第5節 -予言の花-

「やぁ!久しぶりだね、レオナルド。こうして顔を合わせるのはいつぶりだろう。」少女は部屋に入室し、ゆったりとソファに腰掛ける男性の姿を見るや否や開口一番に語り掛ける。部屋の主は表情を変えることなく冷静に返事をした。

「記憶にある限りでは約三年ぶりだな。」


 そこは世界特殊事象研究機構の中にある一室。機構における全ての最上位権限を有し組織を束ねる頂点に立つ者の部屋、総監執務室。その部屋の主である男性の名はレオナルド・ヴァレンティーノ。少女が再会を心待ちにしていた人物である。


「ふふ。変わりないようで何よりだ。そうそう、コーヒーを頂いても良いかな?ここのは美味しいからね。」そう言うとレオナルドが返事をするより先に少女は勝手にコーヒーを淹れ始めた。

「国連機密保安局局長殿が自ら御足労とは恐れ入る。」ソファに深く腰掛けたままレオナルドは答える。

「今さら立場の話をするつもりかい?今日は君達に頼み事をしに来たんだ。こういうのは直接会って話をするのが筋なんだろう?」手に淹れ立てのコーヒーを注いだカップを持って少女もソファに腰掛ける。

「直接でなければ話せない内容かね?」気にすることなくレオナルドは話を続ける。

「そう邪険にしてくれるなよ。せっかく君たちにとっておきの情報をプレゼントしに来たというのに。それと久しぶりの再会なんだ。もっとこう、私に会えた喜びとか無いのかな?」無邪気な笑顔を浮かべて少女は語る。


 この少女の名はマリア・オルティス・クリスティー。国際連盟において公には存在しないとされている部門【機密保安局】、通称セクション6のトップに立つ者である。


 国際連盟には全部で五つの部門が存在し、担当業務内容や名称は次のようになっている。


和平推進部-セクション1-・・・世界恒久和平の実現と安全保障を司る。

経済計画部-セクション2-・・・世界経済の滞り無き安定運営を司る。

統治開発部-セクション3-・・・発展途上、後進国の援助及び先進国との橋渡しを司る。

世界法廷部-セクション4-・・・国際司法による国家間の司法紛争の解決を司る。

統括総局-セクション5-・・・各部門から立案された計画や意見を取りまとめる本部。


 国際連盟におけるこれらの部門の中でセクション5と呼ばれる統括総局こそが組織の中心であり、全部門のまとめ役ということになっているが実際は違う。日常的に国連で取り扱われる内容は各部門が提出した案件を元に、統括総局で内容の審議や取りまとめが行われた上で世界議会へ提出されている。しかし、大きな案件に関してはそのほとんどが議会提出の直前にセクション6と呼ばれる部門を経由しており、そこでどのように処理されるかが予め決められるという。又は全セクションの意向に関係なく計画の立案、承認と行動が決められる事もある。

 例えば件の無人島調査においては各部門からの案件提出も無く、統括総局の審議も無く、世界議会での承認手続きをする事も無くセクション6主導により計画が立案され、各国と調整が行われた後に実行されるに至った。世界議会での承認を超える強力な意思決定権を有している国際連盟の裏部門、それが機密保安局-セクション6-である。またの名を “存在しない世界” とも言う。

 そして、その部門の局長を長年務める人物がこの少女であり、国際連盟での意思決定における事実上の頂点に君臨している者と言える。

 マリアはその可憐な容姿から判断して誰が見ても十代半ば程度の年齢にしか思えない。故に少女と形容されるが、レオナルドと彼女が初めて会った時から既に数十年の月日が流れている。彼女がその地位に就いた経緯や、なぜその見た目がまったく変わることが無いのか、国籍も年齢も何もかも不明であるなど彼女自身の存在の有り方についても謎は多い。


「君は飲まないのかい?」久しぶりに味わうコーヒーに満足げな表情を浮かべてマリアが言う。

「今はそんな気分ではないだけだ。話を聞こう。」問い掛けに対してレオナルドは溜め息交じりに返答をする。

「単刀直入に話そう。我々国連は君達にあの無人島の調査を依頼したい。ただし調査に向かわせる人員はこちらで指定させてもらう。」

 ここで調査依頼がされる事についてはレオナルドの想定通りである。数か月前に国連が大々的に行った調査の事は当然知っている。メディアを通じてだけではない。機構と国連との直接の情報のやり取りからもその件に関しては報告が上がってきており、近々正式に国連から依頼が来るだろうと機構内でも予測されていたからだ。しかし人員の指定という部分に関して想定外であった。


