九歳児-4/ウワサ


途中、古びた公衆電話で家に電話を掛けた。

使用回数はまだ半分ほど残ったテレホンカード。

それを入れて、自宅の番号を押下。

すぐに出た母に対し。

「友人宅に誘われたから寄って帰る」と告げれば。

何処の家だ、知っている相手なのか。

珍しく根掘り葉掘り聞こうとするので。

どこどこの、転校生の家だ、と。

それだけを告げて、切ってしまった。


隣で見ていた彼女が興味ありげに顔を覗き込んでくるので。

反対側を向いて、小さく息を吐いた。


「誰? お母さん?」

「そう。 珍しく色々聞いてきてね……。」


いいお母さんじゃん、と彼女は告げて。

面倒なだけだよ、と僕は返す。


「私の家はそんなこともないから。」

「そうでもないと思いたいね。」


どうかな、と彼女は呟いた。

僕は、足元の石ころを蹴飛ばした。

二度、三度跳ね跳んで。

電信柱の影へ転がった。


そんな先へ、視線を向けて。

影から、誰かが見ていた。



と、妙な臭いが鼻に漂ってきたのはほぼ同時。

鼻に突き刺さるような。

それでいて、

口から、妙な言葉が漏れそうになって慌てて口を抑えた。

悠月は、そんな僕を見て首を傾げた。


――――見えていないのか?

この臭いを、感じていないのか?


電信柱の方を見ないようにしながら、少しずつ歩みを進める。


分かる。

僕をじっと見る、視線を感じる。

僕だけを見る、視線を感じる。

少しだけ、歩みを早めた。

視線が、少しずつ消えていく。

その場所から、動けないように。

その場所から、逃げ出せないように。


逃げる。

逃げる。

逃げる。


僕が我に返ったのは。

暫くその場所から離れた後。

追いついてきた悠月に、強く腕を引かれてからのことだった。



「何だったの?」


そんな問いに、うまくは答えられなかった。

隣にいて、けれど彼女は何も見えなかった。

感じなかった相手に、どう説明すればいいのか。


変な匂いがした、とだけの答えで納得してくれたのだろうか。

――――ただ、何か危ないと思ったのは。

その匂いでなく、視線そのもの。

ような。

見つけたら、何でもするような。

真っ黒な、真っ白な。 想いの目。

それを見てしまえば、彼女はどんな反応を示したのだろうか。

驚いたのだろうか。

震え上がったのだろうか。

想像の中にしか。

その答えは、ないけれど。


結局。

初めて、彼女の家に遊びに行ったというのに。

そのことのほうが引っかかり続けて、殆ど覚えていない。

帰り際は、別の道を通ったからか。

その視線を感じることはなくて。


後日。

その電信柱のあった場所で、交通事故があった、と話を聞いた。

運転手は、即死で。

以前、ひき逃げ事件を起こした中年男性だった、と。


少しだけ、世界が暗く見えた。

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