九歳児-4/ウワサ
途中、古びた公衆電話で家に電話を掛けた。
使用回数はまだ半分ほど残ったテレホンカード。
それを入れて、自宅の番号を押下。
すぐに出た母に対し。
「友人宅に誘われたから寄って帰る」と告げれば。
何処の家だ、知っている相手なのか。
珍しく根掘り葉掘り聞こうとするので。
どこどこの、転校生の家だ、と。
それだけを告げて、切ってしまった。
隣で見ていた彼女が興味ありげに顔を覗き込んでくるので。
反対側を向いて、小さく息を吐いた。
「誰? お母さん?」
「そう。 珍しく色々聞いてきてね……。」
いいお母さんじゃん、と彼女は告げて。
面倒なだけだよ、と僕は返す。
「私の家はそんなこともないから。」
「そうでもないと思いたいね。」
どうかな、と彼女は呟いた。
僕は、足元の石ころを蹴飛ばした。
二度、三度跳ね跳んで。
電信柱の影へ転がった。
そんな先へ、視線を向けて。
影から、誰かが見ていた。
◆
ぷうんと、妙な臭いが鼻に漂ってきたのはほぼ同時。
鼻に突き刺さるような。
それでいて、何処か懐かしい匂い。
口から、妙な言葉が漏れそうになって慌てて口を抑えた。
悠月は、そんな僕を見て首を傾げた。
――――見えていないのか?
この臭いを、感じていないのか?
電信柱の方を見ないようにしながら、少しずつ歩みを進める。
分かる。
僕をじっと見る、視線を感じる。
僕だけを見る、視線を感じる。
少しだけ、歩みを早めた。
視線が、少しずつ消えていく。
その場所から、動けないように。
その場所から、逃げ出せないように。
逃げる。
逃げる。
逃げる。
僕が我に返ったのは。
暫くその場所から離れた後。
追いついてきた悠月に、強く腕を引かれてからのことだった。
◆
「何だったの?」
そんな問いに、うまくは答えられなかった。
隣にいて、けれど彼女は何も見えなかった。
感じなかった相手に、どう説明すればいいのか。
変な匂いがした、とだけの答えで納得してくれたのだろうか。
――――ただ、何か危ないと思ったのは。
その匂いでなく、視線そのもの。
誰かを探し続けているような。
見つけたら、何でもするような。
真っ黒な、真っ白な。 想いの目。
それを見てしまえば、彼女はどんな反応を示したのだろうか。
驚いたのだろうか。
震え上がったのだろうか。
想像の中にしか。
その答えは、ないけれど。
結局。
初めて、彼女の家に遊びに行ったというのに。
そのことのほうが引っかかり続けて、殆ど覚えていない。
帰り際は、別の道を通ったからか。
その視線を感じることはなくて。
後日。
その電信柱のあった場所で、交通事故があった、と話を聞いた。
運転手は、即死で。
以前、ひき逃げ事件を起こした中年男性だった、と。
少しだけ、世界が暗く見えた。
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