「人員の指定だと?マリー。我々機構と君達国連の間に不干渉の原則がある事は君も充分承知しているはずだが?」マリアの言葉に不満の色を浮かべて返事をする。

「話を最後まで聞きたまえよ。私はあの島で起きている怪奇現象をすぐに解決に導く為の鍵を君達が既に持っている事を知っている。その情報こそ、今回君達に用意したとっておきのプレゼントだ。」そこで一呼吸間を取ってマリアは話を続ける。

「姫埜玲那斗。彼とそのチームメンバーのみを調査に向かわせて欲しい。」

「それは聞けない相談だな。」レオナルドの返答をまるで気にする様子もなくマリアは話を続ける。

「昨年、我々国連から大規模な調査隊があの島に調査に向かった事は知っているね?メディアで報じられていた以外にも君達には情報を幾分か提供したはずだから。調査に向かった結果は知っての通り。大失敗だった。世界各国が誇る最新のシステムや設備を搭載した艦艇を用意し、経験豊かな精鋭達を集めて現地に向かったにも関わらず、調査自体は何一つ遂行する事が出来ずに引き返す事を余儀なくされた。どれだけ他の備えが万全であろうと我々が派遣した調査隊には決定的に欠けているものがあったからね。」

 まわりくどい言い方をするものだとレオナルドは思った。自分達が万全の用意を以って手を施しても成功しないこの調査は機構が引き受けるべきだとこの時点で言っている。解決を望む世界各国の声や動向を踏まえれば、断るという選択肢は無い。これは依頼や頼み事では決してない。圧力と言う名の命令に等しくもあり、断れない事を予め知った上で調査に対する条件の指定まで行っている。


「その鍵とやらが姫埜少尉とそのチームメンバーというわけか?彼らでなければ調査が成功しないという根拠があるのかね。」

「あの島は資格のある者しか受け入れない。」そう言うとマリアはレオナルドの前に一枚の写真をホログラムで投影した。

「これは機密文書館にしか存在しない資料のデータだ。その紋章はかつてあの島に存在したリナリア公国と呼ばれる国の国章。公国の概要程度は歴史書にも載っているから知っているだろうね。でもこの国章については例外だ。公には資料として出回っていないものであり、機密文書館でしか確認できないデータ。しかしレオナルド、君には見覚えがあるのではないかい?」そう言って目の前の少女は不敵に笑う。

 確かに知っている。石の話については姫埜少尉が所属する隊の隊長からよく聞かされていたからだ。その紋章は姫埜玲那斗がお守りだと言って所持している石に刻印されているものの半分と酷似していた。


「私もこれを持ち出すのに苦労したよ。あの文書館の資料は特別な閲覧権限を与えられた者しか読む事が許されず、当然データは原則持ち出すことは出来ない。保管されている資料の内容はインターネットが普及し、ありとあらゆる情報が氾濫する現代においても公に出回る事はまず無い。故に、世界広しと言えどもこの情報を知る者は限りなくゼロに等しい。あの文書館の現在の所有者ですら、その所蔵品全ての内容を知っているわけでは無いから、今のところ私と君を含めて世界に数人と言う事になるね。」

 大溜め息をつきながら話す様子を見るに、そのデータを持ち出す事に余程難儀したのだろうか。珍しくマリアが疲れ切ったという表情を浮かべた。世界議会よりも強い権限を持つ部門の長をも例外とせず、難儀させる機関というのも限りなくゼロに等しいほど限定されるはずではあるが、今はそんなことはどちらでもいい。

「つまり彼がその資格のある者だと?」確認の意味を込めてレオナルドはマリアへ問い掛ける。

「そんな機密中の機密みたいなデータと一致する象徴が刻印された石を持っている人間が無関係者だと考える方が難しい。おそらく彼のルーツはあの島、その失われた公国にある。さらに付け加えるならばロイヤルな身分だったのかもしれないね。それを念頭に考えるならば世界中でただ一人。あの島は彼しか受け入れない。」自信に満ちた表情で少女は返事をした。

「しかし根拠としては乏しい。資料データ以外については、あくまで君の憶測の話だろう?」

「私は嘘は言わないよ。姫埜玲那斗が調査に行けば問題は解決する。逆に彼が調査に同行しなければ、君達機構がもつ科学の粋を総動員したとしても確実に失敗する。そして、彼が調査に行かない限りこの怪奇現象は終わらない。永遠にね。」


 レオナルドは一考した。自身の知る限り、この少女の言う事が嘘であったことは確かに一度もない。どんなに突拍子のない話でも確実に言う通りの出来事が起きていた。それはこのマリアという少女を知っている人物ならば誰もが身をもって理解している事実である。

