかもしれないけど……


「それでは、パスワードは?」

「生年月日だと言うのは嘘ではないと、言っていましたが……」

「しかし、生年月日を打ち込んでもログインできなかったのですよ。誕生日は三月十五日に間違えないのに」

「もしかして、誕生日ではなくて生まれた年を間違えたのでは?」

「そんなはずはない。親父が生まれたのは昭和元年だ。間違えるはずがない」


 昭和元年? ……それだ!


「昭和元年に、三月十五日はありません」

「なんだって?」

「大正天皇がお隠れになったのは、大正十五年十二月二十五日。昭和元年は、その日から十二月三十一日までの一週間だけなのです。だから、正しい生年月日は大正十五年三月十五日です」

「そうだったのか」


 息子さんは早速、パソコンにパスワードを打ち込んだ。


「ダメだ! 開かない」

「え?」


 まさか? あいつがすでに不正ログインしてパスワードを変えてしまったのか?


 それとも年号ではなく、西暦か? しかし、爺さんはあのバカに分かるものかと言っていた。

 

 あいつなら、真っ先に西暦を思いつくだろう。


 何か手がかりはないだろうかと、僕は爺さんの眠る隣室へ入った。

 点滴台を倒さないように気を付けながら周囲を探してみる。

 枕元に、写真立てがあるのを見つけた。

 セピア色の写真に写っているは結婚式の写真。


「これはお父さんの結婚写真ですか?」

「ええ、そうです」


 若いころはハンサムだったんだな。

 式場じゃなくて自宅で撮影したようだが……ん?

 僕の視線は、新郎新婦の横に写っているカレンダーに釘付けになった。

 

 なんだ? これは……


 爺さんは未来人? んなわけあるか。


 そうか!


 僕はメモ帳に数字を書いて息子さんに手渡した。


「この数字の通り打ち込んで下さい」


 僕に言われた通り、息子さんが打ち込むと、あっさりとログインできた。

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