第10話 屋敷にて

「ちょっと待っててね」


 少し前を歩くナディアさんについて歩き続けた俺は、彼女が小走りで向かっていく場所に目を向けた。


 そこにあったのは、一軒の大きな邸宅だ。

 広い庭には大きな噴水があり、水しぶきが光で煌めいている。


 意匠の凝らされた門の前で立っている門番らしき男女二人が、駆け寄ってきたナディアさんから何かを聞いた後、息の合った動きで門を開けた。

 多分、俺という素性の知れない人間がいることについて、事情を説明してくれたのだろう。


 ナディアさんはにこやかに、俺はおっかなびっくりと門をくぐる。


「「「お帰りなさいませ、お嬢様」」」


 執事やメイド達が一斉にお辞儀をする。

 その動作一つ一つが洗練されており、一切の乱れがない。


「みんな、ただいま」


 それら全てがナディアさんに向けられているのは分かっているが、俺まで貴族になったような気分になる。


「お嬢様、そちらの方は?」


 右側にモノクルをかけた初老の執事が、彼女の傍にいる俺へと目を向ける。


「異世界から召喚された勇者の一人、相良悠介君よ。職業が死霊術師だから私が教えることになったの」


「それはそれは……。相良様、私はクルゼル子爵家の執事長を任されております、セバス・ティアンと申します。以後、お見知りおきを」


 セバスさんは、優雅さを感じさせる完璧な所作でお辞儀をした。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 彼と同じように、俺も頭を下げた。


 その間、ナディアさんは、迎えてくれた使用人たちに、労いの言葉を掛けていた。


 彼女を中心とした輪の中には、笑顔があふれていて、慕われていることがよく分かる。


 セバスさんが、パンパンと手を打ち鳴らす。


「お嬢様と相良様は、このあと旦那様にお会いになる予定があるのですから、あなた達も仕事に戻りなさい」


 彼女の周囲にいた使用人達が仕事場に戻っていくのを見計らって、彼女に話しかける。


「すごく慕われているんですね」


「みんな私が小さい時からお世話してくれててね。家族みたいなものなの」


 主従の垣根を越えて慕われるのは、ナディアさんの人柄のなせる技だろう。


 俺達が、本来の目的を忘れて歓談していると、


 バァンッ!!


 屋敷の玄関が勢いよく開く。


「おかえり、ナディア! 我が愛しの孫娘よっ!!」


扉の内側から出てきた初老の男が、玄関前のアプローチで片膝をつき、両腕を大きく広げた。


 腕の中に愛しの孫娘が飛び込んでくれるのを信じて疑わない様子だ。


「……」


 その場はしん、と静まり返り、無言の時間が流れる。

 ナディアさんは、恥ずかしさと呆れが入り混じった表情を隠すように顔を両手で覆った。


 男はしばらくの間、そのままの状態で動かなかったが、静寂に耐えきれなくなったのか地につけていた片膝を上げ、すくっと立ち上がった。


 さっきはいきなりのことで気づかなかったが、立ち上がった彼の身長は見上げる程高く、衰えを感じさせない体格の良さだ。


「御館様ぁ〜、僕を置いて行かないでくださぃ〜!」


 先程男が開けた扉から、まだ声変わりしていない少年の声が聞こえた。

 十歳ぐらいだろうか。全力で走ってきたのか、御館様と呼ばれた初老の男の下に辿り着くなり、ぜえぜえと荒く息をついている。


「おお、すまんな。窓からナディアの姿が見えたのでな、迎えようと思ってつい急いでしまった」


 「これぐらいでへばるとは、貧弱だな」と自分が原因なのを棚に上げて笑う男。


「ひ、ひどいですよぉ、御館様」


「おじいちゃん、恥ずかしいから人前でこんなことしないで……」


 二人の恨めしそうな顔にさすがに気圧されたのか、男はこほんとせき払いをして誤魔化そうとする。


 そして、ナディアさんの隣にいた俺に目を向けると、男は「今初めて見ました」と言わんばかりの驚愕の表情になった。

 どうやら、ナディアさんを見ていて俺のことなど全く眼中になかったらしい。


 男は鯉のように口をパクパクさせている。


「お、お……」


 少年のほうは既に気がついていたらしく、俺達に挨拶をしてくれた。


「お帰りなさい、ナディア様! その方は……?」


 ナディアさんは頷き、俺のことを少年に紹介してくれる。


「はじめまして、僕は御館様――クルゼル家当主、ダラム・クルゼル様の従者をさせていただいてます、レオと言います」


 少年――レオは、少し緊張しながらも失敗せず俺に名乗ってみせた。


「こちらこそよろしく、レオ君」


 完全にレオ君だけに意識を向けていたが、この場にはレオ君、俺、ナディアさんの他にもう一人いたことを思い出した。


「……男……うちの可愛いナディアが男を連れて……」


 彼は下を向いてぶつぶつと何かを呟いていたかと思うと、突然勢いよく顔を上げる。


「貴様ァっ! よくも可愛い可愛いうちの孫娘を誑かしてくれたな!?」


 目を血走らせながら滂沱するクルゼル子爵は、ビシッという音が聞こえそうな程の勢いで、俺を指指す。


「儂と決闘しろ!」


 俺の異世界生活は、初っ端から前途多難である……。

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