 まるで未来に起きる出来事を事前に見たかのように正確に言い当てる様と、いつまでも変わる事のない可憐な見た目から、彼女の事を知る者は全員ある二つ名で呼んでいる。


【予言の花】と。



「仮に彼らが調査に出向いたとして、その身の安全は保障されるのかね?」レオナルドは質問を続ける。

「当然。むしろ島の主が彼らを招き寄せ歓迎するだろう。」

「島の主だと?」レオナルドはマリアの言葉の意味が理解できなかった。

 今、調査を依頼されている島は無人島であり誰も存在しない島だ。人跡未踏の島と言われ、長い歴史においてその地に存在した国が崩壊した後は誰も立ち入る事はおろか、近付く事すらも出来ない。それは直近の国連の調査計画が手酷い失敗に終わった事からも明らかだ。レオナルドの呈した疑問にマリアはホログラフで別の写真を映し出して答えた。

「これは件の調査の時に採集された画像データだ。ここに一人の少女の姿が写っているだろう。公式には一切発表していないがね、例の怪奇現象には全てこの少女が絡んでいるのさ。」

 画像上には小さくではあるが、金色に発光する髪の長い少女の姿が確かに映っている。霧の中で海面上に浮かんでいるように見える。

「現実のものとは思えないな。」

「誰だってそう思うだろうね。現地で実際に目撃した者達ですらそう言うのだから。幽霊を見たと。しかし残念ながら作りものではない。仮にそんなものを用意したとして君達に通用するとも思ってはいない。これがありのままの現実だ。当然、現地での目撃者の中には作戦の指揮を執ったあのハワード・ウェイクフィールドも含まれる。」訝しむ様子のレオナルドにマリアは淡々と説明をした。それに対してレオナルドは質問を続ける。

「この少女に見える亡霊のようなものが一連の怪奇現象の元凶だと?どういう存在なのかね?」

「それが分かれば誰も苦労しないというものだよ、レオ。彼女がどういった存在であれ、我々はその少女が怪奇現象を引き起こしている張本人である事は間違いないとみている。そして、この少女の目的が彼であることもまた疑いようのない事実だと我々は確信している。彼女は彼を待っている。故に姫埜玲那斗を調査チームから絶対に外してはいけない。さらに彼を心から信じる者達だけを同行させるべきだ。我々から君達に対する条件と言ったが、これは君達機構が調査を成功させる上で守るべき事柄であり、忠告と言い換えても良い。私なりの配慮と優しさの贈り物であると受け取ってほしいものだね。最初に言っただろう?プレゼントだと。」


 僅かな沈黙。亡霊が全ての事件の元凶だって?一連の話の流れを整理して考えても、あまりに突拍子もない現実離れした話だ。全て目の前で話す少女の妄言に過ぎない可能性だってある。

 だが、国連を取り仕切る立場にある人間が特別な会談を用意した上、わざわざ相手の庭に出向いてまで話を持ち掛けてきたという事実を考慮すると全てが作り話とも思えない。真偽は別として、そこには話を信じて欲しい又は信じるべきだという彼女なりの意思と意図が感じられる。それが彼女の言う相手の事を考えての配慮と優しさというものかは定かではないが。

 何を信じて何を為すべきか、決断の時は近付いている。レオナルドはそう感じ始めていた。そもそも最初から調査を行う事についての拒否権は無い。あとは彼女の言う向かわせる人選についての条件を呑むか呑まないかだ。


「故に彼があの島に行けば事態は解決するという結論か。この依頼は君の独断かね?」

「まさか。最初に “我々” だと伝えたはずだよ?国連の総意、いや、あの島の怪奇現象の解決に至っては世界中の国々の総意と言っても過言では無いだろう。平和の為に、経済の為に、安全の為に、誰しもが解決を望んでいる事象であり、世界にとって重大な懸念事項だ。国連の各セクションにも日々この島に関する陳情は届いている。そしてもはやそれを解決出来る存在はこの地球上に君達しかいない。少なくとも今は世界中の人々がそう思っているだろうね。」やや挑発的に語り掛けたマリアのこの言葉に対し間髪入れずにレオナルドは食って掛かった。

「最後の一言については、国連とメディアを利用してそうなるように君が仕向けたまでの事だ。マリー。今の話が全て真実だとすれば、君は国連主導による調査隊の派遣を決定するより前に調査が失敗する事を知っていた事になる。つまり、あの計画そのものが世界に対して “機構が動かなければ解決しない” という認識をアピールする為のパフォーマンスだったという訳だ。国連の調査が失敗した時点で、君にとってその先の展開は全て規定事項となった。」レオナルドの言葉に少女の口元が緩む。満面の笑顔を浮かべてはいるが、その瞳は奈落よりも深いであろう底知れない暗さを湛えている。


