第8話 可憐に咲く花と散りゆく火花

 異世界に召喚された日の、その翌日。

 少し開いた窓から入る心地良い風に揺り起こされて起きる。

 窓から射す気持ちの良い朝日と、すっきりとした目覚め。


 普段であればきっと、素晴らしい一日のスタートに自然と笑顔になっていたことだろう。

 実際の俺はと言えば、昨日の会話を思い出して羞恥に耐えかねてベッドを転げ回っていた。


 昨日の行動に後悔はしていない。

 彼女を何かしら支えてあげたいと思ったのも間違いではない。

 ただ…………


 ――だからって「あなたのことを教えてくれ」とか「あなたを守らせてくれ」とかよくもまあ恥ずかしいセリフを堂々と言ったもんだな俺のバカヤロー!!

 挙げ句の果てになんだ、『私の騎士様』とか呼ばれたからって調子に乗って王女様の手を取りながら「仰せのままに、お嬢様」とか言っちゃって!

 俺が彼女の立場だったら気障すぎて引く自信あるわ!


「ぜぇ……ぜぇ……」


 声にならない呻き声を出していたせいで息切れを起こしてしまった。


 記憶の中の俺は未来の自分に全てをぶん投げてサムズアップまでしている。

 できるならば、過去の自分をぶん殴ってやりたい。


 朝から疲れ果てた俺は、起きる気力がわかず不貞寝しようとしたが、その行動はドアを叩く音で中断される。


「悠介、起きてる?」


「悠介さんは今ぐっすり寝てるから起こさないでくれ」


 世話を焼くのが趣味な伊月は、異世界でも変わらず毎朝起こしに来るつもりのようだ。


 この甲斐甲斐しさにちょいちょい危ない場面を助けてもらっている手前、邪険に扱うべきではないのだが、今日だけは許して欲しい。


「そうそう、その寝坊介さんを起こしに来たんだよ。起きないなら、まずは包まってるその布団を引き剥がしに行こうかな。なぜか鍵開いてるし」


 しまった、部屋に戻ってすぐに疲れて寝てしまったせいで鍵を開けたままだった。


「それじゃあ大義名分の下に遠慮なく入らせてもらうよ」


 本当に遠慮なく部屋に入ってきた伊月は、布団を握り締めて徹底抗戦の構えを取る俺を見て呆れた顔をした。


「なんでそこまでして起きるのを拒むのさ……。メイドさん達が朝食の用意までしてくれたんだから早く起きて」


 伊月の猛攻に耐えかね、羞恥心を布団に包んで封印した俺は、急いで服を着替えて部屋を後にした。



 朝食を済ませた俺と伊月は、朝食の会場で出くわした大西と一緒に指南役との待ち合わせの場所である玉座の間に集まっていた。


 約束の時間より早く来たからか、指南役の姿は見えずクラスメイト達の数もまばらだ。


 その一角で、俺は澪に突き刺すような冷たい目で睨まれ、居心地の悪さを感じていた。


 彼女が絶対零度の視線を向ける理由は、俺の隣にぴったりと寄り添う存在が原因だ。


「……で、なんでアンタが王女様を引き連れてんのよ」


 澪が隣でニコニコとしている王女様をちらりと見ながら俺に問う。

 それは俺が一番聞きたい。


 朝食の後こちらに向かう途中で出会ったのだが、挨拶だけでは終わらずなぜかそのままついてきてしまったのだ。


 澪の、「どうせ悠介が原因なんでしょ」という謂れのない疑いの目が自分に向けられているのを感じつつ、俺は王女様に理由を尋ねてみる。


「あの、王女様。なんで一緒に来ているのか理由を聞いても? ……というか近い……」


 一歩踏み出せば鼻先が触れ合ってしまいそうな距離に彼女の顔があった。


 昨日とは全く違う距離感に戸惑っていると、彼女は顔をさらにずいっと近づけて不満そうに頬を膨らませた。

 それと同時に俺は彼女が近づいた分だけ反射的にのけ反った。


「"王女様"なんて他人行儀で嫌です。それと敬語も。私のことはどうぞセレスとお呼び下さい。あなたは私の騎士なのですから」


「さ、さすがにそれは不敬ですよ王女さ………」


 彼女は人差し指を当てて俺の唇を抑える。


「私がそう呼んで欲しいのです」


 身長差も相まって上目遣いになったその表情は、俺の抵抗など容易く貫通していく可愛さだった。


「分かりまし…………分かったよ、セレス」


 王女様――セレスは花が咲いたような可憐な笑みを見せると、俺の腕に自分の腕を絡ませる。


「ちょっとちょっと、何の話!? 悠介が王女様の騎士ってどういうことよ!!」


 セレスの発言に、当然だが澪が俺に食ってかかる。

 一から説明すると俺達が元の世界に帰れないのを話すことになる。

