第2節 -霧の中の亡霊-

 およそ10マイル進行後、調査艦隊は目標地点付近へ達した。しかし、各艦艇が停船しようと減速をしていたまさにその時。


 目の前に突然の閃光が走った。

 音も無く、風も無い。何が起きたのか誰にも分からない。ハワードはとっさに腕で目を覆ったが当然間に合わなかった。強烈な閃光によりその場にいた全員の視力が一時的に奪われる。


 数分が経過し、視界が徐々に回復してくるとハワードはゆっくりと目を開き辺りの様子を確認した。辺りが暗い。照明が故障したのか?船員たちは全員無事だろうか。他の艦艇の様子はどうなっているのだろう。様々な思考が一気に頭に駆け巡る。だが、視界に飛び込んできた景色はそんな思考を一瞬で消し去るようなものだった。

 周囲に広がっていたのは一面を覆う霧である。先程まで目の前に広がっていた青空や輝かしい海は見えず、何もかもが白い霧によって覆われてしまっている。

「一体何が起きた…どういう事だ。」目の前で起きた信じられない事態に呆然としかけたが、すぐに自分の責務を思い出し指示を出す。

「全員無事か?通信回線開け。各艦の状況を報告させろ。」ハワードの指示により船員の動きが慌ただしくなる。指示を受けた通信士がすぐに他の艦艇に対して状況確認を行う。しかし様子がおかしい。一向に他の艦からの連絡が入って来ない。

「司令!艦の全システムがダウンしています!通信及び航行システム応答無し。予備電源、非常用電源共に作動していません!」通信士の報告にハワードは背筋が凍り付いた。確かに艦内の照明も消え、視認できる範囲のコンピュータ類は起動しておらず、全ての計器類も異常を示した状態のまま固まっている。


 なんということだ!ハワードは声を出すことも出来ず心の中でそう叫んだ。


 全ての制御を電力に依存している最新の艦船において、その生命線である電力の供給装置が作動していないという事は船のコントロール自体が何も出来ない事を意味する。つまり、今自分達は海面に浮かび流されるだけの巨大な鉄の箱に閉じ込められている状況に等しい。先程自分達は目標地点へ停船する為に減速をしていたとはいえ、まだ完全に停止することなく航行中であった。他の艦艇も同じ状況だと仮定すると最悪の場合、制御を失った艦艇同士の衝突が起きる可能性がある。ましてや、この深い霧に包まれた状態だ。衝突をすると認識出来た時には対衝撃行動も間に合わず、何もかもが手遅れの状態になるだろう。


「総員、救命胴衣を着用しろ。必ず安定した掴まるものがある所へ行くように。同様の指示を全部門へ伝達して回るんだ。それと各電源の復旧が出来ないか確認を急いでくれ。」何もかもが悪い方向へ向かっている。ハワードは最悪の事態を想定して指示を出す。船員の気持ちを落ち着ける為にも自分がここで冷静さを欠いてはならない。



 時間が長く感じられる。景色が霧に覆われてからまだ数分と経っていないはずだが、何十分も経過したように思えた。せめてこの霧が晴れてくれるなら僅かだが手の打ちようはあるが、周囲の状況が何も分からない状況では手の施しようが無い。この状況下において祈る事しか出来ない無力さがもどかしい。


 その時、艦橋に僅かだが太陽の光が差し込んできた。辺りに立ち込めていた霧が徐々に晴れてきている。


 頼む、早く、早く晴れてくれ!


 そう祈り続ける最中、ハワードには霧の中で僅かだが金色に煌めくものが見えた気がした。何かの見間違いだろうか。すると周辺を監視していた船員が声をあげた。

「今、前方方向に人影らしきものが…」船員はそこで言葉を失った。

 ハワードは耳を疑った。そんな事は有り得ない。ここは海の上だ。陸地ではない。しかし、霧が徐々に晴れるに従って確実にそれは船員たちの目の前に姿を現すことになった。


「そんな馬鹿な…」声にならないほど小さな声で思わずハワードはつぶやいた。


 前方に、海上に人が立っている。海上に浮かび霧の中で佇む、銀から金色に光る髪の長い少女の姿が確かにあった。少女の両目は虹色のような輝きを湛え、真っすぐこちらを見据えている。

 非現実的な光景を目の前にした船員達は戸惑いと恐怖の色を浮かべ声を失う。時が止まったかのように静まり返る船内。波に打たれ揺れる艦体から発せられる金属が軋む音だけが響く。僅か数分間が永遠のように長く感じられた。周囲の霧が晴れていき、ついに視界に青空が広がり始めた時、目の前から少女の姿はふっと消え去った。


 艦橋から周囲の状況が掴める状態まで霧が晴れると機関が始動する音が聞こえ、同時にシステムの再起動が始まった。喪失していた電源が回復したようだ。システムの起動音と復旧した照明の明かりによりハワードは停止しかけた思考を現実を引き戻した。それは周囲の船員たちも同じようだった。今見た光景は幻だったのだろうか。いや、今はそんな事はどうでもいい。霧が晴れた事でようやく状況の確認が出来る。まずは艦隊の状況を正確に把握しなければならない。

 だが、周辺の状況を確認したハワードは全てが遅かったことを悟る。もう間に合わない。


 次の瞬間、轟音と共に海面が振動する。前方数十メートルの位置で別の調査艦艇同士が衝突した。完全に停船する前にシステムがダウンした事でコントールを失った艦艇同士が互いの進路に割り込む形になったのだろう。あの距離では例え万全の状態で回避運動が出来たとしても回避自体は間に合わなかったに違いない。

「機関再始動。アイドリングを維持したまま待機。オートコントロール レベル1固定、艦の稼働状況チェック後は姿勢制御にのみシステムリソースを回せ。これより衝突した艦船乗組員の救助活動を開始する。医療班と共に手が取れるものは全員すぐに行動を開始せよ。本艦の状況を他艦艇に伝達し、稼働可能な他艦艇は共に救助活動に回るよう伝えろ。統括本部へも緊急事態の状況を報せ。衝突艦の火災状況や燃料流出の確認も怠るな。全員助けるぞ。」

 ハワードの指示により総員が慌ただしく動き始める。他艦艇もこの動きに追随し次々に衝突艦艇の船員に対する救助活動に移り始めた。




 こうして他艦艇の協力も含めた迅速かつ懸命な救助活動が行われ、衝突した二隻の乗組員は全員無事に救助された。軽傷者こそ出たものの、重傷を負った者は奇跡的にいなかった。


「司令、衝突艦の全乗組員の救助を確認しました。衝突艦艇から海上への燃料流出は現在確認出来ません。」

「本艦の損傷状況確認。システム稼働率100%。異常無し。航行に一切の支障ありません。」

「残存他艦艇より報告。艦体、及びシステムに損傷無し。航行に支障無し。」各分野の船員達からの報告を受けハワードはすぐに指示を出す。

「本調査艦隊は計画継続を不可能と判断。全乗組員の安全確保の為、緊急退避行動に入る。安全圏と想定されるポイントまで全速で移動を開始する。目標座標入力。針路反転!180度回頭後、機関最大出力にて現海域より速やかに離脱。残存全艦は本艦に続け。」

 号令に従い全艦が回頭を始め転進する。この場所に留まれば次に何が起こるか分からない。万が一もう一度同じ状況に陥るような事になれば全員が無事で済む保証は無い。何を差し置いても安全だと思われる地点まで引き返し、ここにいる全員の身の安全を確保しなければ。

 この行動がどんなに滑稽であろうと無様であろうと、後ろ指をさされようと、自らが預かった命、それだけは守らなければならない。ハワードに迷いは無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る