「我々には断るという選択肢が最初から用意されていないという事は分かっている。ここで断れば我々は何の為に存在しているのかと世界中から非難され、行動を起こさない事に対して追及を受けるだろう。マリー、君は一体何を企んでいるのかね?」

「人聞きが悪いな。企みだなんて。私はいつだって純粋に世界の平和を願っているだけだよ?」変わらぬ笑顔ではっきりとマリアは答える。

 恐らくそれも嘘ではないのだろう。しかしこの少女は何か別の目的を持っている。白々しいとレオナルドは思ったが口にも顔にも出さないようにして話を続けた。

「良いだろう。君からの依頼としてではなく国際連盟からの依頼として受け取ろう。調査も姫埜少尉が所属するマークתに行わせる。」

「最初からそうだと言っているだろう?これは私個人の依頼ではなく “世界の総意” なんだよ。賢明な判断に感謝するよ。」勝ち誇った様子でマリアが言う。

「“存在しない世界” の総意か。ところで、マリー。これは確認だ。我々がその問題を仮に解決できたとして、その後の島の扱いはどうするつもりだ?領有権を巡っては周辺国が黙っていないだろう。下手をすれば国家間の領土争いの火種にもなりかねないと思うが。」

「さて、どうしたら良いかな?」思った通り、そんな事にはまるで興味が無いと言わんばかりの返答だ。

「よし、ではそちらの条件を全て受け入れる代わりに、こちらからも条件を付けさせてもらう。」

「へぇ?その条件とは?」珍しいものを見るような目でマリアはレオナルドの顔を覗き込む。

「問題解決に至った暁には、リナリア島の永続的な所有権及び使用権を我々機構のものとしてほしい。」その言葉を聞いたマリアは一瞬きょとんとした表情を浮かべた。そして大きな笑い声を上げながら答えた。

「はははははは!改まって条件などというから何かと思えば!まさか、君がそんな独善的な条件を出してくるとは思わなかったよ。何だい?周辺国の領土争いを避ける為に先に手を打とうという事かな?しかし、下手をすれば君達がそれは傲慢な取り決めだと周辺国から追及を受ける立場になるんだよ?」

「それを事前に何とも出来ない君では無いだろう、局長殿?いや、何とかするのが君の仕事だ。この条件が飲めないなら話は無かった事にさせてもらう。」毅然とした態度で条件を呑むか固辞するかを迫った。

「簡単に言ってくれるね。私だってこれでも苦労はしているんだよ?でも良いだろう。繰り返すが、何と言ってもこの依頼は世界の総意なのだから。領土としては元々無かったものなんだ。その程度の我儘は皆聞いてくれるだろうさ。ご希望通り、君達が調査を開始するよりも前に世界議会に承認させようではないか。まぁ議題そのものを公の場に出すのは、あくまで問題が片付いた後のことになるがね。」マリアは楽しそうに話しながらレオナルドの条件を呑むことを約束した。

「約束が反故にされない事を願おう。」レオナルドはそう言いつつ、彼女の口ぶりからして機構側が領土に対する条件を提示してくる事すら初めから予期していたのだろうと感じ取っていた。予め答えを用意していた節がある。だが、予期はしていても実際に言ってくるという実感は湧かなかったといったところだろうか。

 彼女の一瞬の表情の変化はレオナルドにそう感じさせるに十分な変化であった。


「約束は守るし嘘も言わない。私の言葉はいつだって ”真実” だからね。」そう言うとマリアは立ち上がり扉の方へと歩みを進めた。

「我々が持つ調査資料は機密指定のものを含め後程全て君宛てにデータ送信し開示しよう。先にも言ったがデータの持ち出しに苦労したんだ。ありがたみをもって受領してくれたまえ。ただし、閲覧権限の指定には充分注意してほしい。無関係な人間には見せないように。では、報告を楽しみにしているよ。」そして扉の前に立ち、部屋を出る直前に彼女は振り返って続けて言った。

「それと、これからこの部屋にはコーヒーだけではなく紅茶も用意しておくと良い。それもロイヤル達が好みそうな飛び切り良い茶葉をね。」それだけ言い残すとマリアは満足そうに部屋を後にした。


 彼女が立ち去った後、レオナルドは深い溜め息をつく。彼女の最後の言葉の意味は理解できなかったが今は考えないようにした。

「全て掌の上、というわけか。」

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