 どう説明したものか俺が迷っていると、セレスが俺の腕を両手で胸元に抱き込み、その状態で澪に顔を向けた。

 俺の見間違いか、二人の間でバチッと火花が散ったのが見えた気がした。


「昨晩、相良様が不安に苛まれる私の手を取りながら言って下さったのです。"俺が守ってみせる"と」


 その時のことを思い出しているのか、セレスが少し顔を赤らませて言う。

 上手いこと話せない部分を伏せて説明してはいる、してはいるが…………


 それだけ聞くと俺が気障野郎にしか聞こえないのが不思議だ。

 ほら見ろ、澪だけでなく男性陣の目も冷たくなって…………違う、あれは呆れた目だ!


「まあ悠介だし。そんな事だろうとは思ってたよ」


「さもありなん」


 伊月も大西も好き勝手言ってくれる。

 弁明したいが腕が伝える柔らかな感触に、顔に出るのを抑えるので精一杯だ。


「そういう事で、彼は"私の騎士様"ですから私が隣にいるのは当然です」


「ふーん、だからずっと悠介に引っ付いてるって訳ね。でも悠介は"私の幼馴染"なんだから急に出てきて隣を奪おうとするのはいただけないわね」


「私はただ空いている席に座ろうとしているだけですよ」


 お互い"騎士様"と"幼馴染"の部分を強調して、なぜか俺の隣の席の所有権を争っている。

 もはや可視化している火花をバチバチと散らしながら、二人は睨み合う。


 見かねた伊月が応酬の終わりを見計らって仲裁に入る。


「まあまあ、澪も王女様も落ち着いて。悠介の隣は二つあるんだから大丈夫ですよ。……今のところは」


 最後に謎の含みを持たせたのが気になるが、取り敢えず争いは終結してくれたのでほっと胸を撫で下ろす。


 両隣を澪とセレスでがっちりと固められた俺は、二人が交互に話すのを聞いては言葉を返すということを繰り返していた。

 両手に花とはこういう事か。

 ……時々散る火花に目を瞑れば、だが。



 そんなこんなでしばらく経って、約束の時間にナディアさんがやってきた。


「昨日ぶりね、相良君。今日からよろしくね」


「はい、よろしくお願いします」


 俺がナディアさんと挨拶している間に伊月と大西の指南役となる甲冑姿の男性も到着したようだ。


「じゃあ僕は挨拶しに行ってくるね」


 真面目な伊月はすぐに指南役の方へと行ったが、大西は渋い顔をして中々そっちへ行こうとしない。

 大西は俺の指南役であるナディアさんと自分の指南役を比べて、不平不満を漏らした。


「なんで俺はあんな見るからに熱血タイプなむさ苦しいおっさんが師匠なんだよ! 相良だけズルいぞ羨ましい!」


 生真面目な伊月が指南役に大西の存在を伝えると、師弟愛溢れる師匠が不肖の弟子を迎えにこちらへ向かってくる。


「さ、相良、助けてくれっ! あんなムサいおっさんが師匠なんて嫌だああ!」 


「五月蝿い! 俺のことは教官と呼べ!」


 強面の教官が、じたばたともがく大西を無理やり引きずっていくさまを敬礼して見届けた後、俺は顔をナディアさんの方へ向けた。


 ナディアさんのグループは、俺だけだ。

 それはつまり、マンツーマンでナディアさんに教えて貰えるということだ。


 改めて彼女を見やる。

 おそらく20歳まではいっていないだろうことが分かる、少し幼さを残した容貌。それらは整っていて、おっとりとした雰囲気を纏っている。

 艶のある黒髪は、毛先に近づくにつれて薄く紫がかっている。

 

 俺の視線に気づいたナディアさんが、柳眉を困ったように下げる。


「えっと、私の顔に何かついてる?」


 ――ん?


 彼女から一瞬感じたものは、微かな怯え。

 自分の髪を気にするように指先で少し触れる仕草をした。


 そのまま質問に答えず黙っている訳にもいかないので、思ったことを正直に伝える。


「いえ、こんな綺麗な人に指南してもらえるなんて俺は幸せ者だな、と思って」


 先程壮年の男に引きずられていった同志の失意に満ちた表情を思い出し、心の底から憐れむと同時に、真逆の立場にいるこの幸運に喜びを噛みしめる。


「……っ!」


 俺の言葉を聞いた彼女の頬に朱が走る。


「あ、ありがとう……。お世辞でも嬉しい」


 お世辞ではないが、セレスの件を思い出して恥の上塗りになる前に口を閉じる。


「そ、そろそろ私の家に行きましょうか!」


 まだ少し頬が赤いナディアさんは、フードを被り直して歩き出した。

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