不可思議博物に関する報告書

第2話 菌音/きんこん

【菌音/きんこん】

　文字が世界最大の直接視覚型感染ウィルスであることは知られているが、音が世界最小の飛沫聴覚型伝播ウィルスであることはあまり知られていない。

　しかし、近年になってようやくその姿がとらえられた。

　多次元幻聴顕微鏡を使ってようやく確認されたこの共生体、名を「菌音」と云う。

　名はついたが、菌音の正体は以前として未知のままである。

　菌根が植物の根から感染し植物に寄生するのに対し、菌音は人間の耳から音に乗って感染し、生物の脳に寄生する。

　正体が分からぬのならば、せめて分類だけでも。

　世界中の菌音研究者の願い空しく、菌音を全てを聞くのは不可能であるというのが主な見解である。

　何故なら、毎日、毎時、毎秒。世界中で新たな菌音が生まれているからだ。

　人類だけではなく、海、空、山、空気、微生物。

　それら全てが何かしらの音を発し、新たな菌音を生み出している。

　もはや悪夢の倍々ゲーム。腸内細菌の数をかぞえていた方がまだ救いがある。

　音階やアクセントによって彼らは別種と判断され、それに加え進化スピードが早い。昨日と今日で、まったく違う意味になってしまった菌音の例もいるくらいだ。

　なかには人体に効果のある菌音の存在も確認されている。

　有害な菌音が脳に届くと、人体に悪影響が出る。

　人工的に作られた悪口の中で繁殖を繰り返した菌音を何度も耳にすることによって、人の脳にダメージを与えられるのはよく知られた研究例だ。

　少し前、がなりたてるクレーマーの菌音を繁殖させ生物兵器を作り出そうとした研究者がニュースになっていた。

　しかし何度もクレーマーの菌音と相対している内に自分がヒステリック菌音に浸食され、心を病んだそうだ。

　何とも言えぬ結末である。その余波で接客従事者の給金が上がったそうなので、彼の犠牲は全く無駄という訳でもなかったようだ。

　また自然な褒め言葉の中で繁殖を繰り返した菌音の胞子は、安らぎや心地よさといった感情を宿主に与える。強制的に副交感神経を活発にする薬「ウェイブα」に含まれているトリヒュプノグリセロールもまた菌音から発見された物質の一つである。

　菌音は菌だが、所詮は音でもあるので、リズムにのせてやれば活性化し、繁殖が進む。当大学の菌音第二研究室が通称「カラオケルーム」と呼ばれている所以でもある。

　防音設備を兼ね備えたこの最新鋭の研究室は、しばしば何の曲をかけるかによって論争が巻き起こっている。その怒号すらも集音マイクで集めているのだから、いやはや、生粋の菌音研究者とは恐ろしい人達である。

　飛行機の騒音すら通さぬ最新の防音窓を覗くと、中では研究者たちが踊り狂っていた。

　浅学である私には何の実験中であるのか皆目見当がつかない。

　無音の狂想舞踏曲を観察しながら、わー、あっちの研究室も大変だぁと他人事のように思うだけである。